愁話・小鳥は空へ在るべしと
「今日は大変やったねぇ、ジルさん」
クリス・ゴードンはそう言った。
営業時間を終えた後の、闘技場のエントランス。
乱闘で砕けた床板の瓦礫を踏み砕きながら、彼女はジルボルゼへと近づく。
クリスの伯父であるエルド・ゴードンへの下剋上を企んだ犯人は、迷宮諸島の監獄島へと送られた。
クリスは伯父の面倒臭そうな顔を思い出して、ケラケラと笑った。
「あの犯人、夜香丘陵ん他にも手ぇ出しとったらしくてさ。
アラン・ロロンが合同裁判の申し立てば、してきたらしかよ」
「おや? もうですか? 早いですね、捕まえたばかりだというのに」
「シトライエんとこの悪魔と一緒に来とった魔族が、アランの縄張りの住民やからね」
クリスの言葉に、ジルボルゼは来場者の顔を思い出す。
ライトの保護者らしい振る舞いをしていた、あの魔族。
「クリス様は、その魔族の女性とはお知り合いで?」
「ここん来る前に、道案内ばしてくれた海霊族なんよ。
海ば渡る時に、ちょっとだけ話ば、させてもろうたとよ」
「⋯⋯彼女の共にいた人間とも、お知り合いですか?」
「顔は見たことあっよ。やっけど、話はあんまりしとらんね。名前ば聞いとったくらい」
クリスが、そう答える。
ジルボルゼは「そうですか」とだけ言って、雑談を切り上げた。
「わたくしはそろそろ退勤させていただきます。
お疲れさまでした、クリス様」
「あい、お疲れ様。来週もよろしゅうね」
クリスに見送られながら、ジルボルゼは闘技場の脇道へと向かう。
温泉洞窟の奥の奥。かつて魔女の研究所があった一角。
そこには、彼が救えなかった者たちの墓が、立てられている。
温泉の蒸気で朽ちることのない黒鋼の墓標。
幾つもの名前が刻まれている石碑の前に、ジルボルゼは膝を突いた。
「⋯⋯ただいま、ダリア」
もうこの世にはいない妻の名を呟く。
「今日は懐かしい人に会いました。
わたくしが昔、冒険者としても活動していた時の仲間です」
ジルボルゼは、墓標に向かって一方的に語り聞かせる。
「貴女には、話したことはありませんでしたね。
その人はライトくんと言って、聖国から北にあるロングレイク地方の出身なので御座います。
⋯⋯ええ、そう。ロングレイク。
神の教えを拒絶する分枝教徒たちの巣窟です」
ジルボルゼの指先が、自然と頭の秘武器へ向く。
分枝教徒は、教会に楯突く異端者であり、滅すべき敵だ。
ジルボルゼはゆっくりと息を吐き出して、静かに語った。
「ダリア。わたくしの懺悔を聞いては頂けないでしょうか。
⋯⋯わたくしは、ライトくんのどっちつかずなところが苦手だったので御座います。
彼は異端の大樹信仰に身を置きながらも、神への聖句も唱えるのです。
大樹を信仰している限り、神々はまともな加護を与えてくださりはしないのに⋯⋯」
誰も居ない洞窟で、ジルボルゼは目を伏せる。
だだ天に祈っているだけでエクソシストにまで成れてしまったジルボルゼには、ライトの価値観はわからなかった。
どうしてライトは天界の神々だけを信仰しないのか、いつも不思議に思っていた。
「魔女の凶行で、この身から神の加護が消えた今⋯⋯。
わたくしにも、ようやくライトくんの考え方がわかったような気がするので御座います。
彼は⋯⋯、神に何を捧げたところで、無駄だという現実の中に居たのかもしれない、と」
ジルボルゼは、人ならざる尾を揺らす。
上半身は怪鳥に接がれ、その怪鳥も蠍を次がれ、魔力は魔族の色へと変じた。
当たり前のように使えていた魔法は、神からの愛は、あの日から全てが消え失せた。
「実を言いますとね、ダリア。
わたくしがこの魔界暮らしに臍を曲げずにいられましたのは、ライトくんのお陰なので御座います。
彼の信仰する大樹は、人々に何かを返すことはない。
けれども、彼は大樹のことを大切にする。
わたくしも、ライトくんと同じように⋯⋯。
マウラ様からのご加護は無くとも、神を愛し続けていても良いのではないか、と⋯⋯。
そう思えたから、ここでの生活もやってこれたので御座います」
ジルボルゼは口元に小さく笑みを浮かべた。
洞窟には、温泉の流れる音が聞こえる。
「⋯⋯このお話は、他の人間たちには秘密の話で御座いますよ?
ライトくんは自分が異教徒であることを、あまり公にしておりませんから。
わたくしが彼の秘密に気づけたのだって、本当に偶然のことで⋯⋯」
ジルボルゼは、ライトとの冒険中の一幕を懐かしそうな顔で思い返す。
山奥に湧いている温泉を見つけた時の記憶だ。
それほど危険な場所でもないため、冒険者パーティの一行は、温泉に浸かっていくことにした。
最初の見張り役になったのは、ジルボルゼとライトの二人だ。
見張りの仕事は、退屈だったのを覚えている。
『そう言えば、ライトくんは何歳なので御座いましょう?』
ジルボルゼは暇潰しのために、なんとなく思いついた質問をライトへ投げかけた。
『七、⋯⋯あー、いや、⋯⋯二十一くらい?』
ライトは始めに言いかけた言葉をすぐに引っ込めて、視線を暫く彷徨わせてから、年齢を答えた。
長旅のせいで正しい年齢を失念してしまったのではない。
七と二十一の間は、間違えるには大きすぎる。
七の発音を「なんだ?」と突然の質問に戸惑う声と聞き間違えたわけでもないだろう。
ライトの表情にも声色にも、その手の困惑はどこにも無かった。
『もしかして、ライトくん。北方の出身だったりしますか?
こちらの暦で数えたら何歳になるか、計算しているように見えましたが』
ジルボルゼはそう指摘する。
ライトは苦い顔になって、視線をそらした。
ジルボルゼは一歩踏み込んで、更に問う。
『北方から来たのでしたら、家名もあるはずで御座いますよね。
いつも名前しか言ってませんけど、もしかして、出身地のことは隠してらっしゃるのですか?』
『⋯⋯お前こそ。いつも神様の話ばっかりで自分のことは隠してるだろ?』
『わたくしは聖国育ちのマウラ信徒です。
生まれは定かではありませんが、幼い頃から教会で暮らしておりました。
⋯⋯これで、ライトくんが隠し事をしていても許される理屈は無くなりましたよ。
腹を満たすのは公平に、腹を割るのも公平に、で御座います』
ジルボルゼはライトの顔を覗き込む。
ライトは警戒を瞳に浮かべ、腰の短剣に手を掛けていた。
その態度だけで、ジルボルゼが答えを知るには十分だった。
この状況で臨戦態勢を取る理由なんて、彼が異端者狩りを恐れる異教徒だからに他ならない。
『ああ、失礼。わたくし、宣教は致しますけど、命までは奪いません。
野蛮で非情な赤弓神信徒とは、目指すところがまるで違うので御座います。
ですので、そう怯えなくともよろしいので御座いますよ、分枝教徒の小鳥くん』
ジルボルゼは武器を持っていない両手を上げてみせ、穏やかに微笑んだ。
ライトは胡散臭そうな顔でジルボルゼを見つめている。
ジルボルゼはライトへの友好を示すために敢えて、彼の正体を口にしてみたのだが⋯⋯。
秘密をバラされているようで、良い気がしなかったのだろうか。
ジルボルゼはそう考えて、補足する。
『皆さんの前では、何も知らない振りを致しますから、ご心配無く。
ライトくんが異教徒であろうと無かろうと⋯⋯。
マウラ様の素晴らしさを理解していないことには変わらないので御座いますから。
わたくしの態度も今までと何も変わりませんよ』
ジルボルゼは笑顔で言い切る。
ライトは心底ウザそうな顔で、ジルボルゼから距離を取った。
神の素晴らしさを語ってあげようとすると、彼はいつもこうやって離れようとする。
当時のジルボルゼは、改宗して今よりもっと幸せになるべきだ、とライトに向かって長々と語り続けていた。
「⋯⋯おっと。話し込んでしまいましたね」
ジルボルゼは、現在へと意識を戻す。
「わたくしからのお話は、ここまでにしておきましょう。
この声が、冥府まで届くことを祈っておりますよ、ダリア」
ジルボルゼは立ち上がり、黒鋼の墓石に背を向けた。
人の形をしていない彼の両足が、真っ直ぐと迷いを見せずに歩き始めた。
【愁話・終】




