副章・Shark, Oystar, Pirate
ライトがトロル族の島で妖精を探していた頃──。
ホタルは魔物退治の仕事の真っ最中だった。
場所は魔界の海の上。辺りは霧に覆われ て、幽霊船から軋んだ床板の音がする。
ぼろぼろに朽ちている木造船は、それがひとつの魔法生物。
魔界の魔力に晒されて、悪魔化を果たした存在だ。
今はホタルの足場として、その身を貸してくれている。
「── Brulu!」
ホタルは武器のカンテラを構えて、火炎魔術を放った。
青白い炎が螺旋を描き、空から飛びかかってくる敵を撃ち落とす。
海に落ちたのは、鮫だ。
それも、大量に。
わざわざ退治を手伝えと呼び出されたのも納得の状況。
普段であれば、交易船が行き交う海路に、何十頭もの古代魔鮫が飛来する。
どうして鮫がミサイルのように空から降り注いできているのか、疑問に感じる者は多くとも、答えを持っている者はいない。
ホタルが左右へ視線を振れば、他にも鮫と戦う魔族たちが見えた。
「アラン様の領海を荒らす不届き者に、裁きの波を!」
「オオーッ!」「波を!」「波を!」
金色の鰐の紋章を着けた魚人の兵団が、撃ち落とされた巨大鮫を囲んで槍で突き刺している。
彼等はこの海域を支配する魔族アラン・ロロンの従者たちだ。
統率の取れた隙の無い動きで、飛んでくる鮫を次々と屠っていく様は圧巻だ。
傭兵扱いで駆り出されているホタルからすれば、なかなか頼もしい仲間たちである。
「ホタル殿! 海底火山から採ってきた魔石を持ってきましたぞ!」
海面から顔を出した人魚兵士が、袋を頭上に掲げている。
魔力補給のための魔石だ。
ホタルは魔術を撃つ手を休め、人魚兵士から袋を受け取った。
「ありがとう。助かるよ」
「いえいえ! 我等は炎の魔術は苦手ですので、こちらとしても助かっております!」
「別動隊が召喚術師を捕らえるまで、あと少しのはずだ。油断せずに行こう」
「はいっ! ホタル殿もお気をつけて!」
人魚兵士が他の兵士への物資を運ぶため、海中へと戻っていく。
ホタルは受け取った袋から炎の魔石をひとつ取り出して、首に当てた。
ホタルの体に魔石から魔力が染み渡り、カンテラの中で燃える炎が輝きを増す。
「大丈夫、ホタルちゃん? 疲れてなぁい?」
幽霊船から、ホタルを気遣う声がした。
ホタルは船首像へと目を向ける。
ぼろぼろに朽ちている船の中で唯一、新品同様の悪魔像が、甲板のほうを振り返っていた。
ホタルは船首の縁に座って、彼の問いかけに答える。
「この程度なら、問題ないさ」
「そーお? なんか今回は、イラついてるように見えたけど」
「⋯⋯そうなのかい? 自分では気づいていなかったが⋯⋯。
ロトシーは仲間をよく見ているんだね」
「んふふ。それって皮肉ぅ? それとも褒め言葉?
否定しないってことは、原因に心当たりがあるのかしらぁ」
幽霊船ロトシー号がぼわぽわとした口調で言う。
鮫の大群と戦っている最中だというのに、彼は呑気だ。
いつも沈みかけなせいか、どこでも気楽に世間話を始めてしまう。
ホタルは魔力補給での休憩がてら、少しだけ会話に付き合ってやった。
「平常心を欠いている原因か。思い当たるのはひとつだけだね」
「陸の上に置いてあるもの?」
「そうとも言えるな。君には話してなかったが⋯⋯。最近、人間を助手にしたんだ」
「あら。素敵なお話ねぇ。ホタルちゃん、操舵主になったんだぁ。
ね、ね、相手はどんな人なのぉ?」
「面白い子だよ。魔界にはまだ慣れてないから、危なっかしいところはあるが⋯⋯」
言いながら、ホタルはライトの顔を思い浮かべた。
今回の仕事は、徹夜になる可能性が高かったため、ライトは家に置いてきた。
人間には、食事だけでなく睡眠も必要だ。
眠りを蔑ろにすれば寿命が縮まると聞いたこともある。
ライトの雇い主としても、ホタル自身の感情としても、無理に連れ回すのは嫌だった。
ロトシー号が微笑ましげに瞳を細めた。
「ホタルちゃんは、その人間ちゃんに長生きをして欲しいのねぇ。
海霊族って、人間を海に沈めたがる子も多いのに」
「キミだって、人を冥府へは導かないだろう? 船旅は長いほうが良いからな」
「んふふ、そうねぇ。此方にとっては、海は彼方の夢じゃないもの。
いつまでも乗ってて貰えるならば⋯⋯それはとっても素敵なことねぇ」
ロトシー号が水平線の先を見る。
飛来する鮫の大群は、未だに勢いが衰えない。
むしろ、先程までよりも頭数が増えているように感じる。
予定通りなら、とっくに犯人を捕縛して片付いている時間帯だ。
ホタルは魔力を吸い終わった石を袋に戻して、幽霊船に声を掛けた。
「念のため、発射地点を見てくるよ。ロトシーはここで待機しててくれ」
「はぁーい。お仕事が早く終わるよう、深海の真珠に祈ってるわねぇ」
ロトシー号が呑気な声色でホタルを見送る。
ホタルは船首から飛び立って、水平線の奧へと向かった。
飛翔術で宙を翔る。
ミサイルのように飛んでくる鮫をひらりと躱せば、うねりを帯びたホタルの長髪が霧の中で流麗に揺れた。
青白い炎を纏った海霊の影が海上に残像を残し、不知火のように光が広がる。
「見えた──!」
ホタルは海の直中に浮かぶ鮫発射台の姿を捉えた。
時計の文字盤のような形の、大掛かりな魔術装置だ。
数字が描かれている場所に、鮫を打ち出す砲台があり、時計の針に指された場所から鮫が発射されている。
「⋯⋯別動隊の姿が無いな。戦闘の音も聞こえない。
まさか、全員倒されたのか?」
ホタルはカンテラを構え、慎重に装置の裏側へ回った。
整備に使う足場らしき出っ張りが裏側には伸びている。
黒く無機質な鋼の長板。その真ん中で、異様に目立つ真っ赤な衣服。
この鮫騒動の犯人らしい魔人がひとり、昼食を食べながら座っていた。
「げっ! ヤバッ! 第二ウェーブがもう来ちゃった!」
魔人がホタルの姿に気付き、慌てて立ち上がる。
右手には苺ジャムをたっぷりと挟んだサンドイッチ。左手にはピクニック用のバスケット。
海の真ん中でランチタイムとは、実に風流なことをしているが⋯⋯。
ただのピクニック客で無いことは、態度からして明らかだ。
魔人はサンドイッチを持ったまま、格好つけて高らかに喋り出す。
「フフフ⋯⋯! よく来たな、紫海兵団!
我こそは『叡智の太陽団』がひと柱!
紅き神宝の女海聖、ルビス・フルードなり!」
格好つけすぎて、逆にダサく感じてくるような自己紹介。
もしもこの場にライトがいたら、「どこの誰だよ。変な組織名しやがって」と冷たく切り捨てていただろう。
彼女の所属や二つ名は、ホタルの耳にも聞き覚えが無い。全く無名の存在だ。
ホタルは目の前の魔人を見つめた。
赤い海賊風の衣装に、どこか安っぽいカットラス。
右目を覆っている眼帯には狼の横顔が描かれている。
まるで強そうには見えないが、ホタルは油断せず問い掛けた。
「キミが鮫で海路を荒らした犯人かい?」
「ああ、そうさ! アタイは、アタイの神獣を使って悪魔どもを一掃するんだ!
まずは、この海を支配しているアラン・ロロン!
アイツをアタイの部下にして、魔界全土を手中に納め、ゆくゆくは魔王になってやるのさ!」
「⋯⋯言っている意味がわからないな。
神の力を借りて悪魔を一掃するつもりなのに、最終目標は魔王なのかい?」
「それくらい覚悟が堅いってことだよ!
これだから、悪魔は愚かで嫌なんだ!
アンタもすぐにぶっ飛ばしてやるから、覚悟しな!」
魔人がサンドイッチを齧りながら、足元の鉄板を踏み鳴らす。
カァン!カァン!と響いた音に反応し、海面に鮫が集まってきた。
魔人は得意気な顔をしているが、この程度、ホタルの敵では無い 。
特に脅威を感じることもなく、ホタルな手袋の指先を魔人へ向けた。
炎の魔術を使うまでも無いだろう。
飛翔術で相手のカットラスを浮かせ、そのまま敵の喉元へ突きつける。
「きゃっ! ア、アタイの剣が勝手に⋯⋯っ!?」
「装置を止めて、投降したまえ」
「い、嫌だね⋯⋯! アタイは海神の聖女なんだ! 悪魔になんか屈するもんか!」
「そうか。では、仕方が無いね」
ホタルは冷めた目で魔人を見つめた。
バスケットに巻いてあるリボンを飛翔術で奪って、敵の手足を縛り上げる。
ジャムたっぷりのサンドイッチが鮫だらけの海へ落ち、バシャバシャと食らいつく音が聞こえた。
「くっ! この、悪魔め⋯⋯!
おい、エンバー! 見てやがるんだろ!
さっさと丸ごと呑み込んじまえ!」
魔人が装置に向かって叫ぶ。
エンバーと呼ぶ契約者の声に応じて、装置の表面に黒い蕾が現れた。
ゆっくりと勿体つけて開いた蕾の内側には、メイド服を着た褐色肌の悪魔が一人。
白い髪の毛先は透けて、蜻蛉の羽のようにも見える。
首には細い銀の鎖で繋がれた魔法の方位磁石。左腕には鋼鉄の義手。
「⋯⋯また、貴様か」
ホタルの警戒が強まる。
悪魔は上品に微笑みながら、挑発的に口を開いた。
「あら。どちら様だったかしら?
貴女とは口も利いたことが無いはずだけど」
「そうだな。私も貴様の名前など知らない。
だが、悪戯に私の仕事を増やすようなら、ここで焼き尽くしてくれる」
「あら、あら。脅しだなんて、低俗ね。素直で可愛い彼とは本当に大違い」
悪魔がクスクスと嘲笑する。
ホタルは溜め息を吐いて、カンテラから炎を噴き上げた。
炎の渦が悪魔と魔人を取り囲む。
素肌を炙る熱源に魔人が怯えた声を上げた。
「お、おい! エンバー! 早くやれ!」
「お嬢様の仰せのままに」
悪魔がスカートの裾を摘まんで一礼する。
どろり、とスライムが形を変えるかのように悪魔の足が融解した。
深淵を覗き込むかのような漆黒の闇が、触手となって不気味にうねる。
「よし! やれ、エンバー!
⋯⋯って、オイ! なんでアタイに向けてんだよ!」
仲間の参戦で元気を取り戻していた魔人が、触手に撫でられて叫ぶ。
悪魔はうすら寒い笑みを浮かべたまま、ホタルではなく魔人のほうへと触手を絡めつけていく。
リボンで縛り上げられていた魔人には、抗う術も、逃げ出す方法も、何も無い。
魔人の体は、見る見るうちに闇の中へと呑まれていく。
「や、やめろ、エンバー! 違う! アッチだ!
やっつけるのはアッチのヤツ!」
「アッチってどっち?
私は、ただ『丸呑みにしろ』としか命令されてないはずだけど」
「はァ!? お前、バカなのか!?
アタイが消えたら、魔王を探すお前の夢も全部台無しになるだろが!」
「ならないわよ。だって私は、誰でもいいもの。
魔王様の魂がこの手で再現できるなら、その外殻は誰でもいいの」
クスクスと笑いながら、悪魔の触手が魔人を覆い尽くしていく。
恐怖に染まった魔人の顔に、悪魔の笑みが深まった。
「どうしても止めて欲しいんだったら⋯⋯、わかるわね?
私への命令撤回と、改めての保護依頼。
即時・緊急案件だから、料金は相場の三倍よ」
「ぐ⋯⋯ぐぬぬ⋯⋯! 下品なマッチポンプデビルめ⋯⋯!」
「嫌なら、いいのよ? 貴女が二度と自分の船に戻れなくなるだけの話だもの」
悪魔の提示した取引に、魔人の表情が曇る。
魔人は苦虫を噛み潰したような顔で、悪魔のことを睨み付けていた。
曲解されてしまった命令の撤回と、改めての保護依頼。どちらも魔人に必要な条項。
このまま静観していたら、捕縛の機会を失いそうだ。
ホタルはカンテラを構え、悪魔に向かって火球を放った。
青白く燃える炎の塊が、悪魔の顔面に直撃する。
「⋯⋯あら。もしかして、庇ったの?」
悪魔は微笑みを浮かべたまま、ホタルのほうへと視線を向けた。
炎は暗く染まった闇の中に取り込まれ、何事もなかったかのように、髪の焦げ跡が再生していく。
攻撃がまるで効いていない。
しかし、ホタルは平静を保ち続けて言葉を返す。
「その魔人は、アラン様の領海を荒らした犯人だ。連れていかれては困る」
「私だって、自分の契約者が連れていかれちゃったら困るわ。
牢屋の中で呼び出されたら面倒だもの」
「ならば、二度とアラン様の領海を荒らさないとそこの魔人に誓わせたまえよ。
今回はそれで手打ちにしてやる」
「偉そうに言うわね。私のほうが強いのに。
でも、いいわ。今日は早く帰りたいもの。特別にその条件で応じてあげる」
悪魔が魔人の腕を解放し、誓約書にサインをさせる。
どこから紙を取り出したのか。なんとも用意の良いことだ。
もしかしたら初めから、魔人が失敗することを想定してあったのかもしれない。
ホタルは誓約書を受け取って、呪いが込められていないか確かめておいた。
どこにも問題は無さそうだ。
鮫発射台も停止され、無限に湧き続けていた鮫の群れも消滅していく。
魔人は涙目になったまま、最後に大きな声で叫んだ。
「わ、我々は悪魔になんか屈しない!
叡智の太陽団に、栄光あれぇーっ!」
悪魔の触手が魔人を掴み、空の彼方へと飛び去っていく。
静けさを取り戻した水平線を見下ろして、
「⋯⋯ようやく片が付いたようだね。
夕飯は、ライトと一緒に食べられるかな」
太陽が傾き始めた空をホタルは真っ直ぐに飛び始めた。
ライトは今頃、何をしているのだろうか。
いくつかの想像が頭に浮かび、自然と空を切る速度が早まる。
早く自宅へ戻りたいが、先に仕事の報告からだ。
ホタルはロトシー号の周りで待機していた兵士たちに声を掛け、誓約書を手渡した。
鮫退治の顛末を話している間にも、ホタルの心は家に向いていた。
そわそわとした様子に気づいて、ロトシー号が解散を提案してくれる。
解放されたホタルは、即座に海面を蹴って再び宙へ飛び上がった。
鮫の大量発生のせいで、海上の魔力が不安定になり、時空転移術が使用できる地点がそばに無いのがもどかしい。
最高速度で空を横切り、ホタルはようやく家へと着いた。
孤島に建てられた家は、ホタルにとっては見慣れた景色だ。
一人で住んでいた頃と同じ。明かりの消えた無人の邸宅。
今はライトが居る筈なのに、生活の光がどこにも見えない。
嫌な予感を感じながら、ホタルは家の扉を開く。
「⋯⋯ライト?」
しん、と静まり返った廊下。
キッチンからは、何の香りも熱も無い。
彼に貸している仮眠室のほうからも、何の気配も物音も無い。
留守番が退屈になって、カカオカの店にでも遊びに行ってしまったのだろうか。
ホタルは無言でカンテラを掲げて、ライトに持たせた御守りの場所を辿った。
予想の真反対から反応があって、ホタルの背筋が凍りつく。
カカオカの店でも、馴染みの食堂の中でも無い。
──迷子だ。
ホタルは慌てて家の外に飛び出した。
彼は冒険者だから、多少のアクシデントには自力で対応できるだろうが⋯⋯。
それでも、最悪の可能性も、頭の中には浮かんでしまう。
人の命は、とかく脆い。
魔界の海にうっかり落ちて、鮫の餌になるエピソードなど、ありふれている。
ホタルは転移術の炎で身を包みながら、不安と焦燥で胸を焦がした。
「ああ、どうか⋯⋯。御守りを海に落としただけであってくれ⋯⋯。
元気な顔で、妖精の話をまた聞かせてくれ⋯⋯」
ホタルは切実な声で呟く。
その願いが叶うのは、ぴったり十秒後のことだった。
「──それで、あの島にいた妖精さんが大きくなったら、どんな精霊になるのか想像してみたんですけど、」
「ライト。続きは明日聞くから、今夜はそろそろ終わりにしよう。
月が高く昇っているよ。人間はもう眠らないと。ね?」
「それがどうかしたんですか?
妖精さんは月なんかよりもキラキラしてて凄く綺麗だったんですよ。
キラキラと言えば、ボクが故郷にいた頃に川で妖精さんを探していた時──」
「ライト。私の話も聞いてくれ、ライト」
「妖精さんのお話ですか?」
「違うよ。今夜はもう寝ようってお話だ」
語り続けようとするライトをホタルは懇切丁寧に諭して、なんとか彼を自室へ送る。
丘の民が住む島まで迎えに行ってから数時間、ライトは延々と喋り続けた。
時刻は既に、深夜零時を越えている。
ライトの話がここまで長く続いてしまったことは、ホタルにとっては意外だった。
彼なりに、ホタルが無事に帰ってきたことを嬉しく思っていた結果、話したいという欲求の歯止めが効かなくなったのだろうか。
なんとも微笑ましいことだったが、人の体に過度の夜更かしは毒だ。
ホタルは彼の頭を手袋で撫でて、優しい声色で伝えてやる。
「たっぷりと寝て、そして目覚めたら、私のところまでおいで。
キミの足でもきちんと行けるような場所で、私はキミを待っているから」
「⋯⋯約束ですよ。今日みたいに、起きてもどこにもいなかったら、許しませんから」
「ああ。約束だ。⋯⋯さあ、今夜はもうおやすみ」
「はい。おやすみなさい、ホタルさん」
「おやすみ、ライト。よき眠りを」
【副章・終】




