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75 ひまわりの研究 愛は奇跡である。 真っ暗闇の中に光がある。その光は、……たぶん、あなただった。

 ひまわりの研究 心の研究 内側と外側の世界の考察


 浮雲ひまわり博士 十歳


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 世界は二つにわけることができます。それは『自分の内側とそれ以外の外側全部の世界』のことです。インサイドとアウトサイド。まず、小さな円を描きます。三次元的には円ではなくて球になります。これの内側がインサイド。つまりあなた自身であり、あなたの思考だとあなた自身が錯覚している心と呼ばれているものの正体であり、また小さな命そのものでもあります。これは泡のようなものと呼ぶこともできますね。これがインサイド。私は小さな世界とよんでいます。それ以外の全部がアウトサイドとよばれているもう一つの世界です。私はこちらの世界のことを、大きな世界とよんでいます。世界はこの二つの世界にわけることができます。どんな人にとっても同じことです。まとめてみましょう。世界は小さな世界インサイドと大きな世界アウトサイドにわけることができる。それをわけるのは線でわけられた小さな円の、あるいは球の泡のような境界です。これが命とよばれる現象の正体になります。この円が消えてしまうと、命は泡が消えるように外側の世界に混ざってしまって、なくなってしまいます。あなたがいなくなるということです。(心がなくなるということです)このことを『死』と私たちはよんでいます。線がなくなれば、どこに私たちがいるのか、それが私たちにはわからなくなってしまいます。命とはそのように大きな世界から小さな世界を切り取って、インサイドとアウトサイドの二つに世界をわけることをいいます。(ひまわりはここで水を少し飲んだ)

 失礼しました。続けますね。次は永遠の命のお話です。命は永遠に生きることはできません。なぜなら命とはインサイドと呼ばれている大きな世界の一部をそこに自分自身がいるかのように錯覚させることで生まれている一時的なイレギュラーな現象に過ぎないからです。命は必ず、大きな世界の中に戻っていきます。それが自然な現象だからです。それでも人は永遠の命に憧れます。実際に求めている人もいます。その心もわからなくはありません。死はとても恐ろしいものだからです。私も死にたくはありません。しかし、いつかは死を受け入れなくてはいけないときがきます。そうすることができるように、長い時間をかけて無意識のうちに人は死を受け入れる訓練をしているのだと思います。突然の死が悲しいのはこの準備がまだ終わっていないからだと思います。小さな世界がインサイドのままで居続けるのは、とても孤独な感じがします。臆病であり、また未成熟であると思います。命はミクロ的に見ればとても尊いものですが、マクロ的にみれば、それはやがて死の中にもどっていくものだと思います。おそらく永遠の命を人類で一番最初に手に入れる人がいるとすれば、その人はきっと、人類で一番臆病な人なのだと思います。あるいは一番孤独な人だと私は思います。もしかしたら、その人は私自身になるかもしれませんが、そうなったら、私は今お話ししていることを撤回するかもしれませんね。永遠の命は技術的には可能であると私は思っています。


 補足


 命はつねに死に戻ろうとします。その引っ張り合いがつねに心の中ではおこっています。成熟とは、つまりこの引っ張り合いに命が勝つことです。そうすることでつねに不安定だった線(生と死の境界)がしっかりとして命は安定します。大人になると言い換えてもいいですね。子供はこの線がまだ不安定です。だから親のあるいは社会の助けが必要となります。誰かの愛が必要になると言ってもいいです。


 眠りとはなんでしょう? 眠っている間、私たちは夢を見ています。その間、私が消えてしまうわけではありませんが、私はあいまいな存在になります。そのとき私たちは大きな世界とすこしだけ混ざり合っているのでしょうか? あるいは外側の世界を覗き込んでいるのでしょうか? また小さな世界の中で情報の整理をしているだけなのでしょうか? 眠りはなぜ必要なのでしょう? それは肉体的な(物理的な)問題なのでしょうか? 答えは今のところ私にはわかりません。


 最後に思考、それから私の専門分野である心のお話をしたいと思います。心とは私はインサイドの中に生まれる錯覚であると思っています。自分自身の体という絶対的であり物理的な線、あるいは壁があるために生まれるのが心。あるいは思考とよばれる現象の正体であると考えています。実際にはそんなものはどこにも存在しません。いや、正確にいうとあることはあるのですが、それはインサイド側でしか認識できないことなのに、アウトサイドと混ざってしまうと消えてしまうために、自分以外に私という現象を認識することができません。なので証明することは不可能であると思います。人工知能やロボットに心が生まれるのか、の問いかけの答えがこの結論にはあると思います。私はそれは不可能であると定義します。心とはとても孤独なものなのです。なぜなら心とは線を引いて、ここからこっちは私です、と私を世界から切り取ることでしか生まれない現象だからです。もし全人類の思考をまとめることができるような巨大な容量と速度をもったネットワークができれば、おそらくは人類の思考は、『たった一人の頭の中に集約されてしまうでしょう』。インサイドが大きくなり、アウトサイドを飲み込んでしまうからです。それが人類の到達点なのでしょうか? あるいは神さまと呼ばれている人の正体なのでしょうか? 私にはまだその答えはわかりません。ですか、そうなると予測しています。少なくとも個人の思考というものはだんだんとあいまいなものになっていくでしょう。空に浮かんでいる雲のように。集まり、ぼんやりとした集団的な意志となり、個体になるころにはその小さな思考は消えてしまいます。ノイズのように。雑音のように。天才と呼ばれている人の頭の中に飲み込まれてしまう。天才の心は宇宙と同じくらいに(大きな世界を飲み込むくらいに)大きいからです。世界は再び一つとなり、死と生が表と裏のように裏返る。その世界では小さな世界が死であり、大きな世界が生である。あるいはその先には同じ変化があって、ふたたび死が生を飲み込み、元の状態に戻るのかもしれなません。私にはそんな先の未来の予測まではできませんが、心とはそういうものだと思っています。

 私の心の研究は、心を生み出すことが目的です。それはつまり世界を線でわけることです。私は心とは幻であるとお話しました。それは小さな世界が見ている夢のようなものです。しかし私には心があります。証明することはできませんが、みなさんと同じように私の中にもちゃんと心(内側。小さな世界)が存在しているのです。そのことを私は誇りに思っています。私たちがこれからどこにいこうとしているのか? どんな世界を望んでいるのか? 私には、ううん。きっと誰にもわからないのだと思います。ですが最後にこう言わせてください。私は幻じゃない。私はちゃんとここにいる。私は生きている。私には心がある。私は、……私たちは、けっして無意味な存在ではない。生まれてきた命には意味がある。どんな小さな命にも。意味はあるのです。そこにあなたはいるのです。 


 補講


 神さま、あるいは宗教というものは死後の世界を空想することからはじまると私は考えています。死が神さまを必要とします。死後の世界が必要なければ、神さまを求めることもないでしょう。私は残念ながら死後の世界はないと思っています。泡が消えてなくなるように、私たちの意識は大きな世界(海)にかえるだけなのです。


 ……以上が私の研究の現時点での内容の発表になります。ご清聴ありがとうございました。(そう言って、大きなマイクをもってしゃべっていた、小さなひまわりはちょこんとその可愛らしい頭をさげた)

 ……ぱちぱちぱち、と大きな会場からは、まばらな小さな拍手があった。


 これ、ないしょですよ。(……耳元で、ささやくような声で)


 愛は奇跡である。


 あの、……、ありがとう。(少し照れながら)


 真っ暗闇の中に光がある。その光は、……たぶん、あなただった。


 幽霊ホロウのお城のどこか。(ひまわりの秘密の隠れ家)


 白い仮面をつけた、浮雲ひまわりは薄暗い部屋の中にいる。

 その部屋は、ぼんやりとした一つのろうそくのような小さな明かりが照らしているだけのとても暗い部屋だった。(舞台の一つの場面のようにも思える)

 その丸い明かりの中には机があり、その机の上には青色の幕のついている小さな舞台のような置物があった。その置物には『人形劇』という文字が掘られている。

 ひまわりはその机の前にある背もたれのある椅子に座っている。

 ひまわりの前には棒のさきについている(デフォルメされた)人形が四つおいてあった。その人形たちはとてもよくできていて、漫画のように特徴が強く描かれている形ではあるけれど、誰が誰なのか、その人物を知っている人が見れば一目でわかるような可愛らしい人形だった。

 ……一つ目が胡桃まめまき。……二つ目が小枝つばさ。……三つ目が水玉ひかり。

 ひまわりはその三人の人形がついている棒を白い手袋をしている手に持つ。

 そして、もうひとつの残っている四つ目の人形をみる。その人形は男の子の(まだ物語に登場していない)幽霊ホロウの人形だった。

 その男の子の幽霊ホロウの名前をもちろんひまわりは知っている。

「かげろう」

 とひまわりは言いながら、その『かげろう』とよばれた男の子の幽霊ホロウの人形のついている棒を手に取って、三人をもっている同じ手のほうに四つ一緒に持った。

 机の上には、さきほどの四つの棒とは違う少し遠いところに置いてある、もう二つの棒が残っている。

 浮雲ひまわりの人形がついている棒と、『大きな流れ星(みちびきと文字が書かれている)』のついている棒だった。

「私たち」

 と言ってから、その自分の人形のついている棒と大きな流れ星のついている棒をひまわりは人形たちをもっている手とは違うほうの手で持った。

 ひまわりは上を向いて両手をあげて、その人形劇の舞台の上で、四つの人形たちにひまわりと大きな流れ星が上からゆっくりと落ちていくような(世界の終わりの日のような)演技をした。

「……まめまき。あなたはけっして、私から逃げることはできない」と(星が落ちて世界が終ってから)ひまわりは言った。

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