第49話 子守唄
高木教授が立ち去ってからも、天野はずっと椅子に座っていた。
そして、目の前のキーボードをただ見つめている。
虚な目で……
焦点の合わない、霧に覆われているようなその視界の中で、ただ見ている。
自分は、何をやっていたんだ……
霞がかったキーボードに、過去が重なる。
打ち込んだ、ただひたすらに。
耳に残るほどに、打ち込んだ。
そして、浮かぶのは過去の出来事。
タカミとカムスを連れて、初めてガイアに降りたときのこと……
アシカビとの出会い……
クニヨシと一緒に呼び出しを受けたこと……
合宿の時でも、ひたすらに打ち込んだ……
加賀見先生は……
「もういないんだ…… 」
彼女への想いが交錯する。
「もうここへは来るな」「…… 定期的に順次破棄する」
その時の、その姿が浮かぶ。
「認めん、これは自分自身の事だぞ」
自分が倒れた後、タカミに関しての言い争い……
「おはよう、早くから悪いな」
秋口の挨拶……
「約束だ」
そして、夏の約束……
神社の鳥居で転びそうになった時から、柔らかな笑みを浮かべながら交わした約束まで、明瞭なまでに想いが浮かぶ。
そして、それはほのかな輪郭を残して…… 消えた。
天野は視線を、自分の右小指に向ける。
自分がやってきた事は何だったのだろう……
自分がやってきた事は[無意味]だったのだろうか……
自分は…… [無価値]…… だ……
後悔、懐古、怒り、侘しさ、喪失感。
その全てが渦巻く中で呟く。
「分からないんだ…… 」
やがて天野は力無き動作でパソコンを起動させると、VRメガネを掛けてスイッチを押し、そのまま目を瞑った。
「タカミ…… ついて来てくれ…… 」
〜〜〜・〜〜〜・〜〜〜・〜〜〜
次に天野が目を開いた時、ガイアの世界は雨が降っており、夜明け前なのか夕暮れなのか、周りはかなり薄暗い状況だった。
「ガイア内での時間は…… 」
タカミがガイア世界の時間を口にしようとするも、天野は「そんな事はどうでもいい」とばかりに、フラフラと移動する。
あまり強い雨では無い…… もちろん濡れる事すら無いが。
足元の水溜りは、小さな波紋を作り出しては消えて行く。
近くの藪の中ではカエルが一匹、ケロケロと鳴くのが聞こえる。
天野はそれらに気を留める事なく進んでいく。
そして、その背後をタカミは寂しげな表情で無言でついて行く。
やがて、小高い丘の上にたどり着くと、そこで天野は一旦足を止めた。
眼下にはモジュール達の集落が、薄暗い闇の中でかいま見る事が出来る。
ザッ! と風が吹き、周りの木々の葉枝が揺れ、数枚の葉が落ちてくる。
一枚の小さな葉っぱが、クルクルと回りながらゆっくりと落ちて来た。
天野はそれを、手の平に乗せるかのように手を差し伸べるが、それは何も無いかのように、その手を通り抜ける。
「すべて…… 紛い物だ」
力無く呟く。
言葉は落ち葉に向けられたも物なのか、それとも……
言葉を拾い、タカミはゆっくりと口を開いた。
「やめられるのですか?」
「………… 」
天野は何も答えない。
ジッと何も言わずに自分の手を見ている。
その手の指先と指先の間の向こう側から、集落の一つの入り口から、淡い光が浮かんでいる。
それに気付いた天野は、まるでその光に導かれるように、移動を開始した。
ユラユラと火の光に揺らめく入り口を、天野は背をかがめるように中を覗き込む。
中央の囲炉裏で、パチパチと音を立てながら小さな光が揺らめいている。
誰もいないようだ……
そう思った時に、火に当てられた影が動き出す。
その影はモゾモゾと言った感じで動いている。
視線を変えると、その影を作り出している正体は、麻袋のような物だった。
天野はその正体を探るべく近付く、そしてその正体は……
その正体は、麻のような荒い布と中に獣の皮に包まれた、赤ん坊だった。
赤ん坊は目をパチクリさせると、何故か天野の方に向かってキャッキャと喜び出す。
「モジュール達には認識出来ないはずだが? 」
赤ん坊を目の前にタカミに問いかける。
「はい、基本的にそうです。ですが、現世でも稀に言われる〈見えないものが見える〉や〈前世の概念〉と言った現象の再現、及び検証させるための一環です。成長すれば、この子も見えなくなるでしょう」
タカミの説明している途中で、別の影が動いた。
その影はゆっくり上に伸びると、赤ん坊の影に近付いて来る。
その影の正体は、若い女性だった。
この子の母親だろう。
そしてその女性は、もちろん天野達を認識出来ていない。
「今日はご機嫌ね」
母親は優しく語りかけると、ゆっくりと赤ん坊を抱き上げる。
天野はその様子を見ていたが、突然背を向ける。
若いその母親は前をはだけさせ、赤ん坊に乳を与えはじめたからだ。
タカミはそんな天野に、クスリとした表情をすると同時に言う。
「彼女には姿も見えませんし、声も聞こえませんよ」
「わかっているけど、そんなんじゃ無いだろ」
頬をやや赤くしながら反論する。
そして、暫くすると天野の背中越しに、優しい歌声が響き始めた。
「む〜か〜し、む〜か〜し、この〜せかいは〜♪
ふたり〜の、神に〜て、つくられた〜♪
こ〜こ〜ろ、つ〜よ〜き、おとこ〜がみ〜♪
かしこ〜き、気高〜き、お〜んながみ〜♪ 」
ゆっくりと、優しく、語りかけるように歌っていく。
その間、天野は視線を下い向けていたが、歌の途中で何かに目を奪われる。
「タカミ…… 」
「はい、曖昧システムを通して、神の概念と音楽とを…… 」
天野はタカミの説明自体を否定した。
「いや、そうじゃない…… これは…… 」
天野の言葉にタカミは天野の視線を追う。
そこには……
住居を支える支柱に縄を張り、飾られるようにしているそれ……
赤ん坊が着るには大きすぎる、そして母親である女性には小さすぎた。
何よりも、古く簡素なこの衣装には天野は見覚えがあった。
タカミはゆっくりと答える。
「はい。あの時の少女の物です。この母親は、あの時の姉妹の妹です」
発表会の時、天野が倒れた時に映し出された映像が浮かぶ。
集落が襲撃を受けた時のこと……
確かに倒れた少女の近くに、怯えて泣いていた小さな女の子。
その子がこの母親とタカミは言う。
「そうか…… 」
天野はその衣装を静かに見つめる。
そして背後では子守唄が優しく響く。
「か〜み〜は、ひ〜と〜に、ここ〜ろ与え〜♪
す〜が〜た、かたち〜を、そ〜のままに〜♪
け〜して、すがた〜を、みせぬ〜け〜ど〜♪
みここ〜ろ、我ら〜と、と〜もにあり〜♪ 」
子守唄が響く中、天野は外へ出る。
雨は完全に上がり、星は姿を消し始めている。
夜の帳は消え去っていく……
天野は明るくなっていく方向に輝く明星を見上げる。
(彼女たちは………この世界で………)
天野は星を見上げたまま、口を開いた。
「タカミ……どんな事があっても…… この世界を…… 守ってくれ…… 」
天野の言葉に静かに笑みを浮かべるタカミ。
「はい、マイマスター。何があろうとも、私たちはこの世界を[支え]続けます」
流星が煌めく中、天野と共にタカミは輝く明星を見上げる。
(生きて………いるんだ………)




