第47話 濡葉
久美は不安な表情を浮かべている。
彼女の目の前には、パソコンに向き合うクニヨシの姿。
その彼に向かって彼女は言った。
「天野君、大丈夫かな…… 」
その言葉に対してクニヨシは、一瞬眉をひそめるが、久美に顔を向けると明るく戯けるように答える。
「大丈夫だろ〜。別にとって食おうってわけじゃ無いだろ?」
だが、その言葉にも彼女は不安な表情を浮かべるだけで何も答えない。
その様子を見て、クニヨシは頭を掻きながら大きなため息を吐きながら言った。
「まあ、穏やかに済みそうじゃ無いけどなぁ」
クニヨシと久美が研究室で、その様な会話をしていた時、天野は加賀見のいる建物に目を向けていた。
〜〜〜・〜〜〜・〜〜〜・〜〜〜
「こちらの意向は君に送った書類に書かれている通りだが、どうするかね?」
男は言う。
さして広くもない部屋の中、天野は三人の人物と向き合っていた。
一人は加賀見玉緒、彼女は天野から見て左側の席に着いている。
天野が入室した際から、彼に視線を送ることもなく、目の前の書類に顔を向けたままだ。
そして言葉を放った人物が中央に、この男は確か学園で見た人物のように思える。
年齢は五十を超えてはいるようだが、体格良く精悍な感じが伺える。
最後、右側の男は三十前半の特に特徴は無い感じだが、ただ天野が入室してからずっとこちらを見ていた。
天野は口を動かさず、ジッと正面の男を直視していた
「君には二つの選択肢がある。一つはこの度のシミュレーション対決の事を外部に漏らす事なく、我々の監視下に、暫くのあいだ身を置く事。二つ目は我々と同じ仲間になってもらう事だが…… それについては色々と制約がある、誓約書通りのね」
だが、天野は視線を外す事なく、また何も喋らない。
その天野の様子に、男は天野から視線を外し、やれやれと言った感じで頭を振った。
そこに別の声が飛ぶ。
「キミは、キミが作った物は稚拙ながら、なかなか面白い物だった」
そう発言したのは、加賀見からのものだ。
天野は彼女に顔を向けるが、その表情は変わらない。
「…… 」
そして、そのまま彼女は言葉を並べる。
「未だ学生の身ではあるが、こちらに来るか? まあ、卒業は出来ないがな…… 」
これが一つの制約である。
ここで天野が加賀見のいる組織に入ると言えば、速かに編入される事になる。
そしてそれは、ガイアから離れた位置から始まる事を意味した。
天野はただジッと彼女を見ていた〈彼女が何者であるか〉を見るために。
そしてその彼女の言葉をキッカケに、彼はその口を開く。
「自分は前任者の意思を受け継ぐ事にしていますので、そのような誘いには乗れません」
用意していた言葉を舌に乗せる。
「…… 」
口をつぐみ、今度は彼女が天野を真っ直ぐ見据える。
天野の鏡のように……
「では、君には監視下に入ってもらう事となる。よろしいかね?」
中央の男が天野に向かって言う。
「ご自由にどうぞ…… 」
天野はゆっくりと席から立ち上がると、身体を加賀見に向け、胸ポケットに手をやるそぶりで、一歩足を踏み出す。
前の三人の目が急に険しいものになる。
扉付近で待機していた、SPが素早く天野の前に立ち塞がると、天野はそこで立ち止まった。
「これをお返しします」
そう言って、胸ポケットから一つのUSBを取り出す。
それは桃のストラップが付いた、USBだった。
天野はそれをSPに渡すと、同時に踵を返した。
「それでは、失礼します」
扉に向かう天野に向かって、加賀見はその背に声をかける。
「我々の機関はガイアのセキュリティーの強化により、一定期間〈ガイア〉に滞在するいくつかのシステムを順次破棄する方針だ」
その言葉に立ち止まる天野。
「ならば、それ以上のシステムを〈エデン〉に送り出しますよ」
振り返る事なく彼は言う。
そしてそのまま、SPによって開けられた扉を、天野は通り過ぎていく。
加賀見の天野へと送られる視線は、SPによって閉められる扉に遮られていった。
バタン
その扉が完全に閉まった時、加賀見は目の前を、微動だにしない大きな岩で塞がれたような錯覚を感じた。
〜〜〜・〜〜〜・〜〜〜・〜〜〜
天野は駅の自動改札口を抜けると、そのまま手洗い場に向かう。
洗面台の棚にハンカチを置き、その上にスマートフォンを置くと、蛇口を捻りその水で顔を洗いだす。
「マスター、三分後に電車が参ります」
スマートフォンからのタカミの声にも耳をかさず。
何度も何度も天野は顔を洗う。
ーーこれで本当に良かったのだろうか……
その言葉、想いを消すように……
天野は顔を上げ、鏡に写った自分を見る。
「………… 」
彼は何も言わずに顔をまた下にむける。
暫くするとびしょ濡れになっている洗面台に、新たな滴がポタポタと落ちてきた。
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「では、ガイアの新しいセキュリティーの稼働状況は順次報告していきますので」
背広姿の若い男は、やや興奮気味で喋っていた。
「こちらこそ、お願いします」
それに対し、ニコニコと笑顔で応える加賀見の姿。
「それではまた来週の、この時間に」
男は席を立ち部屋から出ていく。
「はい、お待ちしております」
加賀見は会釈と共に男を見送ると、扉を閉める。
「アシカビ次は何だ」
先ほどの笑顔の微塵もない顔で加賀見はアシカビを呼び出す。
扉の横に光の粒子と共にアシカビが現れて、そのまま次の予定の報告をする。
「夕刻より食事会が入っております」
加賀見は「くだらん」とばかりにため息を吐く、決して口には出さないが。
そんな彼女の目に止まるものがあった。
机の上に置かれた、桃のストラップが付いたUSBである。
彼女はそれを手に取り、近くのパソコンに差し込む。
「マスター…… 」
その様子にアシカビが声を掛ける。
「なに、少しばかりの気晴らしさ。一応ウィルスチェックをしてくれ」
パソコンが立ち上がる間、彼女は立ったまま机の上のコーヒーカップを手に取ると、それを口に運ぼうとする。
そして顔をディスプレイにチラリと向けると、一瞬手が止まり、そして手にとっていたコーヒーカップをまた机の上に戻した。
彼女はゆっくりと身体の向きを変え、窓辺に向かう。
毅然とした後ろ姿が美しい、窓からは夕刻に差し掛かろうとする赤みを帯びた陽の光が差し込んでいた。
「無様だな…… 」
彼女は呟く。
「醜いほどに…… 」
飾られたカーテンに触れると、それを掴む。
「探し求めたものが…… 去った場所から見つかり…… もうそこには…… 」
彼女の後ろ姿は微動だにしない。
だが、窓辺に置かれた小さな観葉植物の葉は、どこからともなく現れた滴により、小さく揺れた。
揺れる葉の隙間から、ディスプレイが見える。
そこには、世界樹と呼ばれてもおかしくない、巨大な大木を思わせる風貌の、天野の発展したエデンシステムルーティンが表示されていた




