第37話 修羅場
紅葉も抜け落ち、寂しげな枝葉の中を乾いた風が突き抜けて行く。
雪はまだ降ってはいないが、どんよりした雲からいつ降ってもおかしく無い。
ダウンジャケットを着て、首元に巻いたマフラーからは、時折り白くなった息が立ちあがる。
たまに吹く鋭い風が、天野の頬を差す。
「今日は一段と寒いな…… 」
そんなことを呟きながら、彼は研究室に向けて足を運ぶ。
しばらくすると、風に運ばれてチラホラと雪が降ってきた。
そして建物に到着すると、入り口にあるタッチセンサーに手をかざす。
自動でドアが開くと、その中に入って行った。
「ふぅ」
建物の中はまだ暖房が効いていなかったが、風が凌げる分、まだましだ。
そのまま研究室に向かうと、部屋に電灯が灯っており、すでに誰かがいるのが分かった。
ガチャッ
「おはよう」
ドアを開け中に入ると同時に声を出す。
「天野君、おはよー」
中にいたのは久美だった。
彼女も天野に向けて挨拶をかわす。
天野はそのまま更衣室のほうに向かう。
そして、研究者用のツナギに着替えた。
これは、人の関節部分に特殊なチップを取り付けられており、ガイア内で人体の動きに合わせて、義体を動かせれるようになっているものだ。
着替え終わって天野は更衣室から出てくる。
「更衣室にもエアコン欲しいよな」
「今日も寒いからね。けどいいじゃん、ここの更衣室そのまま使えるんだから」
そう言う彼女はすでにツナギを着ているが、ここの更衣室は使っていない。
ちょっと離れたところにある、学園の女子更衣室を使っていた。
「まあな。で、どうだ?」
「うん、いつでも入れる準備出来てるよ」
今日はエデンシステムを組み込んだガイアに潜る予定の日で、自分たちの視点でシミュレーションの稼動内容に、違和感や不具合が発生していないかを確認するために来たのだ。
「じゃあ早速入ってみようか」
「了解〜」
そう言うと二人はメガネを装着し、フチにあるスイッチを押す。
LEDライトがオレンジがらグリーンに変わった時……
そこは草木の生えたガイアの世界だった。
天野達は、シミュレーションを行なっているモジュール達の集落から、少し離れた場所に降り立った。
「エデンシステムを組み込んでも既存のオブジェに影響は無いみたいだな」
天野は近くの木に向かって、それをジッと見ていた。
木陰の隙間から陽射しが差し込み、風に吹かれた葉が揺れ、キラキラとした光が降り注ぐ。
「うん、データ処理量はかなり増えてるけど『天』にはまだ余裕みたいだね」
そして、視線を他に移すと、そこには小さな集落が見える。
「大丈夫?」
久美が天野に向かって言う。
発表会の事を懸念しての言葉だろう。
天野はしばらく集落の方を見ていた。
「ああ、大丈夫みたいだ。今日は特別に変化は…… 」
ヌッ
急に二人の背後から大きな影がよぎる。
ビックリしたまま硬直した二人の間を、それは気に留める事なく通り過ぎた。
それは、簡素な衣類を着た壮年の男性だった。
左肩に弓を背負い、右手に二羽のウサギをぶら下げながら、集落の方へ向かっていく。
「ビ、ビックリした」
「ま、また倒れるの勘弁してね」
そう言いながらも、二人は歩いていく男の様子を見る。
ぶら下げられている獲物の動き、歩く男の影と木々との影の重なり具合、歩調と身体の動き。
男の後をついて行きながら、思いつくところをつぶさに観察する。
「ガイアにおける、モジュールの運動演算処理は問題無いみたいだな」
「光と影の濃艶も全然違和感無いわね」
やがて男は集落内にある一番大きな家の中に入って行った。
その家は竪穴式住居ではあるが、かなり立派なものである。
「住居の構造もかなり改善されているな…… 」
「周りのはそうでも無いけど、この家は大きいね」
この集落のうち、この家だけが大きく作られている、他はそうでも無い。
「この集落の有権者かな?」
久美の質問に興味が出てきた。
「かもな、それならこの世界に社会的秩序が形成されたことになる」
家の前に置いてある土器を見ても、形状も色々あるみたいだ。
「文化レベルの向上ってのも、これなら言えるんじゃない?」
久美は嬉しそうに言う。
「そうだな、実際の世界でもそこら辺はハッキリとしていないから、十分だと思う」
言葉を返す天野も嬉しそうだ。
そこにアシカビの言葉が聞こえてきた。
「久美ちゃ〜ん、あまの〜、お客さんだよ〜」
「「お客?」」
二人は頭に?を生やしていると、別の声が聞こえてきた。
「二人ともガイアか?」
加賀見助教授の声である。
「はい、今から戻ります」
「いや、そのままで良い。客と言うのはゼミの新入生だ。暫くしてからそちらに向かう」
そう言えばもうそんな時期かと二人は思う。
「(そう言えばあの子どうしたのかな?)」
久美はあの時のことを思い出す、彼女はあの時去り際に、このゼミに入ると言っていた。
ただ、専攻が異なるので、ここに入る事はかなり難しいはずだ。
対する天野も似たような事を考えてた。
まあ、彼の場合は、入って欲しいような、欲しくないような複雑な心境を含んでいたが。
「待たせたな、今からガイアに入る。アシカビ、タカミとカムスも呼んでくれ」
声と同時に視界に光の粒子が湧き、キラキラと光を放つ。
そして、そこから現れたのは加賀見助教授と伊澤美奈、すぐ横に、アシカビとタカミ、カムスの姿だった。
「デートの最中にすまないな」
開口の第一声がそれであった。
一番反応したのは、久美だった。
「な、何を言っているんですか! タm a…… 加賀見先生!」
慌てながらも、新入生のまえ、言い直したのは褒めてやりたい。
加賀見は悪びれた様子もなく近づいてくる。
「二人とも知っているとは思うが、新しくウチのゼミに入る伊澤美奈くんだ」
その紹介の仕方に美奈は、恐る恐る加賀見に質問する。
「ああ、言ってなかったな、一連の事件の事は知っている。もちろん天野と馴染みである事もな」
「え! そうなんですか⁉︎ 」
美奈にしても、あの時の状況を振り返るとかなり恥ずかしいものなのだが、天野と久美以外で知っている人がいるとは思わなかった。
加賀見としてはどんな内容だったのか、具体的な行動を知っているわけではなかったのだが、美奈という学生が天野の幼馴染みで久美とも面識がある事は、タカミシステムの完了報告時に分かっていた。
「ホラ、紹介だ」
加賀見から諭され、慌てて自己紹介を始める。
「あ、あの、今度新しく高木研究室AI課に入る。伊澤美奈です」
そう言ってペコリと頭を下げる。
その時……
下げた頭が途中で止まり、彼女は痛そうに額に手を当てる。
慌てて加賀見は彼女の方に向かった。
「大丈夫か? ガイアだからな、ちゃんと現実の事を考えないとこうなる」
「すびませ〜ん…… 」
鼻頭を押さえながら美奈がいう。
おそらく机に座った状態でガイアに入っていたのだろう。
普段、ツナギは着てもセンサーは上半身だけを稼働させて、下半身部分はほとんど使う事はない。
下手に動くと彼女のようになるからだ、移動はカーソルで行う。
「入れたんだぁ〜、おめでとう。これからよろしくね」
久美が彼女にニコニコしながら声をかける。
「はい、こちらからも、よろしくお願いします」
返す美奈も笑顔で言う。
美人というより可愛い、それもかなり、先ほどの事は忘れてあげよう。
その笑顔を見た久美がウズウズしだして、ついに彼女に飛び掛かり抱きつこうとした。
ガンッ
隣でリアルな音がする。
多分、ディスプレイにぶつかった音だろう、これは覚えておこう。
「バカ…… 」
思わず声に出す。
「だって、嬉しいじゃない!」
そんな中、美奈が口を開いた。
「二人とも、仲がいいんですね。付き合っているんですか?」
笑顔のままの爆弾発言である。
焦り出す久美の横で、天野は何故か不穏なモノを感じ取っていた。
「いや、いや、付き合っているわけでは…… ま、まあ研究のパートナーとしてなら、そうとも言えなくもないというか…… 」
しどろもどろに言い訳じみた口調で話す久美、おそらく本人は何を言っているか分かっていないだろう。
「ふ〜ん。天野先輩」
美奈は天野に向き合う。
「え、な、なんだい?」
不穏な空気が加速する。
天野の態度も久美に似てきた。
「昔の呼び方してもいいかな?」
両手を組み、首を傾かせ、とびっきりの笑顔で彼女はそう言った。
それだけで天野は軽いパニック状態に陥った。
「うわ…… な…… ああ。………… あ?」
驚いた衝動であまり考えずに、生返事をしてしまった。
次の瞬間、美奈はハッキリと笑顔で言った。
「わ〜 ありがとう、刀・那・お・に・い・ちゃん♪ 」
彼女がそう言った途端、天野の背筋に悪寒が走り、殺気じみたものが感じられる。
視線を戻すと、笑顔のまま青筋を立てている久美と……
少し離れた場所では、なぜか渦巻く暗い淀んだ空気の中に加賀見先生の姿があった…… なんか目が赤くないか?
それらの様子を三体のAI達は……
アシカビはニヤニヤした表情で……
カムスは真剣な表情で……
タカミはキョトンとした表情で見ていた。
タカミはカムスに顔を向け問いかける。
「カムス、マスターは何故困った表現をしているのでしょうか?」
カムスは天野達への視線を逸らさずサラリと答える。
「タカミ、そこは表現ではなく表情が正しいわ。それと…… まだまだ[認識]不足ね…… 」
その言葉にタカミは首をかしげた。
「よく見ておきなさい、これが修羅場と言うものよ」




