第35話 返事
秋も深まり、学園の街路樹は鮮やかな彩りを放つ。
その中を、天野は亀のように首をすぼめて歩いていた。
「ふー、寒い」
彼の吐く息は薄く白を纏い、澄んだ風に散っていく。
彼は加賀見女教授の教員室に向かっていた。
建物の入り口近くまで足を運んだ時、加賀見助教授の姿が目に入った。
「おはようございます」
「ああ、おはよう。早くから悪いな」
「いえ」
彼女はタートルニットにテーパードパンツ姿でムートンコートを羽織っている。
周りの紅葉の色彩と相まって美しい、モデル雑誌を飾ったならば話題になってもおかしくはない。
天野は少しばかり見惚れた。
「寒くなりましたね」
「そうだな。風邪をひかないようにな」
「はい」
並んで教員室に向かう。
加賀見女教授は扉の前で立ち止まり、横にあるタッチパネルに手をかざした。
カチッ
加賀見は先に部屋に入り、その後を天野がついて行く。
そして、部屋に入るとすぐにアシカビに命令した。
「アシカビ、部屋のエアコンを付けてくれ、それと同時に空間表示システムもだ」
その言葉と同時にエアコンとパソコンに電源が入り、扉を開けたと同時に点灯した部屋の照明は、薄暗くなっていき光を絞った。
パソコンの立ちあがり時間さえ待てないようで、加賀見助教授は天野に話しかける。
「さて、タカミの[葛藤]の件だが」
「はい」
「あれは、[自我]を持っているとは言い難い。だが、[自我]では無いとも言い切れない」
「は?」
加賀見は、相変わらずの天野の間抜けな返事にも気に止める事なく、話を続ける。
「カムスも厄介なものを作り出したものだ。あれはな、アシカビやカムス同様、外部からの情報を取り入れているのだが、ただ取り入れているのではなく[曖昧システム]を通してからだ」
そこまで言った時、パソコンが立ち上がる。
そして加賀見は、それを操作しながら話を進める。
「なので、アシカビやカムスに比べると情報の正確性は高くない。高く無いと言うより低いと言えるべきだ。
[曖昧なもの]を取り入れている訳だからな。だが、取り込む情報が膨大なのだ。アシカビとカムスを足してもお釣りがくる」
「そんなにですか?」
「ああ、『天』のいわゆる[ドッペルゲンガー現象]が起こらないのも、それが理由だろう」
「では何故タカミは[自我]を持つようになったのですか? 」
「[自我のようなモノ]だな。説明する。アシカビ、準備が出来た、展開してくれ」
加賀見と天野の間から、下から上へとタカミのシステムが表示される。
巨大な柱を思わせる姿、天野の自立思考システムに非常に近い。
「これがタカミのシステムだ。見て分かる通りお前の自立思考システムに非常に似ている」
「はい」
「ああ、だがこれは似ていると言うだけでは無い。アシカビ、[曖昧システム]を赤で表示してくれ。他のシステム類は薄く表示」
すると、下から数本の赤いラインがスルスルと上に登っていく。途中でいくつかに枝分かれして、各システムに絡み付くように、膨らむように表示されていく。
そして、それがその全容を表した時、それは奇妙で特殊な形状を現した。
「な!」
その現れたモノの形に天野は絶句する。
「驚いたろう。私も初めて見た時は同じ気持ちだったよ」
そこに表示されたモノは、正に人間の[脳]の形状だった。
見上げる二人。
そしてそのまま、加賀見は話しだした。
「姿もそうだが、あまりにも不可解な部分が多すぎる。しかし、ここでは話を戻そう。[自我]の件だが、調べてみるとタカミが医療用のAIであった事が大きく起因している」
「………… 」
「仮に、このシステムを単独で組み上げたとしても、タカミであった[葛藤]のような行動は発生しない」
「………… 」
「医療用AIだったからというのもあるが、天野、お前と過ごしてきた時間、それに伴うデータという名の経験が大きく影響している」
加賀見は天野に顔を向ける。
「カムスはタカミの医療システムを残そうとした。これはガイアに必要だからでなく、お前のためだ。そして、それは[曖昧システム]を通すと具合が悪い。分かるな?」
天野はタカミのシステムに魅入ったままだが、彼女の言葉は耳に届いているようだ。
「医療を[曖昧]には出来ませんからね」
「そうだ、そこでカムスは医療や医学に関する事を重点的にタカミに組み込んだ。学術的な物だけで無く、精神性的な物もだ」
「精神性?」
「優しい医者と口やかましい医者、かかりつけるなら、どっちが良い? 」
「ああ、はい分かりました」
「その結果、カムスと主にアシカビの外部情報より、医療に関わる人物の理想像的な擬似人格をタカミに与えた。ここまでは、まぁいい」
「(いいんだ…… )」
「問題はこの擬似人格とは別の擬似人格が存在した事だ」
「え? 」
「本来の医療用AIとしてのシステムだ。カムスはこれを消去しなかった。このためタカミは二重の人格が存在しているようなモノになったのだ。そして二つは同時に結合もしている。結果、[葛藤]という例の現象が起こった事の真相は、新しいシステムと既存システムが衝突し干渉した事によって発生したという事だ」
「それでは確かに[自我]とは言い切れませんね」
「だが、どうにも解せないのだ。医療行為を放棄して、その幼馴染みの学生との会合を[選んだ]事が。それにタカミの報告を最初に受けた時、私は豊野に報告書を求めたのに対し、即座にタカミはそれを作成しアシカビに渡した。学園にお前の医療システムを渡そうとした事もそうだ」
加賀見は天野を見据えて言った。
「タカミは[考える事]が出来ている」
そして次には、少し肩を落としなら話を続けた。
「細かくシステムを解析しようとしても[曖昧システム]のその作用のせいで、明確にコレだと言う確証が出来ない。私が[自我を持って無い]とは言い切れない部分が今の内容だ」
そこまで言うと、加賀見は棚にあるコーヒーメーカーの方に向かう。
その時、アシカビの声が聞こえた。
「マスター、海外からメールが一件送られてきました。開きますか?」
加賀見はコーヒーカップを用意しながらアシカビに応えた。
「いや、いい。お断りの内容で返信してくれ」
内容も確認せず、その様にする彼女に天野は驚いた。
「あの…… いいんですか?」
恐る恐ると言った感じで聞いてみるが、彼女は何でもないように答える。
「ん? ああ、以前、向こうにいた大学からのお誘いでね。発表会以降、頻繁に来るんだよ」
「お誘いですか?」
「何でも新しいガイアの研究部門が出来るらしくってな、そこに移籍しないか? ってお誘いだ」
何なく答える加賀見だが、天野にとってはとんでもない内容だった。
「い、移籍するんですか?」
身を乗り出して、迫るように聞く天野。
それを見て彼女はビックリした表情になるが、すぐにクスクスと笑い出す。
「何を言っている。今、アシカビに伝えた通りだ。お断りするさ」
天野はまだ不安な表情をうかべている。
そんな彼を見て、加賀見は肩を竦めながら言う。
「全く向こうの新しい研究とやらに興味が無いわけではないが、目の前にある宝石箱を手放す訳が無いだろう?」
そう言って、彼女は笑う。
天野は彼女の言う宝石箱が何なのか理解していなかったが、移籍する様子が無いことを感じてホッとした。
そして二人は改めてタカミのシステムを見上げる。
そして天野はそれを見上げながら口を開いた。
「先生、自分はガイアを、いやエデンを完成させたいです」
その言葉に加賀見は笑みを浮かべ言葉をかえした。
「完成させるには、まだまだ時間がかかるだろうな。それこそ、学生の期間内には…… 」
「加賀見さん! 」
いきなりの[さん]付けでの呼びかけに、加賀見はビックリし声の主の方へ顔を向けた。
そこには半透明のタカミのシステムを越して見える天野の姿。
そして、彼の目は真っ直ぐに彼女に向けられている。
「自分はこれを完成させたいです。ですからあなたを…… あなたのその知恵を自分に下さい」
天野のその表情、言葉に対して、加賀見はボーッとした表情を浮かべ、徐々に顔を赤らめていく。
だんだん鼓動が速くなっているのが分かる。
だが、これが何であるのかを加賀見は分かっていない。
(なんだこれは、どうした私、落ち着け)
「加賀見さん?」
天野はシステム表示を避け、右回りに近付いてくる。
「ま、まて…… 」
(まて、まて、これはタカミのシステムを改めて見て興奮しているのだ。そうだ、そうに違いない。まずは落ち着こう)
わずかな時間で、無理やり自分に答えを出すと、やっと彼女は落ち着きを取り戻す。
「いや…… ああ、もちろんだ」
顔は少しまだ赤いが、落ち着きを取り戻した加賀見は、いつもの口調で答えを返した。
近付いた天野が手を伸ばして来る。
握手だろうと加賀見も手を出すが、伸ばした先のお互いの手の形状が違っていた。
一瞬、加賀見の動きが止まる。
天野は小指を差し出していた。
それを見て、また加賀見の鼓動は速くなる。
「合宿の時のお返しです」
天野は笑顔で加賀見に言う。
「あ、ああ、そ、そうだな…… 」
しどろもどろに答えると、彼女は天野に小指を差し出した。




