第32話 再生
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加賀見助教授の部屋から出てきた久美の表情は不満げである。
その久美も研究室に向けて足を運んでいたが、途中で研究室のある階に、設置されている自動販売機で足を止めると缶ジュースを取り出した。
ふと、研究室のほうに顔を向けると知らない女子学生が目に止まった。
いや、知っている。
高木研究室に入りたがっていた伊澤美奈だ。
「何をしているのだろう?」
雰囲気的に何かおかしい。
時刻は夕刻を過ぎ、日も傾いている。
「ま、ま、まさか告白?」
こうなると気になってしょうがない。
久美は身を隠すようにして研究室へ近づいて行った。
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何故、ここに……
天野は突然現れたその人物に戸惑いを隠せない。
彼女は真っ直ぐ天野に向かって来る。
彼女が近づく、顔をあわせられない、あわせたく無いと思いながらも、そむける事さえ出来ない。
彼女の姿を視界に捉えていながらも、真っ直ぐに向き合うことは不可能であった。
目眩にも似た感覚をもって、彼女は近づいて来る。
一つだけハッキリしていること、それは彼女の目が真っ直ぐ天野を捉えていることだ。
(いやだ! 来ないでくれ!)
声なき声で叫ぶ。
ガタンッ
バランスを崩し椅子から尻餅をつくように落ち。
そこからズルズルと後ろに下がるが、すぐに壁につかえた。
罪悪感・後悔・焦燥感、そして恐怖、それらの感情が天野の中で増幅されていく。
心臓の鼓動が聞こえて来そうなくらいに、激しく波打つ。
(タカミ返事をしてくれ! タカミ助けてくれ!)
彼女はもう手に届きそうな距離に来ようかとしている。
(いやだ、いやだ、いやだ)
恐怖で身体は竦み、足はガクガクと震えている。
天野の必死な抵抗は、ただ目を閉じることだけだった。
だが、それでも逃れれることは無い、脳裏に幼い彼女が浮かび上がり呪いの言葉がこだまする。
「…… なんか、いなくなっちゃえ」
「…… なんか、いなくなっちゃえ」
「…… なんか、いなくなっちゃえ」
(ごめんなさい、ごめなさい、ごめんなさい…… )
幼子のように心の中で叫ぶが、言葉となって出てはこない。
(ごめんなさい、ごめなさい、ごめんなさい…… )
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その様子を見て久美は飛び出そうとしていた。
あの様子だと、発作を起こしかねない。
久美が部屋に入ろうとしたその瞬間、目の前にタカミが姿を現す。
そして、入室を拒むかのように両手を広げ、顔を横に振る。
「そのまま、静かにお願いします」
「タカミ…… なんで…… このままじゃあ」
「分かっています」
冷静なそぶりでタカミは久美に告げた。
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伊澤奈美……
彼女は沈黙していた。
少しばかりの沈黙……
……怯える天野にとって永遠かと思われた……
……その沈黙は
彼女のかき消えるほどの呟きで、破られた。
「ごめん……な……さい」
天野はかけられた言葉の意味を理解できない。
(ご、めんな、さい……?)
(何を言って…… )
また、彼女の言葉が小さく響く。
「ごめんなさい」
彼女は自分に向かって(ごめんなさい)と、そう言っているのだ。
言葉の意味をさぐり理解した時に、天野は初めて彼女の顔を見た。
そこには、大粒の涙で溢れた伊澤美奈の姿があった。
「わたしは…… あなたに…… ひどい言葉を…… 」
そこまで言うと彼女はその場で泣き崩れた。
混乱していた天野は小さな姿で泣く彼女の姿を見て、しだいに落ち着きを取り戻していった。
(彼女は…… )
少しばかりの安堵感を感じる中で……
天野は昔を思い出していた。
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「私の中では警告音が鳴りっぱなしです」
タカミの左目は先ほどから黄色の光がチカチカと点灯している。
その瞳をよく見れば[COUTION]の文字が浮かび上がっている。
「以前の私であるなら、彼女から距離をとらせ、病院に連絡する等の処置を行なっていたのでしょう」
「なら…… 」
「しかし、もしかしたら状況によって、マスターの心病の改善が見込まれるかもしれません」
「…… 治るの?」
「…… 分かりません」
「分からない?」
「…… あなたには以前お教え出来なかった。マスターの病についてお話ししましょう」
途端にタカミの目の色が黄色から赤に変わる。
「タカミ…… その目…… 」
「ええ、今からお話しすることは、マスターの過去のことであり、プライバシーの侵害として絶対にあってはならない事です。ですが私はあなたに、その情報を提示することを選びます」
そんなタカミを久美はじっと見つめていた。
「何でしょうか、伝えてはいけないと思う私と、伝えなければならないと思う私がいる。…… これは人で言う[葛藤]と呼ばれるものなのでしょうか」
久美は大きく目を見開く。
「タカミ、あなた…… 自我が…… 」
タカミは久美の発したその言葉には何も触れず、己の言葉を続けた。
「私が、マスター…… 天野さまの元に来た理由ですが…… 」
ゆっくりと、久美を見据えて語り出す。
赤い目を点滅させたままに。
「天野さまが八歳の頃、天野さまととても親しいご友人がおられました。そのご友人の名前は伊澤照美さまとおっしゃる方で、あそこにおられる美奈さまのお姉さまにあたります。三人は非常に仲が良く、いつも一緒に遊んでおられましたが、ある時…… 」
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そう、それは僕が八歳の時……
僕と照美姉さんと美奈ちゃんでいつも遊びに行く場所……
家の近所に大きな公園があった。
その公園はかなり古かったが、そこにある遊具は大きな滑り台やロープを使用した大きなジャングルジムがあった。
僕はある時、そのジャングルジムのテッペンに登り、その不安定な場所に立ち上がる。
「な! 何をしているの! 危ない!」
「だ、大丈夫だって」
美奈ちゃんが真似をするからと言って、登ってはいけないと言われていたジャングルジム。
その時は美奈ちゃんいないからと、僕は真っ先にその遊具に飛びついたのだ。
「ダメ! 早く降りなさい!」
なかなか降りてこない僕に、照美姉ちゃんはジャングルジムに登り出す。
ゆっくり近づいて来る姉ちゃんは少し震えているような感じだった。
そしてテッペンの近くに来た時、笑おうとしながらも不安げな顔で僕に呼びかける。
「危ないから、ね」
僕はその顔を見た時、罪悪感みたいなものを感じた。
「…… うん」
そして僕はしぶしぶと言った感じで、ジャングルジムを降り出す。
お姉ちゃんは僕が下に着くまでジッと見ていた。
そして、僕が地面に着いてお姉ちゃんを見上げた時、お姉ちゃんの後ろで僕の真似をしようとしている、僕より小さな男の子に気づいた。
「あっ!」「えっ?」
その子がバランスをあやまって…… そこから落ちそうになり…… それをかばおうとする影……
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「男の子の方は骨折はしましたが、命に別状は無く…… ただ、お姉さまはそれが原因で…… 」
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そこから先はよく覚えていない……
霞がかっているというか、ボヤけているというか……
ただ、次に思いだせるのは、葬儀のとき……
大人たちの悲しみの中、大声で「お姉ちゃん」と泣き叫ぶ僕より小さな女の子。
(謝らなくちゃ…… でも……)
そんな彼女の肩に触れ、慰めようとしている大人の人。
その人が男の人なのか、女の人なのかも思い出せない。
ただ、彼女は肩に触れた大人の手を大きく振りほどき、その勢いで僕の方に体が向いた。
「お兄ちゃんのせいだ!」
彼女は叫ぶ。
「登るなって、言われてたのに!」
(だから…… あやまろうと…… )
「おにいちゃんなんか、いなくなっちゃえ!」
恐怖と罪悪感がうごめく。
声が出せない。
そう叫んだ彼女に覆いかぶさるように抱きつく彼女の母親。
彼女の姿が母親の体で遮られることで、恐怖がやわらいだように感じた。
(あやまらないと…… )
膝が震える。
足を半歩ほど進めたとき、彼女の母親がこちらを向いた。
「‼︎ 」
涙に顔をはらし、髪は乱れ、するどい眼光を放つ。
【拒絶】
あまりの恐怖に、踏み出した足が元に戻る。
そして、そこから動けない、体中が震える。
顔をそむける事も出来ない。
自分を睨む視線は左右から現れる大人たちのボヤけた影で遮ぎられていき。
視界はそのまま闇に閉ざされた。
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「それからというもの、マスターはふさぎ込み、誰とも会おうとせず。また[死]というものに、過剰に反応するようになりました。いくつかの病院を渡り、カウンセリングを受けていましたが、マスターは病院の先生や看護の方々にも、なかなか心を開こうとせずにいたそうです。それでも、時間と共に学校に行けるほどに改善したかに見えました。ですが、ある日…… 」
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「おまえなんか、いなくなっちゃえ」
原因は覚えていない、言い争いから発せられたクラスメイトの言葉。
その言葉に、もう一つの声が重なる。
「おまえなんか(おにいちゃんなんか)、いなくなっちゃえ(いなくなっちゃえ)」
(僕は…… )
(僕は、この世界にいちゃいけないんだ…… )
モノクロの世界…… 床に幼き天野の影が写る。
その影はフラフラと歩くと立ち止まり、影は左の手首を見る。
キチキチと金属の音が鳴る、同時に右手からは刃物のような影が伸びていった。
それが、左手の影にあてがわれると、右手の影は素早く引き抜かれる。
影は左手首をジッと見つめ、右手の影はダランと下げられると同時に何かを手放した。
カラン
影は地面にそれが落ちても気にしない、ジッと左手首を見つめている。
やがて、左の肘からポタポタと滴の影が落ちると、その影はその場でドサリとした鈍い音と共に、崩れ落ちた。
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「原因はクラスメイトとの、ささいな事での口げんかから起こった事でしたが…… その言葉がきっかけと言われています」
「酷い…… 」
「いいえ、それ自体はどこにでもある子供のケンカです」
タカミは久美に向かって小さく横に首を振る。
「ですが、その言葉はマスターにとっては呪いのようなものでした…… ご両親は非常に驚愕なさり、そして……」
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「息子さんは、これからの生活の中でフラッシュバックの発生が懸念されます」
「な、治らないんですか?」
「いえ、ただ長期の治療が必要となりまして、ちょっと紹介したいものがあるのですが」
そう言うと、病院の医師はタカミの姿をのせた一つのパンフレットを差し出した。
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「そうして私はマスターの元に来たのです」
不思議そうな面立ちでタカミを見る久美。
久美はその話を聞きながら、足を組みふさぎ込んでいる天野に、微笑みながら会釈するタカミの姿を連想させた。
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「ゆるせ…… ない……んだ」
天野から言葉が出る。
彼の声を聞いた美奈は一瞬大きく目を開くが、その言葉の意味を知ると恐怖し再び強く瞼を閉じた。
「僕は…… 自分自身の事が…… 許せないんだ」
ゆっくりと彼は言う。
「キミは悪くない…… 悪いのは僕なんだ…… 」
美奈は顔を上げる。
涙で崩れた視界のなか。
彼女に写る天野は虚ろな目を宿しながら、わずかに微笑みを浮かべていた。
「悪いのは僕なんだ、だから美…… キミは謝らなくていい…… 」
天野はゆっくりと彼女の肩に手を乗せようとしていた。
そのしぐさの中、美奈は〈許せない〉と言う言葉が自分に向けられていない事で安堵しようとした。
だがその時、彼女の目に写ったものは、ズレたリストバンドから現れた……
古い傷跡
それを見た瞬間、安堵という言葉は彼女の中からかき消された。
天野の手が美奈の肩に触れようとした時、美奈はその手を抱きかかえるように掴む。
天野はバランスを崩し、片膝をついた格好になり、美奈の行動が理解できず呆けた表情を浮かべる。
「違う…… 」
彼女は呟く。
天野は彼女の行動と言葉が理解できないままに優しく声をかけた。
「そんな事はないよ…… 」
「違う、違う、違う!」
彼女は泣き叫ぶ。
「だって、おにいちゃん! こんなにも傷ついているじゃない!」
そう叫ぶと力強く、天野の手を掴んだまま顔を向けた。
彼女の顔の横には、涙で濡れた自分の左腕…… 古い傷跡が見える。
(ああ、それを見たのか)
天野は自分が奇妙にも冷静だなと思いつつ、彼女の顔を見る。
目をはらし、大きな涙を浮かべ、前髪を乱している。
それを見て、彼女の昔の面影を浮かべた。
彼女は本当に泣き虫だった。
オヤツの取り合い、かけっこでの転倒、おもちゃの奪い合い。
(美奈を泣かせては、照美姉さんに叱られていたっけ…… )
「また、美奈を泣かせて! 女の子泣かせちゃダメでしょ!」
その頃の事を思い出す。
ある時は、自分が泣いているときに……
「ほらほら、男の子なんだから、しっかりしなきゃ」
そう言って優しくて微笑みかける照美姉さん……
天野は小さく深呼吸するとともに、目を閉じる。
そして、再び目を開くと優しく語りかける。
「美奈…… 美奈…… 」
「それは、ただの古い傷なんだ。もう大丈夫だから」
それを聞いても、顔を伏せ首を横に振る美奈。
そして、顔を伏せたまま天野に聞いた。
「それなら…… なんで…… 自分を許せないって言うの。何でなの」
この時……
ただこの瞬間に……
思い浮かべた想いを天野は……
言葉にのせた。
「だってな、美奈…… 僕は忘れたくなかったんだ……照美姉さんの事………… 大好きだったから」
天野の中で、何かが抜けおちる。
自分は冷静だ、気分も落ち着いている。
けど…… けど……
涙が止まらない
まるで堰を切ったように天野の目から涙が溢れ出す。
「ははっ…… カッコ悪いよな…… 」
美奈は顔を左右に振る、彼女もまた涙に溢れたままに。
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「まだ、心拍数も脈拍も高いですが、正常値に戻りつつあります。もう、大丈夫でしょう」
「でも…… 」
「後は私に任せてください」
すると、タカミはゆっくりと彼のマスターの方行へ体を向けた。
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目を赤く腫らした二人が少し落ち着いたのは、数刻たってからであった。
少しばかり周りが見えてくる。
視界の片隅にぼんやりと光るものがある。
それに気付いた天野は、霞む目でその姿を捉えた。
「タカミ…… 」
その言葉を合図に美奈も上体を起こし、タカミの方を見る。
彼女が初めて見るタカミの姿は、ほのかに光を放ち、彼女はどことなく神々しさを感じていた。
その背後に、以前案内をしてくれた先輩の姿をとらえ、気恥ずかしさと一緒に焦りもあったのだが、泣き疲れた後の怠惰感がその気持ちを薄め、徐々に冷静さを取り戻していった。
少し距離を取り、スックと立ち上がると、一度手首で目元を拭う。
「先輩、研究中にすみませんでした」
美奈は天野にペコリと頭を下げると扉の方に向かう。
「すみませんでした」
そして、久美に対しても頭を下げる。
そして頭を上げると笑顔で言った。
「先輩、私やっぱりこのゼミを希望する予定です」
「う…… え、ええ………… はい」
久美の奇妙な返事と共に、天野も口をポカンと開く。
「失礼します」
そう言うと、美奈はタッタッタッと早足でその場を立ち去って行った。




