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第19話 曖昧なもの

 リー リー  リー♪


 鈴虫が静かな羽音を奏でる中。

 ふわりとした風が、旅館の垣根に吊るされた風鈴をかすかに鳴らす。

 開けられた窓からそれは入り。

 天野の頬を撫で、前髪を揺らす。


「ん」


 ムクリと起き上がると、天野は窓の方を見る。

 暗い夜空に浮かぶ月。

 その光に当てられ、海面はぼんやりと光を帯びている。

 視線を部屋に戻すと、床には空になった缶ビールやおつまみの袋が散在となっており。

 隣では浴衣をはだけさせ、大きなイビキをかいているクニヨシがいる。

 昨日の夜は発表会の後に、加賀見助教授の呼び出しを受けた、彼の絡み酒に付き合わせるハメになった。

 だが、それで助かったように感じる。

 天野はしばらくクニヨシ寝顔に静かな目を送っていたが、ゆっくりと立ち上がると着替え始めた。


「ふぁ〜」


 あくびと共に両腕を上げ伸びをしながら旅館を出る。

 空と大地の境界はやや白みを帯びてきているが、太陽はまだ顔を出す様子は無い。

 髪が揺れる。

 潮の香りを受けた彼は、その方向に顔を向ける。

 わずかに聞こえる波音を拾うと、彼は足をその方向へ向けた。


 天野のいる道から海岸線は高低差があり。

 それを繋ぐ古いコンクリート造りの階段を、錆びた手すりを頼りに降りていく。

 階段を下りた先は舗装されておらず、海岸線までは草木が生い茂っていた。


 その時、ふと天野は人影に気付く。


 白いワンピースを着た若い女性のようだ。

 何か、上の方を気にしているようだが、暗くてよく見えない。


(まだ薄暗いのに不用心なんじゃないかな)


 そんな事を思いつつも、自分が不審者に見られても嫌だなと思い、天野はそこでわざとらしい咳をした。


コホッ! コホッ!


 相手もこちら気付いたようだ。

 こちらに顔を向けるが、動く様子はない。

 女性はそのままの位置にたたずんでいる。


(通りすがりに、挨拶すればいいか)


 目線を合わせないように歩きながらそのタイミングを図るが、お互いが数メートルの距離となった時、先に声を掛けたのは女性のほうだった。


「天野か、ずいぶん早いな」


「加賀見先生」


 その女性は加賀見助教授だった。

 

「どうした、こんな時間に?」


「いえ、クニヨシのイビキで眼を覚ましました。うるさくて眠れそうになかったので」


 天野の答えに、彼女はクスリと笑う。


「そう言う先生は?」


「なに、酔い覚ましさ、先ほどまで女子生徒と一緒だった」


 これは一緒にお酒を飲んでいたと言う事だろう。

 コンパなど億劫(おっくう)で、ことごとく不参加の天野であったが聞いたことがある。

 クニヨシいわく、システム課の女性陣は化け物であると。


「先生、寝てないんじゃあ」


「なに、今日は特に用事はない。あとでゆっくり休むさ」


 加賀見助教授からはクニヨシの言葉から連想されるものは感じない。

 普段のままである。

 それどころか、そよぐ柔らかな潮風に乗り、彼女からは鼻腔をくすぐる香りが漂う。


「海岸に出てみないか?」


 指先を海岸に向け、首を少し傾げるように天野に向かって彼女は言う。

 言うと同時に、天野の返事を待つ事なく加賀見助教授は海岸線へ足を向けた。


「は、はい」


 天野は加賀見に誘われるように、その後を追った。


 海はその全容を影で現している。

 だが、水平線は光を帯び、夜空の闇を押し上げようとしていた。


「あれは…… 」


 海岸先に大きな岩山がある。

 岩は海に面しているが上部は樹木で覆われており、樹木の影から、わずかな光に当てられる建造物がうかがえた。


「神社らしいな。ほら」


 加賀見が指差したその先、岩山と海岸の境界に鳥居がある事に気付く。


「海神様でしょうか?」


「おそらくな、ちょっと行ってみようか」


 近付いてみると鳥居から階段が続いている。

 そこを登っていく二人。

 すると、もう一柱の鳥居とその先に小さな社があった。

 潮で荒れている部分もあるが、綺麗にされている。

 二人は社の前に立つと、それぞれ社に向かい手を合わせた。


 二人が手を下ろすと加賀見は天野に聞く。


「なにをお願いした?」


「卒業できますようにと…… 」


「それを助教授である私の前で言うか?」


「いえ、そんなつもりはありません。すみません…… ところで先生は?」


「秘密だ」


「何か…… ずるくありません?」


「女性には秘密があるのだ。気にするな」


 彼女の答えには天野は「はあ」とだけ答える。

 そんな天野の姿に、加賀見は以前に豊野久美から聞いた言葉を思い出す。


《トナチムってホントにデリカシー無いのー》


 なんとなく、なるほどなと思う。


 そして二人は並んで元来た道を戻る。

 空はだいぶん明るくなり、もうすぐ太陽が姿を現しそうだ。

 初めの鳥居に差し掛かった時、加賀見は何かに気付いた様子を見せ、鳥居の柱をぐるっと観察する様に回る。


「海が荒れるとここまで波が来るようだな。やはり頑丈そうだな。そう思わんか天野」


「研究者らしい見分ですね。足元が悪いので気を付けてください」


 天野の声に、柱から右回りにひょっこりと顔を出す加賀見。


「む、気をつけよう」


 ところが次の瞬間、彼女は石段を踏み外し体のバランスを崩してしまう。


「きゃあ!」


「危ない!」


 倒れかかる加賀見、天野はそれを受け止めた。

 受け止めた瞬間の天野が受けた衝撃は、そのほとんどが彼女から発する香りと柔らかさによるものだった。


「す、すまないな…… 」


「い、いえ…… 」


 加賀見は素早く天野から離れ、ワンピースについた砂を払う。

 そうとうビックリしたのだろう。

 それは天野も同じだった。

 まだ、心臓がドキドキする。


(間が持たない)


「と、ところで先生に聞きたいことがあるんですが」


「な、なんだ?」


 うわずった感じでいつもと口調が違う。


「先生も自分と似たようなシステムを考えていたのですね」


 天野の言葉に我を取り戻したのだろう、加賀見助教授はいつもの口調に戻っていた。


「ああ、だが私は天野みたいに細分化していなかった。[感情]などは一括して外部情報にゆだねる形式だったからな」


 今度は加賀見が気になる事を天野に質問する。


「天野、お前の今回の発表を見て気付いたのだが、命令系統として最上位に新しいシステムを追加しているみたいだな。あれは何だ?」


 研究発表で紹介したシステムを見ると、ほとんど彼女が手直しして渡したものであったが、一部付随した部分が存在した。

 システムの最上部に位置すると言うことは、最も重要な部分になる。

 下位に繋がるシステムに、影響を及ぼすという事だからだ。


「あれは、自分もまだ、どう現したらいいと言うか…… 現せられるのかと言うか…… 」


「なんだ、ずいぶんと[曖昧(あいまい)]な答えだな」


「それなんですよ」


 天野の言葉にキョトンとした表情を出す加賀見助教授。

 天野はそんな彼女に目線を合わせる事なく言葉を続けた。


「[曖昧(あいまい)]のことです。以前、先生は自分に言いました。今の自立思考AIは[皮肉]などにたとえられる、言葉の真意を見抜くことは出来ないと」


「…… ああ」


「あの後、自分は思ったんです。人間の持つ感情は怒りや喜び、悲しみなどいくつかに分類する事が出来ます。ですが、感情を分類したからと言って、その感情だけで固定されてしまうのでしょうか?」


 加賀見助教授は横から天野の顔をじっと見る。


「人は時に愛す…… 好きな感情を持つと同時に、憎んだり嫌ったりする感情を持つ事が出来ます」


 [愛する]と言う言葉を使おうとして、言う事が気恥ずかしくなり言い直した天野だったが、加賀見助教授は気にも止めず、天野の言葉の意味を探る。


「…… 嫉妬か?」


「この場合はそうです。そしてそれは現実のこの世界でも非常に分かりにくい、それを持つ当の本人でさえ[認識]しにくいものでしょう」


 坦々と言葉を続ける天野。

 加賀見助教授は目を逸らす事なく聞いている。


「[感情]は固定されてはいけない。それでは真意にはたどり着けないと…… そう思ったのです」


 加賀見助教授は真剣な眼差しで天野に迫る。


「それで、お前の言う[曖昧(あいまい)]とは?」


 迫る彼女にギョッとなる天野だったが、目を逸らしやや困ったように鼻を掻きながら答えを返した。


「ええと、うまく説明出来ませんが、自分のシステムはもともとモジュールが[認識]を持つようにと作ったものですけど、いまの話の考えを詰めていくと、その[認識]は完全では無い[曖昧(あいまい)]な物でなければならないと思ったのです…… 」


「感情だけではなく[認識]にかかる(すべ)てに()()が必要と? つまり必然的に上位に組み込む必要があると言う事か?」


「はい、そうです」


 そこから急に加賀見助教授は険しい顔となり、うつむいた状態でブツブツと独り言を言い始めた。


「…… 確率分散方式…… フィルターをかけて…… ブツブツ…… いや、システムの根本として…… 」


 その様子に天野は冷や汗をかきながら、つくり笑いのまま空を見上げる。

 〈やっちまった感〉がハンパない。

 何か声をかけようと思っても、それも(はばか)れるほどに彼女は思考に没頭していた。


(どうしよう)


 そんな中、太陽が姿を現す。

 眩しさに目を細める天野。

 横で加賀見助教授が呟いた。


「…… 光子力学」


 同時に天野に顔を向ける。


「天野、シュレインティガーの猫というのをしっているか」


 いきなりの話に戸惑いつつも、量子コンピュータ『天』のその構造の講義から、少しかじった程度には分かる。


「量子力学の話というぐらいしか…… 」


「私も専門というわけではないのだが、思いついた事があるのでちょっと聞いてもらいたい」


 そう言うと、彼女は考えを語り出す。


「天野のその[曖昧(あいまい)]は通常のファジー理論とは異なる」


「は、はい」


 とりあえず返事だけする。


「先程、この海岸に立ち入る際、松の木の上にカラスがいた事を知っているか?」


 カラスを見ていたのか、と思いつつ返事をする。


「いえ、気付きませんでした」


「私はそのカラスの[存在]を知っている。[見て]その存在を[認識]したからだ。お前は[見ていない]ゆえに[認識出来なかった]つまり[いなかった]事と同じだ。そのカラスが[存在していた]にもかかわらず。天野、もう一度言う。カラスはいたか?」


「せ、先生が言うのならいたのでしょう」


 タジタジと答える。


「そうだ私の言葉を信じるならば天野の[認識]では[いた]事になる。だが、私が嘘を言う人物であるとか、見間違いでもしかしたら鳩かもしれない。そうしたらカラスは[いた]のか[いない]のかどっちだ? 」


「…… わかりません」


 その答えにうなずく加賀見助教授。

 そして言葉を続けた。


「現段階のガイア上におけるモジュール達に置き換えたとしたら、カラスを[見た者]と[見なかった者]がいたとして、[見た者]が[見なかった者]に対して[見た事]を伝えると、[見たものとして認識してしまう]か[見ていないからその存在は無いと完全に否定する]の二極に分断化される。[いた()()しれないし、いなかった()()しれない]、あるいはどちらでも無い()()しれないのに。わかるか、天野!」

 

 彼女の気迫に押されて、ほとんど頭に入って来ない。


「は、はひ」


 だが、「分かりません」とはとても言える状況では無いことは分かっていた。


「そこでシュレインティガー…… 量子力学の話になるが、光の粒子は観測されている状態とされていない状態では状態が変わる。状態が変わるといっても、この粒子は分解したり割る事が出来ない単体の物だ。つまり観測によって[存在する]か[存在しない]かのどちらかになる。そうなると観測の結果として粒子は[存在しているし、していない状態が重なっている]と表現されるんだ。まあ実際は量子は粒子である説、波である説で解釈が分かれているんだが……わかるか? 」


(あぁ、そういえば「シュレインティガーの猫」は「生きている状態と死んでいる状態が重なっている」と書かれていたな)


 ふと思った事を口にする。


「壁の向こうに人影を見つけて覗いたら、人がいたり、いなかったりする。って感じですか?」


 天野の答えに笑みを浮かべる。


「そんなところだ。シュレインティガーの猫は「そんなバカなことはあるか!」という批判の話だが…… この際、それこそが都合が良さそうだ。量子力学の二つの解釈を編入することで、お前のその[曖昧(あいまい)]をシステム化しようと思う」


「そ、そんな事出来るんですか? 」


「ガイアシステム開発研究グループの中で、ミクロの世界をシミュレーション研究しているところがある。私の学生時代の友人だが非常に優秀だ。私のイメージではいける」


「先生の学生時代ということは外国人ですか? 」


 全然話についていけない天野は理解できる分だけ口にする。


「お前…… 、ところで天野はどれくらい量子力学を理解している」


「いま、幽霊とかおばけみたいだなと、感じたくらい…… です…… 」


 間の抜けた回答に苦笑しながらも、次には引き締めた表情で天野に問うた。


「天野、研究者に大事なものは何だと思う?」


「知識…… でしょうか」


「確かに知識は研究者にとって必要不可欠と言ってもいいものだ。知識とは言い換えるならば道具だ。手では出来なかった事が、道具を使う事によって出来るようになる。それと同じで、今まで出来なかった事が知識により出来るようになる。だが、知識だけでは成り立たない。なぜなら、その知識そのものを探し出す存在だからだ」


「はい」


「だから、探究心と答える人もいる。どちらも間違えでは無い」


 ここで加賀見助教授は目を天野へ向け立ち上がる。


「私にとって大事なことはイメージだよ。この知識(道具)は何だろう、何に使うのだろう、何が出来るのだろう…… と」


 彼女の顔は登る陽の光に当てられか、キラキラと光を放つ。


「イメージを持たない者は新しい()()を生み出す事・見いだす事は出来ないと、私はそう思っている」


 そこまで言うと、加賀見は天野に笑顔を浮かべた。

 その、加賀見の笑顔に天野はドキリとする。

 

 心なしか、いや確実に彼の心臓の鼓動は速まっている。


「私が量子力学の本を読んだ時に、思い浮かんだイメージは[波打ち際]だった」


「波打ち際…… ですか?」


 加賀見はキョロキョロとあたりを見渡す。

 ちょうど太陽の光が差し込む方向に何かを見つけたようだ。

 ちょっと離れた小高い砂丘に、小走りに向かう彼女。

 その姿は逆光を浴び、全身にキラキラとした光の粒子を(まと)い。

 また、フワリと揺れるワンピースには、うっすらとスラリとした彼女の肢体ラインが写し出される。


 その姿に天野は見惚れる。


「どうした?」


 彼女が戻ってきても、天野のその表情は惚けたままだった。


「い、いえ。何でもありません」


 彼女の手には、波に打ち上げられたのであろう、一本の枝があった。

 すると彼女はパンプスを脱ぐと、足が濡れることなどお構いなしに水際へ立つ。

 

「さっきの話だが、海と陸の接点を[波打ち際]として、そこを観測するとしよう」


 そして、彼女はスッ海と陸の境界に枝でラインを引いた。


「しかし、ラインを引いた時には、[波打ち際」は全く別の、異なる位置にいる」


 この時の波は引いて、[波打ち際」は海の方へ移動している。


「[波打ち際]は水のある方と、無い方のどちらだ? 」


 彼女が言った時には、次の波が押し寄せ彼女の足を濡らすとともに、引いたラインは波にさらわれていった。

 天野が答えることなく、加賀見は続けて次の言葉を出す。


「あるいは、水面に浮かぶ泡のようなものかな?とも思ったな」


「…… 難しいですね。…… 自分にはよくわかりません」


 押しては返す波を見つめたまま、天野は呟くように答える。


「私もだよ、わからないことだらけだ。人も世界も私自身さえわからない事ばかりだ」


 彼女はそう言うと、静かに腰を下ろした。

 視線を海に向けたままに……


「だから私はわからないままにガイアに組み込もうと思っている…… 手伝え、天野」


「え?」


「私には足りない部分があるようだ。それをお前が補ってくれ」


 普段の彼女からは想像も出来ないような、柔らかな笑顔で天野に微笑みかける。

 その笑顔に対して動揺を隠せない天野。


「は、はい。で、でも自分みたいのでいいんですか?」


「ふふ、謙遜(けんそん)か?お前みたいに突出した者もそういないぞ」


 そう言うと、彼女は天野の前に小指を差し出した。


「えっ、えと」


 さらに動揺する天野。


「[約束]だ」


 落ち着かない天野の姿にクスリと笑いながら言葉をかける。


「は、はい!」


 真っ赤な顔を申し訳なさそうに下げ、天野は自分の指をおそるおそる差し出して、そして彼女と小指を結んだ。

依意富斗能地神オホトノジノカミ大斗乃弁神オホトノベノカミ


次の夫婦神はこの二柱です。

この夫婦神も神世七代では二柱で一つに数えられます。

大地が凝固したさま(様子)を神格化したものとされていますが諸説あり、

男性と女性を強く表す名前であり、性器の象徴とする説などがあります。


物語では砥部美佳子と、設計だけで出てこない富井康治を当てています。w


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