夜
七 夜
全てが悲しみに包まれる夜、僕は透明な地獄の中にいた。
「ダーリン?」
と、ポーリーンが言う。彼女はハリウッドから抜け出てきた、巨乳でブロンドの二十六歳の美女だ。
「ダーリン?」
と、ポーリーンはその真っ暗闇の中ーーーそこは暗い部屋のようだーーーで言う。「ダーリン?」・・・その言葉は弱々しく、切ない。「ダーリン?」と、ポーリーンは三度同じ事を言う。だが、ダーリンはそこには存在しない。ダーリンは・・・もう死んだのだ。そして、その事を知らないのはポーリーン一人だけだ。この世界でその事を知らないのは、ポーリーン一人だけ。他は全員が知っている。もうみんなが、ダーリンが既に死んでいる事を知っている。何せ、それはスクリーンに写され、観客達はダーリンが敵もろとも華麗に爆死した事を知っているのだ。そう・・・この全世界の人間がダーリンの死を知っている。だが、ポーリーンは知らない。僕も、知っている。ダーリンが死んだ事。そして、その死に際にポーリーンの名を叫んだ事も。
でも、彼女はそれに気づかない。
だから、彼女は闇の中を歩き続ける。そう、それは僕の自意識の宇宙・・・・泉とパスカルが共同で僕の中に作り上げた、僕の中の「妄想」という宇宙。
その中で、ポーリーンはもがいている。彼女はどこにも行けそうにない。ダーリンに会う事もできず、そして、その事を知る事もできない。
彼女は、その闇の中を永遠にさまよったままだ。誰かが、DVDを一時停止すると、その登場人物の歪んだ表情が永遠にそこに固定されるように。それは悲しみの表情だ。決まって。
全てが悲しみに包まれる夜・・・・・・・・・・・・・いや、もうやめよう。・・・こんな事は。僕は自分の妄想を振り払う決心をした。今は夜の九時。我ら勤勉なる学生は、宿題をする時間なのだ。宿題を。そうだ。
そう。コーヒーでも汲みに行こっと。
そうしよう。
※※
夜が更けていく時は、どんな音がするのだろうか。
カタカタカタ?。それとも、コトコトコト?。あるいはザクザクザク?。・・・もしそれが殺人現場であればおそらく、その音は時計のカチッ、カチッという音に違いない。そして、その音は死体と犯人だけがいる部屋に無情に響く・・・・。
無情に。
もし、この世界全部が壊れたとしても、僕が通っている第四羽根野高校だけは壊れないだろう。僕は今、そんな気がする。・・・こんな風に、眠れない夜更けの中ではね。そして、この夜の中ではあらゆる物語、そしてその世界というものが・・・・ああ、こんな事は詩的だなあ。僕は、詩が嫌いなんだよ。現代文の授業で作らされてね。・・・何をどうすればいいか、さっぱりわからなかった。
でもさ、例え、この世界が壊れても、やっぱりあの第四羽根野高校の一年七組だけは壊れないだろうと思うね。僕は。そして、あの教室の後ろの、ロッカーの上のコンクリートのひび割れ、あれなんかもやっぱり永遠に属しているように、僕は思うんだ。そして、万年担任教師やっている内の担任だって、多分、永遠にハムスターがからからと車を回しているみたいに、ずっと担任教師をやっているように、僕には思われるんだ。・・・・こんな夜更けにはね。そうさ、全ては永遠に輪廻して、回転しているんだ。きっと。
そう、だから。
例えば、僕のこの家ーーーー親父や母さん、そして妹の佐知なんかもみんな永遠なんだ。三人共、ある日、僕が僕に似た別の誰かにすり替わっていても、気づかないんじゃないかな。そう、三人ともね。そして、その事には全く気づかないままに、昨日と全く同じような明日が続いていくんだろう。
それが明日だ。
それが僕の未来なんだ。
・・・・・・今、僕は夜の中で、一人眠れないから、そういう事を思うんだけどね。だけど、僕だって不安になるよ。将来の事とか?・・・・いやあ、そういう事じゃない。将来の事・・・?。
さっき、親父と佐知と、母さんと珍しく四人で夕飯を食べた時に、親父に言われたよ。「お前、将来、どうするんだ?」って。(将来か・・・)、僕は考えこんだよ。何せ、なんにも考えていなかったからね。
今から・・・・どうしようかなあ。輝かしい未来が待っているのかなあ。この僕には。大学。就活。そして、就職。結婚。出産。育児。夫婦喧嘩。子供の万引き。店に行き、「うちの子がすいません」。そして、子供の進路。また、もめる。老化。そんな間に子供はいずれも自立、結婚。子供が誕生日にマッサージ器をプレゼントしてくれる。それは高い代物でね。夫婦で、涙、涙。そして、孫の顔。孫を膝に乗せて、そして取った写真をきっとSNSなんかにのっけて、そしたら三人くらいのどうでもいい奴が「幸せそうですね」ってコメントしてくれるんだ。そいつら、三人共、おんなじような老人でさ。そうしている間に病に倒れ、近所の総合病院にかつぎこまれる。そして、ある日の夜中に突然、胸が苦しくなってぱったりと倒れる。ナースコール押す暇もなくね。そうやって僕は死ぬ。僕は、死ぬ。三度言う。僕は、死ぬ。
くたばれ。
そんな未来はこの世から永久に消え去っちまえ。うんざりなんだよ。この世界全部ぶっ壊れろ。
ブッコワレロ。吐き気がするわ。反吐が出る。消えろ。お願いだから、消えてしまえ。何もかも。
頼む。
消えてくれ。
頼むから。
※※※
僕は夢を見ていた。
僕は夢を見ていたんだ。
それは第四羽根野高校とも、桐野章一という、つまり僕という一人のパーソナリティとも、後は親父とも佐知とも母さんとも、そして柴田や神谷とも何の関係のない夢だった。それは僕個人にまつわる個人的事情とは一切関係のない夢だった。関係あるのは場所くらいのものだった。それはこの街の、見覚えある風景だった。
僕は真っ白な道を歩いていた。僕は裸足だった。そして、昔の囚人が着せられるような麻の服を着ていた。僕の体は身軽だった。
道は、無限に続いていた。でも、僕は無限に歩く事ができた。
だから、僕は歩いて行った。
・・・その時、僕が知っていた事は、それが神様によって僕に与えられた罰だったという事だけだ。・・・それは確かに罰だった。何のための罰なのか、そして何が原因なのかはわからない。だけど、それは僕に与えられた一つの罰だった。無限の道を無限に歩んでいくという。
僕はどこまでも歩いて行った。
どこまでも、どこまでも。
やがて、自分が真っ白に、透明になるくらいに、それくらいに僕はずうっと歩いていったんだ。永遠の時間の中を。一人、孤独に。
その内に、周囲の風景が見えてきた。何故かはわからないけど。そして、それは僕の家の周りや、そしてあの第四羽根野高校や、僕がいつも使っている登校路、そしてその周囲の田んぼだったりした。
人はいなかった。
その風景には人は一人もいなかった。・・・でも、僕はその風景を見て、懐かしく思ったんだ。ああ、いつか遠い昔に、僕はあそこに「存在していた」事がある、って。
そしてそれはもう思い出せないくらい昔の事だった。・・・それはもう、何千年単位の遠い昔の事だった。それは遥かな昔のことで、そしてその時は確かに、僕はその風景の中で、学生として普通に暮らしていた。そんな気がした。
そんな気がした。
風景は過ぎた。何の未練もなく。そして、僕は歩いた。また、その真っ白な道をずっと辿った。そして、僕は歩く内に、自分が誰だか、どんな人間だったのか、忘れていった。僕の存在は歩けば歩くほどに、この宇宙に吸い込まれて溶けていくのだった。僕の体はどんどんと広がり、そして太陽系と同化し、そしてこの銀河と同化し、そして最後にはこの宇宙に同化した。それでも、僕は歩いた。僕は宇宙のままに歩いて行った。
誰も僕を引き止める者はいなかった。一人として、僕を止める事ができる人物はいなかった。もうとっくに世界は終わっていたので、それで僕はずっと一人で歩いて行く事ができたのだった。
「サヨウナラ」
・・・・・と、誰かの声がした。僕はその声のする方に振り向いた。どうしてか、振り向いてしまったのだった。僕はもう、自分の存在を失くしていたのに。
そこには『泉』が立っていた。人間の姿で。
「サヨウナラ」
と泉は何故か片言で喋った。泉の目には、涙が溢れていた。僕の知っている限り、泉はそんなものとは一番遠い場所にいる人物だ。でも、僕はその彼女の涙を見た時、はじめてほっとした気持ちになった事も事実だ。ああ、泉は・・・・・・ここでだけ、泣けるんだな、と。
「サヨウナラ」
そう言って、泉は軽く手を振った。僕は軽く会釈をして、そして振り向いて、また元の道を歩いて行った。
僕の目には涙は溢れていなかった。僕の心には何も溢れていなかった。いや・・・・・・・・・・。
僕には元から心がなかったんだ。
僕はその事に気付いた。やっと、気付いたんだよ。・・・生まれてはじめて、ね。
僕はどこまでも歩んでいった。
どこまでも。
「サヨウナラ」




