自宅
六 自宅
「君に質問があるんだ」
と、誰かが言う。・・・そいつは暗闇から僕を見つめながら、言う。
「君に質問があるんだ」
またかよ・・・。僕は笑う。僕は軽く、笑ってみせる。だが、そいつは真面目な表情のままだ。だから、僕は怒ったような顔をする。すると、そいつは言う。
「怒るなよ」
「怒ってなんかいない。ただ、怒った振りをしてみただけ・・・」
「怒るなよ」
と、そいつは言う。そいつの姿を僕は知っている。それは子供の時の、小さい頃の僕なのだ。ただ、一つだけ大きく違う点がある。それは、そいつの目の下に異様に大きな隈ができているという事だ。
「怒るんじゃないよ。何があっても。・・・あの時、誓ったろ?。あの茂みの中で。・・・ほら、あの子を犯した時だよ。君の、最初の犯罪の時」
「ふざけるなよ」
と、僕は本気で怒り出す。僕は幻影を見ているのだ。こいつはただの幻影だ。
「嘘つくなよ。あの時、君は・・・・・・」
そこで、そいつの声は途切れる。僕はドアをガラッと開ける。「あ、お帰り」と僕の母が言う。それは、僕の母だ。平凡で朗らかで、人からどう見えているのか、いつも気にしている僕の母親だ。僕は僕の幻影をねじ伏せてーーーー気が狂うのはごめんだーーーそして、キッチンのテーブルに座って、次のように言う。
「喉乾いた。冷たいお茶ある?」
「あるわよ」
と、母さんは言って、僕にグラスと冷えた麦茶のボトルを用意してくれた。僕はそれを注いで飲んだ。
僕はそれを体の奥に流しこむように、飲んだ。
体の奥深くまで。
※※
オンラインに入る事にしよう。そうしよう。うん、そうだ。そうしよう。僕は神谷にラインで、今からXBOXのオンラインに入る事を伝え、そしてゲームを起動させて、返信を待っていた。十分ほどして、返信がきた。答えは0K。それで、僕は柴田も誘って、三人でオンラインに入って、ゲームをする事にした。連絡送ると、柴田もすぐに部屋にログインしてきた。よし。
僕はスカイプをつないで、ヘッドセットを耳に付けた。そして、これもログインして通話ボタンをクリックする。よし。
「おい、聞こえる?」
と、僕は電話回線の向こうの柴田と神谷に呼びかける。あいつらとはこうして距離が離れていても、一緒に喋りながらゲームができる。何でも、昔の子供は互いにコントローラーを持ち寄って、一つの部屋に集って遊んだそうな。今の僕達はネットを介して、そうして家にいながらにして、一つの場所に集う事ができる。そう、それは無名の共同性である。(哲学風。)そう、それはいくつものドアがついて、それぞれがくっついている無数の小部屋の集合体のようなものだ。そう、それはリゾーム(泉に聞いた)である。根のない樹であり、開かれた一つの世界、電子信号によってつながる人間の境界なき自意識。そしてここに集うはSHIBATAーーAと、KIRINOーーーBと、KAMIYAーーーCである。いずれも、どの国の精鋭の電子兵にも劣らぬ発話スキルを持ちーーーーーー
「あー。聞こえる?」
と、柴田。「聞こえるよ」と優しく、僕。「ちょっと、待って」と神谷からはチャット。それから、一分ほどして、神谷もログインしてきた。そして、
「よし、じゃあ、誰か部屋立てろよ」
と言う。「もう立てたよ。パスワードは・・・」
「待て待て」
と、神谷が何故か僕の声を遮って言う。何だ?。
「パスワード、当てるから。よし・・・・・これだろ」
そう言って、神谷が僕が立てた部屋に入ってくる。
「おい、どうしてわかったんだ?」
と、僕は笑いをこらえながら聞く。どうしてって・・・。柴田はまだ部屋には入ってこない。
「お前・・・クックックッ・・・」
と、神谷は一人笑っている。柴田は「何だよ?」と焦っていた。僕は馬鹿馬鹿しいが、つい笑ってしまった。アハハ、と。
「おい、お前。やっぱ、お前は馬鹿だなあ・・・パスワードが『4545』なんて。くだらないよ。おい、柴田・・・早く入ってこいよ」
と神谷は笑いながら言う。僕は「わかりやすいパスワードだろ」と、笑いながら言う。馬鹿馬鹿しい・・・ああ、ほんとに馬鹿馬鹿しい。すぐに、柴田が部屋に入ってくる。・・・さて、三人揃ったので、ゲーム開始だ。
・・・そして、目の前には無数の死体が並んでいた。僕達は1944年にドーバー海峡を渡ったあの兵士達の一人だった。ノルマンディー上陸作戦というやつだ。そして、僕達は、イギリス軍に所属する歩兵だった。だが、僕達はゲームの主人公だったので、何度死んでも復活する事ができた。そして、僕達は敵を倒し、銃を新たなものに暫時入れ替え、そして目の前の敵を皆殺しにしていった。僕達はドイツ軍の兵士を次々と倒していった。僕達は正に最強の歩兵だった。・・・それは正に、あの有名な一年戦争でエース・パイロットのアムロが見せたかのような活躍だった。アムロ、万歳。
ゲームはそんな感じで続いていった。
僕達はそうやって、目の前の人間を殺しながら、ポテトチップスをつまんだり、お茶を飲んだりしつつ、雑談をしたりした。その雑談の内容はもちろん、第二次世界大戦とも、目の前で順番に死んでゆくドイツ兵の群れとも何の関係もない、平和そのものの話だった。
「そういえば、進藤のお姉ちゃんが妊娠したって話聞いたか?」
と、神谷が言う。僕はそれに
「進藤?。・・・ああ、二組の進藤?。」
「そうそう、あいつ。あいつの姉さんってほら、DQNで有名でしょ。私立のどうしようもない高校行って、その後、中退して・・・」
「おい、ちょっと援護しろよ」
と、僕と神谷が話していると、柴田が割り込んでくる。・・・なので、僕が無言で柴田のキャラクターの近くに寄って、援護してやる。すぐに、神谷のキャラクターも来た。そして、三人共建物の影に隠れて、一端相手をやり過ごす。
「・・・でさあ、それで進藤のお姉さん、例によってDQNと付き合って、それで妊娠したらしい。来週、結婚するらしい。俺、一回、見たけどさあ、結構美人だったよ。・・・眉がほとんどなかったけど」
「おい、来るぞ。手榴弾!」
と、僕は神谷の与太話を無視して言う。すると、柴田が先走って手榴弾を投げてしまう。・・・おいおい、それじゃ、バレるじゃないか・・・。・・・結局、僕達は乱戦に持ち込む事になってしまった。そうして戦っている内に、神谷の話を誰もが忘れた。それで、進藤のお姉さんの運命も、僕達の脳髄に二度と宿る事はなかった。そういう事はもうなかった。
それから一時間くらいして、僕達は休憩を挟む事になった。
僕達は休憩しながら、また適当に雑談していた。その休憩の間に、柴田が二回トイレに行った。それで、僕らは
「あいつ糖尿病なのかな?」
「でも、太ってないけどな」
「糖尿病は太ってるかどうかと関係ないらしいぜ」
とか、物凄く適当な会話をしていた。柴田が二度目のトイレから戻ってくると、僕らはゲームを再開した。そうやって、僕達はまた歩兵の姿に戻り、目の前の兵士達を皆殺しにしていった。僕達は、彼ら、デジタルの人の群れを片っ端から殺していった。正に、鬼の如く。僕達は殺戮し、血の海をかき分けて前進した。それは正に死闘であり・・・・・・・・・そして、僕らは実に平凡な、ごく平凡な高校一年生であった。
※※
柴田と神谷に別れを告げ、ボイスチャットを切る。そして、ゲーム機の電源も切って、電脳の世界での友人との交流を絶った。柴田、サヨウナラ。神谷、サヨウナラ。だがしかし、机の上のノートパソコンのブラウザはまだ、ネットの世界とつながっている。僕は今、ひとりだが、ひとりではない。だがしかし、これ以上の孤独はないのかもしれない・・・何故か、僕はそんな事を思う。僕は・・・パソコンの電源も落とした。
外は夕日だった。それは、巨大な夕日だった。それはこの世界で一番大きい夕日であって、例え、太陽の側の水星でも見る事ができない夕日。何故か、僕はそんな気がした。そんな風に感じたのだ。・・・僕は今、皆と遊んだ後の、遊び疲れた虚脱感の中にいた。僕は、窓を開けた。そして、空を見た。それは空だった。歴史の授業で習ったペロポネソス戦争のスパルタの兵士達が、自分達の軍の仲間が塵となってこの世界に散っていった事を思い、そして再び、闘いに対する勇気を思い起こした・・・そうその時に彼らが見上げた空と、この高校一年生の桐野章一が今見ている空は全く同じ空だった。・・・もちろん、スパルタ云々は僕の勝手な脚色だが。
僕は本棚から、本を一冊取り出し、そしてそれを持って、ベッドに腰掛けた。その書名は『涼宮ハルヒの消失』。僕はこの本が大好きだ。この本の中で、主人公の『キョン』は世界の闇に沈んで消えていった涼宮ハルヒと、そしてそれに付随しているはずのSOS団を取り戻そうともがき、苦しむ。それら二つは『キョン』にとって、この世界と取り替えてもいいほど大切なものだ。・・・そう、それはこの現実世界ではありえないほどの痛切な経験。あるべきはずのものが存在せず、そしていないはずの人間が、悠然といつも通りのような顔をして学校に登校してくる。だが、その全てが改変された世界の中で、その事に気付いているのは、主人公の『キョン』だけであり、そして、その周囲の人々はその変わってしまった世界を当たり前の世界として認識している。・・・これは辛い経験だ。多分、僕達のくだらない現実世界には決して起こらない事だろうけれど・・・。
僕はその本をパラパラと読み返しながら、ふいに自分の事に思いを寄せる。例えば、僕には・・・・『キョン』にとっての涼宮ハルヒのように、恋い焦がれ・・・・いや、とにかくも、その人間を取り戻すためなら、全てを失ってもいい、そんな人間が一人でもいるだろうか?。この僕に?。
一人でも?。
もし、僕に「彼女」がいたらどうだろう?、と僕は考えてみる。彼女、ねえ・・・。だが、その想像は長くは続かない。僕は中途で自分で吹き出してしまう。彼女・・・いれば、いいさ。でも、僕にとって次の事は確実に思える。つまり、もし、彼女が消えたら彼女はあっさりと僕の事など諦めるだろうし、もし彼女が消えたら僕の方でもさっさと彼女の事を忘れるだろう、って事。・・・つまり、この現実は物語じゃないから、僕達はさっさと・・・互いを諦めるだろう。きっと。
「諦めろ」
と、『隊長』は言うだろう。それは、いかにもなハリウッド映画の始まりの場面。仲間の一人が逃げ遅れて、毒ガスでやられている、その部屋を隊長達は今封鎖した所なのだ。そして、騒然としている部隊に向かって、隊長は呼びかける。
「皆、いいか、ボビーの事は諦めるんだ。・・・奴は同志だった。大切な仲間だった。だが、我々は前に進まなくてはならない。奴の死を、無駄にしてはならない」
「でも、隊長!。今なら間に合います」
と、ここで部隊のナンバー2のスティーブが隊長に抗言する。そう、スティーブはいきのいいやつだ。
「隊長、今なら、まだ助ける事が!」
「スティーブ!。・・・いいか、諦めるんだ。いいか、スティーブ。俺たちにはまだ、目的がある。その為に、ボビーが犠牲になるのは仕方がない事なんだ。わかるか、スティーブ・・・」
と、隊長は渋い顔をして言う。(隊長は渋い顔した渋い役者が演じる。)すると、スティーブは「・・・・・」と、黙りこんでしまう。そして、次の瞬間には、カメラが引いて、そしてその建物全体を映し出す。その光景は、雨。・・・そう、彼らは雨の中の秘密武器倉庫で、核爆弾を盗み取る為に、活動していたのだった。そして、場面の転換。暗転。・・・急に場面は変わり、主人公がベッドに寝転がって、恋人といちゃついているシーンになる。主人公はちょっとすかした感じの、軽い感じだが、芯には熱い所も持っている男。それで主人公は今、恋人といちゃついていて、そしてキスしようとした時に、携帯電話がいきなり鳴る。そして、それはちょっとマヌケなメロディでね。それで電話で、「はい、はい、ボス。今・・ですか?・・・・大丈夫です」って言う。そしたらブロンドで巨乳で美人のマドンナが、
「だあれ?、ダーリン。こんな時間に?」
って言う。そしたらその「ダーリン」は
「悪いな。ポーリーン。今日は恋人の役割を果たせそうにない。緊急出動だ。ボスからの直々の命令さ」
って言う。で、ポーリーンは「ええ~」って大げさに言う。そして・・・そのダーリンが服を着替えて出て行く時には、ポーリーンはダーリンの頬にキスしながら、
「この埋め合わせは必ずしてよね」
って言う。でも、その埋め合わせがされる事はその先も決してない。なぜなら、愛しのそのダーリンは、世界滅亡をかけた大事件に巻き込まれるからだ。さあ、ダーリン。
がんばってよね。
・・・・・・・・・・・・・風呂行こ。ああ、さむさむ。自分の想像力に吐き気がしてきた。ダーリンもポーリーンも糞食らえ、だ。ハリウッドなんかまるごと焼けちまえ。ああ、気味悪い・・・。
僕は風呂へ行った。
僕は風呂へ行ったんだ。
「母さん、先風呂入るよ」
と、キッチンで夕食を作っている母に僕は言う。
「でも、まだお風呂わいてないけど」
と、母さんは玉ねぎを包丁できざみながら言う。玉ねぎはただ刻まれていくだけの運命を・・・・・・何とも思っていないようだった。
「じゃあ、シャワーでいいや。バスタオル、あそこにあるでしょ」
と言い、僕はタオルの置いてある棚の所に行こうとする。すると母さんが、「あ、ついでにお風呂ためといて。・・・今日、お父さん帰ってくるの早いから」と言う。僕は生返事をして、風呂へと向かう。さて。
・・・僕はちっちゃな椅子に座って、全身にシャワーの湯を浴びていた。そして、試合前のボクサーか、滝行をするお坊さんのように目をつぶり、自分の中の宇宙と交信していた。そうさ、自分の中にも宇宙はある。あの頭のおかしい泉がいつか、僕に言っていたよ。
「自分自身の宇宙の方がこの世界の宇宙よりも大きいのよ。・・・それを教えてくれたのは、パスカルなの。パスカル」
「ほう・・・ヘクトルパスカルのパスカルですか」
「そう。考えるという事、人の自意識という宇宙の方がこの宇宙全体より遥かに巨大なの。でも、それを発見するには、彼の絶望と孤独が必要だったわけ」
「それで、泉もパスカルのように孤独であるというわけだ。・・・・・僕なんかと違って。ハッハッハ。」
「・・・・・・・・・・・・」
・・・あれは現代文の授業の時だったと思う。現代文の教師はうるさくしててもあんまり怒らないから、いいんだよね。そういう先生って、たまにいるよね。
・・・でも、今僕は何故かその事を思い出した。そうだ。僕は思い出した。泉との会話を。パスカルねえ・・・読んだ事ないけど。でも、僕は・・・・・・「自分の中の宇宙」、か。考える事。思考する事。
例えば、もし、僕がこの世界を順番に消していくとしたら、どうなるだろうか。
僕は自分で作ったシャワーの雨に打たれながら、そんな事を思う。それは一種の滝行であり、己との自己問答の場でもある。
あるいは、もし、この世界が消えたら、何が残るだろうか。
まず、学校が消え、それから柴田も神谷も泉も、それから可愛いなあと思って見ている白咲さんも消えてしまう。それから僕の親父も母さんも、それから佐知も消えてしまう。佐知の学校も、その化粧道具も、その友達とその友達の化粧道具とその化粧道具を作っている企業と、それによって生計を立てている沢山の家族と、その化粧品を作るための工場があるその裏手の山とその上にかかっている太陽も全部消えてしまう。そしてその前を流れている川も、その川べりを毎日散歩するお爺さんと、その不良の孫も、全てが消えてしまう。
全てが。
だとしたら、どうだろうか。
僕は自分の意識を闇に漂わせながら、そう考える。今、僕は目を閉じている。だから、この世の中は一ミリたりとも存在していない。それは、量子力学的に明らかだ。(量子力学という言葉は泉から教わった。)
さて、今、世界は存在しない。あるのは僕と・・・・それから、このシャワーの音。あと、肌の感覚。それだけ。
世界は今、消失してしまった。
さようなら、この宇宙。どうやら・・・・・・僕の宇宙の方が、君よりも一回り大きかったようだ。・・・・今まで、ありがとうね。
そして、僕は別れを告げた。
僕は『自意識』という名の、一隻の宇宙船に乗って旅に出たのだった。
この宇宙の外側へと。
そして、僕は戻ってこなかった。
さようなら、世界。




