46話 採りたくない素材だって私にもあるんです。
アントン伯爵から新たな依頼を受けた翌日。
ラウラたち金満腹は、九色鳥クインバードの生息地を調べていた。
「えーっと……クインバード、クインバード……あ、ありました!」
ラウラは魔物図鑑を開き、目的のページを指さした。
「どれどれ?」
ダリアとギルティが左右から覗き込む。
図鑑には、色鮮やかな九色鳥の姿とともに、生息地についての説明が記されていた。
九色鳥クインバード。
極めて希少な鳥型魔物。全身に九色の美しい羽毛を持ち、羽根には高い魔力が宿る。
魔力の濃い土地を好み、特に澄んだ水を湛えた美しい湖の周辺に生息するとされる。
警戒心が強く、発見例は少ない。縄張りに侵入した者に対しては、強力な魔法で応戦することもある』
「魔力の濃い土地に、美しい湖……ですか」
ラウラは顎に手を当てた。
「うーん。湖ならともかく、魔力が濃い場所って言われてもねぇ」
ダリアが腕を組む。
「ちみ、素材感知で何とかならないの?」
「素材感知は素材を探すスキルですからね……。魔力の濃さまで正確に測れるわけではありません」
「そっかぁ」
「でも、魔力の濃い場所なら、強い魔物が集まりやすいんじゃないかい?」
ギルティの言葉に、二人が頷く。
魔力の濃い場所には、希少な素材が生まれやすい。
しかし同時に、強力な魔物も集まりやすい。
つまり、素材採集士にとっては宝の山であると同時に、できれば近寄りたくない危険地帯でもある。
「アントン伯爵の街の周辺で、そういう場所に心当たりはありませんかね……」
ラウラが呟いた、そのときだった。
「……もしかすると」
応接室の向こうから、カーム伯爵が口を開いた。
「一つ、心当たりがある」
「本当ですか!?」
ラウラが勢いよく振り向く。
カーム伯爵はアントン伯爵と顔を見合わせた。
「アントン殿。あの洞窟のことだが……」
「ああ。確かに、可能性はあるかもしれん」
アントン伯爵が頷いた。
「アントンの街から北へ向かったところに、大きな洞窟がある。入口こそ普通の洞窟に見えるが、内部はダンジョンのような構造になっていて、地下深くまで続いているのだ」
「ダンジョン……!」
ラウラの目が輝いた。
ダンジョン。
つまり、素材がある。
しかも、地下深くまで続いているのなら、まだ誰も採取していない珍しい素材が残っている可能性もある。
「その洞窟は魔力が非常に濃い。強力な魔物が数多く出現するため、これまで何組もの冒険者が攻略に挑んだが、いまだに奥深くまでは到達できていない」
「強力な魔物……」
ラウラの目から輝きが消えた。
「……あの、普通の洞窟では駄目でしょうか?」
「クインバードがいる可能性がある場所は、そこが最も高いだろうな」
「そうですか……」
ラウラは図鑑を閉じた。
素材。
お金。
そして、強い魔物。
どう考えても、最後の一つが余計である。
「まあまあ、ちみ。クインバードがいるかもしれないんだよ? 珍しい鳥なんだから、羽根だって高く売れるかもしれないじゃん!」
「そうですね……。羽根の品質が良ければ、かなりの価値があると思います」
「それに、あたしも珍しい素材があるなら見てみたいねぇ」
ギルティも乗り気だった。
結局、三人の意見は一致した。
まずは、その洞窟へ向かってみる。
クインバードがいなければ、無理せず帰ればいい。
そう。
無理せず帰ればいいのだ。
ラウラは、その言葉を心の中で何度も繰り返した。
アントンの街から北へ。
森を抜け、岩場を越えた先に、その洞窟はあった。
「……暗いねぇ」
ギルティが入口を見上げた。
大きな岩壁にぽっかりと開いた穴。
入口の周辺には草木が生えているものの、内部からは冷たく湿った空気が流れ出していた。
ジメジメしている。
薄暗い。
そして、何だか嫌な臭いがする。
「……帰りませんか?」
ラウラが提案した。
「まだ入ってもないのだ!」
ダリアが即座に突っ込んだ。
「ですが、入口の時点で既に嫌な予感がします……」
「大丈夫だって! あちしたち、アーマードスコーピオンだって倒したのだ!」
「そのときも、ずっと逃げていたような……」
「細かいことは気にしない!」
ダリアはメディーガンを構えた。
ギルティもハンマーを握る。
ラウラはいつもの採取道具を確認し、魔法の袋に手を入れた。
中には、投げるための石がたっぷり入っている。
準備は万全。
……帰る準備も、心の中では万全だった。
「それじゃ、行こうか!」
三人は洞窟へと足を踏み入れた。
ひんやりとした空気。
濡れた岩肌。
天井から滴る水滴。
足元にはぬかるみが広がり、奥へ進むほど暗くなっていく。
「うぅ……。湿気がすごいです……」
「鍛冶場よりひどいねぇ。道具が錆びないといいけど」
「ちみたち、静かに。何か聞こえない?」
ダリアが足を止めた。
カサカサ。
カサカサカサ。
天井のほうから、何かが動く音がする。
ラウラが恐る恐る顔を上げた。
そこには――。
「…………」
巨大な蜘蛛がいた。
人間の頭ほどもある胴体。
長い脚。
そして、こちらをじっと見つめる複数の目。
ジャンプスパイダー。
魔物図鑑に載っていた、跳躍力に優れた蜘蛛型魔物だ。
「……」
ラウラはゆっくりと一歩下がった。
「……」
ダリアも一歩下がる。
「……」
ギルティは、すでに顔色を失っていた。
ジャンプスパイダーが脚を曲げる。
次の瞬間。
ビョンッ!
「「「ぎゃあああああああああ!!!」」」
三人は一斉に走り出した。
背後で、蜘蛛が地面を蹴る音が響く。
ドンッ!
ドンッ!
ドンッ!
跳躍するたびに、距離が縮まってくる。
「速い! 速いです! 何ですかあれぇぇぇ!」
「ジャンプスパイダーだよ! 図鑑に書いてあったでしょ!」
「読んだのに怖いものは怖いですぅぅぅ!」
ラウラは振り返りざまに石を投げた。
ヒュッ!
石が蜘蛛の脚に命中する。
ジャンプスパイダーがバランスを崩し、岩壁に激突した。
「今です! 逃げます!」
「倒すんじゃないの!?」
「逃げるのが最優先です!」
三人は全力で走った。
しかし、今度は頭上から羽音が響く。
バサバサバサッ!
「今度は何ぃ!?」
ダリアが叫ぶ。
暗闇の中から、巨大な影が飛び出してきた。
オオコウモリ。
鋭い爪を持つ、大型のコウモリ型魔物だった。
「いやああああ! 空からも来たぁぁぁ!」
ギルティが悲鳴を上げる。
「ちみ、こっち! 壁際に寄って!」
ダリアがメディーガンを構え、オオコウモリに向けて引き金を引いた。
プシュッ!
飛び出した薬液が、オオコウモリの翼にかかる。
オオコウモリはバランスを崩し、地面に落下した。
そこへ、ラウラの石が飛ぶ。
ゴッ!
さらにギルティがハンマーを振り下ろした。
ドゴンッ!
オオコウモリは動かなくなった。
「……た、倒せました?」
「倒した! 倒したよ!」
ダリアが叫ぶ。
しかし、安堵したのも束の間。
背後から、またしてもジャンプスパイダーの跳躍音が聞こえた。
ドンッ!
「まだいるぅぅぅ!」
「逃げます! もう逃げますぅぅぅ!」
三人は再び走り出した。
こうして金満腹は、ジャンプスパイダーとオオコウモリに追い回されながら、洞窟の奥へと進むことになった。
決して、探索が順調だったわけではない。
むしろ、道を選ぶ余裕すらなかった。
ただ、後ろから追いかけてくる魔物から逃げていたら、いつの間にか奥へ進んでいただけだった。
「はぁ……はぁ……。もう、無理……」
しばらく走ったところで、ダリアが膝に手をついた。
「こ、ここまで来れば……」
ラウラが振り返る。
蜘蛛の姿は見えない。
コウモリの羽音も聞こえない。
ようやく撒いたらしい。
「よかったぁ……」
ギルティが岩壁に寄りかかり、ずるずると座り込んだ。
「虫もコウモリも、もう嫌だ……。あたし、鍛冶場に帰りたい……」
「ギルティさん、まだ依頼は始まったばかりですよ……」
「それを言わないでおくれよぉ!」
ラウラは苦笑しながら、周囲を見渡した。
すると、少し先に人工的な石造りの階段が見えた。
「……あれ、階段ではありませんか?」
「本当なのだ」
ダリアが顔を上げる。
階段は下へと続いていた。
その先からは、さらに濃い魔力の気配が漂ってくる。
ラウラの《素材感知》も、階段の向こうに何かがあることを感じ取っていた。
しかも、一つや二つではない。
大量の素材反応。
「……素材が、たくさんあります」
「おおっ! さすが洞窟!」
ギルティが立ち上がった。
「ちみ、さっきまで帰りたいって言ってたじゃん!」
「素材があるなら話は別だよ!」
ギルティはハンマーを握り直した。
ラウラも、少しだけ気持ちが前向きになった。
素材がたくさんある。
しかも、まだ誰も奥まで攻略できていない場所だ。
珍しい鉱石や魔物の素材が眠っているかもしれない。
そして、その中にクインバードの手がかりがあるかもしれない。
「……よし。少しだけ、進んでみましょう」
「おっ、ラウラがやる気だ!」
「はい。少しだけです。危なくなったら、すぐに逃げます」
「そこは変わらないんだねぇ……」
三人は階段を下り始めた。
薄暗い洞窟の奥へ。
より濃い魔力が漂う、第二階層へ。
◇ ◇ ◇
第二階層。
階段を下りた瞬間、三人は嫌な予感を覚えた。
湿度が高い。
空気が重い。
そして、地面のあちこちに何かが這ったような跡がある。
「……ねえ」
ダリアが、かすれた声で言った。
「なんか、ここ……嫌な感じがしない?」
「はい……。とても……」
ラウラは小さく頷いた。
ギルティも、ハンマーを握る手に力を込める。
カサカサ。
カサカサカサ。
岩陰から、黒く長い影が這い出してきた。
脚が多い。
とにかく多い。
節のある長い胴体が、地面を這いながら近づいてくる。
オオムカデだった。
「…………」
ラウラは無言で後ずさった。
ダリアも無言で後ずさる。
ギルティは――。
「いやああああああああああああ!!」
誰よりも早く叫んだ。
「ムカデ! ムカデだよ! あたし、あれだけは無理ぃぃぃ!」
「ギルティさん、声が大きいですぅぅぅ!」
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ! 逃げるよ、ちみたち!」
三人は全力で走り出した。
しかし、逃げた先の壁際で、何かが動いた。
カサカサカサカサカサッ!
黒光りする平たい体。
長い触角。
素早く動く脚。
そして、恐ろしいほどの速度。
「…………え?」
ラウラの足が止まった。
ダリアも止まった。
ギルティも止まった。
目の前にいたのは、巨大なゴキブリ型魔物だった。
しかも、ただのゴキブリではない。
人間の胴体ほどもある大きさで、洞窟の壁を滑るように走っている。
「いやああああああああああああああああああ!!」
三人の悲鳴が、第二階層に響き渡った。
「なんでゴキブリがいるのぉぉぉ!?」
「知りません! ラウラも知りません! どうしてこんなに大きいんですかぁぁぁ!」
「こっち来る! こっち来るよぉぉぉ!」
オオムカデが背後から迫る。
ゴキブリ型魔物が前方から迫る。
挟み撃ち。
逃げ道がない。
「ちょっと待って! あちしたち、冒険者だよね!? なんで虫に追い回されてるの!?」
「ラウラは素材採集士ですぅぅぅ! 戦闘職じゃありません!」
「それ、今言うこと!?」
ゴキブリ型魔物が、ぐんっと加速した。
カサカサカサカサッ!
「速っ!?」
ラウラが目を見開く。
速い。
ジャンプスパイダーも速かった。
しかし、こいつは別の意味で速い。
地面を這うように移動し、あっという間に三人との距離を詰めてきた。
「追いつかれるぅぅぅ!」
「ちみ、何とかしてぇぇぇ!」
「ラウラにどうしろと!?」
ラウラは反射的に石を投げた。
ヒュッ!
ゴンッ!
ゴキブリ型魔物の頭部に石が命中した。
しかし、魔物は少しだけ体勢を崩したものの、すぐに起き上がる。
そして、再びこちらへ突進してきた。
「効いてないぃぃぃ!」
「どいて!」
ダリアが前に出た。
メディーガンを構え、オレンジ色の宝石を押し込む。
「こういうときのために、あちしがいるんでしょ!」
引き金を引く。
プシュッ!
麻痺薬が、ゴキブリ型魔物に命中した。
魔物の脚がぴたりと止まる。
「よしっ!」
続いて、ダリアは紫色の宝石へ切り替えた。
「こっちも食らいな!」
プシュッ!
毒薬が命中する。
ゴキブリ型魔物は、しばらく脚をばたつかせたあと、動かなくなった。
「や、やった……!」
しかし、安心する暇はなかった。
背後から、オオムカデが迫ってくる。
「まだいるぅぅぅ!」
「もう勘弁してよぉぉぉ!」
ダリアは振り返り、メディーガンを構えた。
「今度はあんた!」
プシュッ!
麻痺薬がオオムカデの頭部に命中する。
長い体が、びくりと震えた。
ダリアは間髪入れず、毒薬を撃ち込んだ。
プシュッ!
オオムカデは地面に倒れ、動かなくなった。
静寂が戻る。
カサカサという音も聞こえない。
羽音もない。
追いかけてくるものもいない。
三人は、その場にへたり込んだ。
「…………」
「…………」
「…………」
しばらく、誰も口を開かなかった。
やがて、ラウラが震える声で呟いた。
「……生きてる」
「うん……」
「生きてるねぇ……」
「……よかったですぅ……」
三人は互いに顔を見合わせ、深く息を吐いた。
そして、ようやく周囲を確認する余裕が生まれた。
地面には、倒した魔物が二体。
素材採集士としては、絶好の採取機会だ。
ゴキブリ型魔物の外殻。
毒腺。
魔石。
オオムカデの外殻。
脚。
毒腺。
どれも、素材として使える可能性がある。
普段のラウラなら、すぐさま《素材感知》で状態を確認し、《素材採取》を発動させていただろう。
しかし――。
「…………」
ラウラは、ゆっくりと首を横に振った。
「……無理です」
「え?」
ダリアが振り向く。
「ラウラ、素材を回収しないの?」
「……はい」
ラウラは魔物たちを見ないようにしながら、きっぱりと言った。
「ラウラは素材採集士ですけど、ゴキブリとムカデはすみません」
「えええええ!?」
ダリアが叫んだ。
「ちょっと待って! 素材採集士として、それはいいの!?」
「申し訳ありません……。本当に、申し訳ありません……」
ラウラは深々と頭を下げた。
「ですが、あの触角と脚を見ていたら……。素材を採るために近づくなんて……ラウラには……」
想像しただけで、背筋がぞわぞわする。
もし採取中に脚が動いたら?
もし突然、ひっくり返った体が起き上がったら?
もし触角がぴくぴく動いたら?
駄目だ。
考えるだけで無理だった。
「……今回は放棄します」
ラウラは、魔物たちから目を逸らした。
「素材は……諦めます」
「ちみが素材を諦めた!?」
ダリアが驚愕の声を上げた。
「ラウラが!? あのラウラが!? 素材を目の前にして!?」
「……はい」
「金貨が落ちてても!?」
「金貨なら拾います」
「そこは拾うんだ!?」
ギルティが、思わず吹き出した。
「はははっ! そりゃそうだよねぇ! あたしだって、あんなの触りたくないよ!」
「ギルティは鍛冶師でしょ!? 素材を加工する側じゃん!」
「虫は素材じゃない!」
「素材だよ!」
「今だけは素材じゃない!」
ギルティが力強く言い切った。
ダリアは、もう何も言えなかった。
ラウラは立ち上がり、服についた汚れを払った。
「……行きましょう。クインバードを探さないと」
「そうだねぇ。あんなのがいる場所に長居したくないし」
「うん。次は綺麗な鳥を探そう! 綺麗な鳥を!」
三人は、倒した魔物をそのまま残して歩き出した。
素材採集士ラウラ。
どんな希少素材でも、どんな高価な素材でも、見つければ採取してきた少女。
そんな彼女が、初めて素材を完全放棄した。
その理由は、素材の価値が低かったからではない。
危険すぎたからでもない。
ただ一つ。
ゴキブリとムカデだったからである。
そして三人は、まだ知らなかった。
この洞窟の本当の恐怖は、第二階層ですら終わらないということを。
もちろん、今の三人にとっては、そんなことを知りたい気持ちは一切なかった。




