エピソード2:我が四畳半は、かくして世界の中心(永世中立地帯)となった
「…………は?」
間抜けな声が自分の口から漏れる。
ベランダのカラス。部屋の隅のゴキブリ。
二匹の野生生物が、はっきりと流暢な日本語で喋りかけてきたのだ。
「夢だ。これは夢だ。カップ麺の成分になんかヤバい幻覚剤でも混ざってたんだ」
俺はギュッと目を閉じ、両手で顔を覆った。しかし、五感は残酷なほど鮮明に現実を突きつけてくる。
『おいサル。現実逃避をしていないで窓を開けろ。エレガントな私が、いつまでもこんな手すりに止まっていられるか』
『あははは! サルが震えてるー! ウケるー!』
「う、うるさい! 俺の部屋から出ていけ!」
俺は半ばパニックになりながら、手にしていた丸めた週刊誌を部屋の隅のゴキブリ——いや、謎の声の主に向かって力任せに振り下ろした。
『おっと、危なっ!』
ポンッ、という軽い破裂音のようなものが響いた。
次の瞬間、俺は週刊誌を振り下ろした姿勢のまま、完全にフリーズした。
先ほどまで黒光りする虫がいた場所に——**茶色いジャージを着た、小柄な少女**がしゃがみこんでいたのだ。
頭には、ゴキブリの長い触角を彷彿とさせる二つ結び(ツインテール)が揺れている。
「あぶなーい! いきなり何するのさ、このサル! アタシの自慢の装甲がヘコんだらどうするの!」
少女は口を尖らせながら、俊敏すぎる動きでカサカサッと壁を這い上がり(!?)、天井の隅に張り付いた。
……可愛い顔をしているのに、動きが完全に『ソレ』である。
『やれやれ……。お前は本当に品がないな、地下の特攻隊長殿は』
ベランダの方から、呆れたようなため息が聞こえた。
振り返ると、今度はカラスがいた場所に、**漆黒のドレスに身を包んだ、モデルのように背の高い美女**が立っていた。
流れるような黒髪。見下すような鋭い視線。彼女は長い脚を優雅に上げ、窓枠をまたいで勝手に部屋の中へと入ってきた。
「な、なんだお前ら!? コスプレイヤー!? 不法侵入で警察呼ぶぞ!」
「警察? 我々が作った治安維持システムのことか? 呼んでも無駄だ。彼らの通信網も我々が管理しているのだからな」
「そうそう! 人間なんて、アタシたちのご先祖様がサルのDNAをいじって作った『便利な道具』に過ぎないんだから!」
黒髪の美女と、天井に張り付くジャージ少女。
二人は、俺の脳が処理しきれない爆弾発言を平然と言ってのけた。
「……人間が、お前らの作った道具……?」
「いかにも。私は天空・情報管理派、カラス陣営代表の『烏丸 黒江』。そこの天井に張り付いている見苦しい輩は、地下・インフラ支配派、ゴキブリ陣営代表の『互川 茶子』だ」
「チャコでいいよ! よろしくね、サル!」
チャコと呼ばれた少女が天井からポスッと着地し、馴れ馴れしく俺の肩をバンバンと叩いた。
「本来、上位存在である我々がこのような不便な霊長類の姿をとる必要はないのだが……どうやら私が落とした『言語翻訳端末』がお前の脳と同期してしまったらしい。しばらくは、お前にも我々の本来の姿と、この擬態が重なって見えてしまうだろう」
黒江はそう言って、俺の四畳半の部屋を値踏みするように見回した。
そして、薄い唇を吊り上げ、ひときわ尊大に言い放つ。
「光栄に思え、人間(佐藤健太)。我々、カラス陣営とゴキブリ陣営は長きにわたり、人間社会の流行やインフラをどうコントロールするかで対立してきた。だが、お前が端末と同化したことで、ちょうどいい場所ができた」
「ちょうどいい場所……?」
「今日からこの狭くて薄汚い空間——お前の『四畳半』を、我々の『共同戦略会議の永世中立地帯』に指定する!」
「アタシ、あそこの『押し入れ』もらうね! 暗くて狭くて最高!」
「……勝手に決めるな! そして家賃払え!!」
かくして、俺の平穏な日常は終わりを告げた。
家賃三万円のボロアパートは、人間社会の裏側を操る神々(鳥と虫)の秘密基地となり、俺は人類滅亡の危機と隣り合わせの、理不尽な同居生活を送ることになったのだった。




