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第8話 壊れた英雄

第8話 壊れた英雄


 その夜の第三中央坑道は、妙に静かだった。


 いつもの探索者たちは、まだ来ていない。


 深夜一時半。


 湿った石壁を、青白い結晶灯がぼんやり照らしている。


 ミントの葉はさらさらと揺れ、爽やかな香りが穏やかに漂っていた。


 草壁茂は、折りたたみ椅子へ腰掛けながら、小さく息を吐いた。


「今日は少し冷えますねえ……」


 ポットから立ち上る湯気が白い。


 マグカップへミントティーを注ぐ。


 その香りだけで、胸の奥がゆっくりほどけていく気がした。


 最近、ここへ来る探索者たちは増えていた。


 皆、疲れていた。


 壊れかけていた。


 だから茂は、せめてここにいる間だけでも休めればいいと思っていた。


 その時だった。


 遠くから、何かを引きずるような音が響いた。


 ざり。


 ざり。


 重い足音。


 茂は顔を上げる。


 空気が変わっていた。


 結界の外側が、どろりと濁っている。


 瘴気。


 しかも異常に濃い。


 嫌な予感がした。


 やがて通路の奥から、一人の男が現れる。


 長い黒コート。


 巨大剣。


 血走った目。


 一条凱だった。


 だが以前とは別人みたいだった。


 頬は痩せこけ、目の下には濃い隈。肌色も土気色で、周囲には青黒い魔力が漏れ続けている。


 まるで、生きたまま瘴気に侵されているみたいだった。


 一条は結界の外で立ち止まる。


 そして、ゆっくり茂を睨んだ。


「……やっと見つけた」


 掠れた声。


 だが、その奥には狂気が混じっていた。


 茂は立ち上がる。


「一条さん……?」


「お前のせいだ」


 一条が笑う。


 ぎし、と歯が鳴る。


「全部、お前のせいだ」


「……何を」


「お前がいなくなってから全部狂った!」


 怒鳴り声が坑道へ反響した。


 ミントの葉が震える。


「補給は回らねえ! 現場は崩壊! 探索者は逃げる! 俺は眠れねえ!」


 一条の魔力が暴走しかけていた。


 空気がびりびり震える。


「なのにお前は何してる?」


 一条の視線がプランターへ向く。


 青々と茂るミント。


 湯気。


 折りたたみ椅子。


 その穏やかな光景を見た瞬間、一条の顔がぐしゃりと歪んだ。


「ふざけんな……」


 低い声。


「なんでお前だけ、そんな顔してんだよ」


 茂は静かに言った。


「一条さん。かなり危険な状態です。少し休んだ方が――」


「うるせえッ!!」


 轟音。


 一条が地面を蹴った。


 殺気が爆発する。


 巨大剣を振り上げ、そのままミントへ叩きつけようとする。


「こんな草ァ!!」


 その瞬間だった。


 ぶわっ、と。


 ミントが揺れた。


 青い香りが、一気に広がる。


 茂の脳裏へ淡い文字が浮かんだ。


『【雑草魂】発動』


 次の瞬間。


 結界が膨れ上がった。


 透明な壁みたいなものが空間を覆う。


 一条の剣が、ミントへ触れた瞬間――。


 轟ッ!!!!!


 衝撃波が逆流した。


「がァッ!?」


 一条の身体が吹き飛ぶ。


 巨大な体が岩壁へ叩きつけられ、鈍い音が響いた。


 岩肌に蜘蛛の巣みたいな亀裂が走る。


「な……」


 茂は目を見開いた。


 ミントは無傷だった。


 むしろ香りが強くなっている。


 葉はさらに青々と輝き、結界は一層広がっていた。


 踏まれそうになった瞬間、逆に強化されたのだ。


 一条は血を吐きながら立ち上がる。


「な、んだよ……これ……」


 呼吸が乱れている。


 魔力制御も完全に崩壊していた。


 だが、それでも一条は狂ったように笑った。


「認めねえ……」


 ふらつきながら剣を構える。


「こんな草に……俺が負けるかよ……!」


 再び踏み込もうとした、その時だった。


「そこまで」


 冷たい声が響く。


 一条が振り返る。


 通路の奥。


 そこに立っていたのは、玲奈だった。


 銀髪を揺らしながら、氷のような瞳で一条を見ている。


 その背後には、ガルド。


 隻眼の魔術師。


 重装盾役。


 いつもの深夜の常連たち。


 しかも全員、殺気を纏っていた。


 一条の顔が引きつる。


「……玲奈」


 玲奈は一歩前へ出た。


 冷気が広がる。


 空気が凍る。


「茂さんに触るな」


 低い声だった。


 だが、その一言だけで空気が変わる。


 一条は歯を剥いた。


「なんだよ……お前らまで……!」


「お前、完全に汚染進んでるぞ」


 ガルドが険しい顔で言う。


「これ以上暴れるなら拘束する」


「はは……ははは!」


 一条は笑い始めた。


 だが、その笑い声は壊れていた。


「なんでだよ……!」


 怒鳴る。


「なんでお前ら、こんなおっさんの味方してんだ!!」


 玲奈が即答した。


「助けてもらったから」


 一条が固まる。


 玲奈は静かに続けた。


「茂さんは、私たちを眠らせてくれた」


 その言葉に、探索者たち全員が頷く。


 誰も笑わない。


 誰も揺らがない。


 一条だけが取り残されていた。


 茂は呆然と彼らを見ていた。


 守られている。


 自分が。


 会社では誰も助けてくれなかったのに。


 胸の奥が、少し熱くなる。


 一条は震える手で剣を握った。


 だがもう、誰も恐れていない。


 かつて最強だった男は、今や壊れた英雄にしか見えなかった。


 玲奈が静かに告げる。


「帰って」


「……っ」


「ここは、あんたが壊していい場所じゃない」


 ミントの香りが漂う。


 静かな結界。


 安心できる場所。


 一条だけが、その中へ入れなかった。



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