第3章 2話『6年の月日と、あの日のままの想い』
黒々とした山に囲まれた森がある。
世界の常識では――存在しないことになっている。
国と国の狭間。深い谷に閉ざされたその森には、橋も山道もない。
飛行魔法も竜も、渦巻く強風に阻まれて近づけない。
転移魔法も、一度訪れた場所か正確な座標を知らなければ安全には使えない。
だから、この森を知る者は、ほとんどいない。
◇ ◇ ◇
「――と言われている森なんですよ、ここ」
「そうなんだ」
森の中央に、ぽつんと建っている小屋がある。
周りには、野菜や薬草を植えている畑や、小さな池、洗濯物を干すスペース。
一人で生活するための最低限のものがあるだけで、それは部屋の中も同じだった。
「サラちゃんが冒険者になってるんだって知らなかった」
あまり深く追及されたくない。話を逸らさなければ、きっと「ここから下に降りないか」と言われてしまう。
まだ、6年しか経っていない。
感情のコントロールは完璧ではない。
一応、薬も作ることができたけれど、副作用が強くて、あまり飲みたくない。
不完全なままの私が山を降りて、また6年前と同じことを起こしてしまったら――。
「……あれから6年は経ってますし、成人はしたので」
「そう……だね。宿屋の方は継がないの?」
「兄が継ぎました」
「兄?」
「……天空の宿り木、覚えてますか?」
リュゼルと出会ってすぐの頃、二人で従業員の男性を助けに行った。
名前は確か……エリオット・フェリオン。
サラのフルネームはサラ・フェリオン。
「……あの人が、お兄さん?」
「はい」
あの時、幻影魔法にかかって倒れていた青年。サラの兄だったんだ。
「あの時は働きに出ていたんですけど、3年前くらいに戻ってきました」
「なるほど」
「それに、魔法とか剣術とかは父に似たのか、そっちに適性があったみたいで冒険者やってるんですよ」
「確か、お父さん。元騎士団長って聞いた気がする」
「はい。なので、騎士団からも声をかけてもらったんですけど断っちゃいました」
サラは立ち上がって、向かいに座っている晴歌を見つめる。
ガーネット色の瞳が、外の光を受けて煌めいた。
「ハルカお姉ちゃんと一緒に旅をするからって」
「私と……?」
「はい!」
予想外の言葉に、息が止まった。
「――でも、私……」
「ハルカお姉ちゃんのこと、教えてもらいました」
サラは少し俯いて、言葉を選ぶように続ける。
「無理やり聞き出した感じなんですけど……たまたま会ったティオさんやフィアナさん、騎士団や竜騎士にも。そして……」
「竜騎士」という言葉に、胸が締め付けられた。
「ルディアン王太子殿下にも」
「へ!?」
「ルディアン王太子殿下ですよ。お知り合いですよね」
「あ……うん」
竜族の騎士であるリュゼルのことかと思ってしまった。
まだ、私の奥底には彼が残っているのだと、思い知らされた。
「王太子の婚約者を、たまたま助けてから縁があって……」
「婚約者……?」
「はい。2年前くらいに」
(そうか……彼は次の王様だもんね)
「ティオさんとフィアナさんとは、冒険者として先輩なので、冒険者になって会えて嬉しかったんですけど」
サラは椅子に座り、どう切り出せば良いかためらう表情をした。
「リュゼルお兄ちゃんとは会えずにいるんですよね」
その名前――心臓が、跳ねた。
「え……?」
突然、足元から突き上げるような衝撃。轟音が響いた。
サラは咄嗟にテーブルから離れ、身を低くして窓の外へ視線を向けた。
(この感覚……巨大ダンジョンが現れた時と同じ?)
1分ほどで収まり、サラはゆっくりと立ち上がった。
「びっくりした。ここでもダンジョンとかって……」
椅子に座ろうとした瞬間、目に入ったのは真っ青な顔をして震えている晴歌だった。
「サラちゃん……ごめんね。私……」
「どうしたの? 大丈夫だよ?」
「……ごめん、びっくりさせたよね」
サラは晴歌の手を握る。
「リュゼルお兄ちゃんはザル=エンハール連邦王国に帰っているから会えていないだけだよ」
「ティオさん経由で手紙とか、王太子殿下のご厚意で通信用の水晶を使わせていただいて、リュゼルお兄ちゃんとはお話できてるから」
この6年間、リュゼルのことが頭から離れなかった。
勝手な別れ方をしたのに、嫌われて、もう結婚したとか、私のこと忘れてしまったんじゃないかとか。
何度もこちらから連絡を取ろうと思った。
でも――。
白い神と、ナスタ以外、誰とも会わなかった。話さなかった。
自分の力をコントロールすることだけに、6年間を費やした。
それでも、リュゼルのことを想うだけで、みんなのことを思うだけで、感情が揺さぶられ、さっきみたいなことが起きてしまう。
やっと感情をコントロールできるようになって、一時的な薬もできた。
けれど、やはり――。
「リュゼルのことになると、まだダメなんだ……」
「ハルカお姉ちゃん……」
サラはふと、この森の異変に気づいた。
時刻的にはもう夜のはずなのに、森の中は、訪れた時と同じ明るさだった。
空を見上げる。太陽は、来た時と変わらない位置にある。
(……あれ? でも、もう何時間も経ってるはずなのに)
この森には、夜がないのかもしれない。
――いや、時間そのものが止まっている?
この森だけが、世界から切り離されたように。




