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アレクサンダー建国記(旧バージョン)  作者: 稲荷竜
七章 くじらと奴隷の街
71/73

7-10

 くじらにつぶされかけた俺は、姉さんに突き飛ばされた。


 安全圏へ――それは足がつぶされ、鼻先をくじらの巨体がかすめる程度の安全圏ではあったけれど、たしかに、致命の位置から、救命の望みのある位置への移動だった。


『生死の境』まで半歩もないほど、ギリギリ『生』の側へ俺は突き飛ばされて――


 俺を救った彼女は、当たり前のように『死』の側から脱することができなかった。



「――」



 死ぬ間際、彼女が笑っていたように見えた。


 光景はスローモーションのようだ。鼻先をかすめる軌道で通り過ぎていく『(くじら)』の動きがやけにゆったりに思える。


 こういう時――


 体を動かすほどの時間も余力もなく、ただただ意識だけが一秒を数十分のように感じているこういう時、まさに避けられない死を目前にした人にまつわるアレコレが、頭によぎるものだろうと思った。


 でも、なにもなかった。


 道中での他愛ない会話を思い出したかった。

 けれど、記憶に残るほどの会話など、俺たちは交わしていなかったのだ。


 ともに危機をくぐり抜け、はぐくんだ絆について思いをはせられたら、どんなによかったか。

 けれど俺たちにはそんな大事件などなかった。

 もちろん、あの港町で起こったことは印象深い。だが、そこに姉さんはほとんどいなかった。俺たちは絆をはぐくむような事件に遭うことはなく――


 なんだか、突然、仲間だった。


 そのまま、仲間を続けてきた。


 だからきっと、彼女の笑顔が、どこか俺をとらえていないような印象は間違ってはいないんだろう。

 彼女は俺を助けたのではない。

 俺を通して、俺の知らない誰かを助けたのだ。


 ……俺なんかじゃなくって、俺の知らない、彼女にとって本当に助けたかった誰かを――



「今度こそ、助けられた」



 ……言葉など発しようもない刹那の中、そんな声が心に届いた気がする。


 こうして自分にしかわからないこだわりで死にかけた俺は――

 彼女にしかわからない信念により、救われた。


 自分勝手と自分勝手が響き合い、偶然に作用し、俺が生き残り、姉さんは、死んだのだった。


 ――くじらが通り過ぎていった。


 姉さんだったあと(・・・・・・・・)が地面には広がっている。

 俺はそれ(・・)を見て、いたましいと思うより、凄惨だと思うより、なんだかおもしろくて、笑いそうになっていた。


 グロテスクがすぎて笑ってしまうことが、たまにある。

 姉さんは俺の中でそれらと同じものになった。


 仲間なのに。

 一緒に旅をしたのに。

 優しくしてくれたのに。

 俺を――救ってくれたのに。


 ネットで偶然見てしまった画像と同列のものとして、俺は、姉さんの死を受け止めていた。


 俺を愕然とさせたものは、『仲間の死』ではなくって、『仲間の死さえ他人事のように受け止める、自分自身』で――


 感情にまかせて復讐相手であるくじらに、全力の剣をふるいたかったのに――

 俺の中には、姉さんの死で発揮されるような『想いの力』がなかったのだった。


 ――足が治る。


 くじらが転がっていったおかげで、イーリィから俺へ、視線が通ったのだろう。


 姉さんの姿も、イーリィからは見えているはずだ。


 でも、姉さんはそのまま、地面に広がったままだった。


 治癒と蘇生は別物だった。

 イーリィは視界におさめる限り、どのようなケガも欠損も治すが……

 死んだものは、生き返らせられない。



「……ああ、そっか」



 ようやく俺のにぶい心でも理解がかなった。



「こういうことも、あるんだ」



 今まで、なんだか(・・・・)うまくいっていた。


 この世界はシンプルで、暴力で解決できないことはないと思っていた。

 力と力でぶつかり合い、勝利すればなんだか(・・・・)うまくいくものだと、信じて疑っていなかった。


 故郷の村では、イーリィのオヤジがいた。

 彼の信仰を打ち砕き、彼にすべてをまかせて旅に出た。


 エルフの集落には、サロモンの兄貴のジルベールがいた。

 村を守る壁を破壊した俺の言葉に、ジルベールは理解をしめしてくれた。そうして――俺が興味もわかなかった地味で大変なことを一手に引き受け、俺たちのあとを追うと誓ってくれた。


 ドワーフの村は全体がそうだった。

 俺は彼らにドラゴンを倒させ、そうして旅へと巻き込んだ。


 港町こそ、ダリウスに課した負担は半端ではないだろう。

 あそこからどうやって人々を落ち着かせ従わせるかなど、俺には想像すらおよばない。

 殴っていうことを聞かせる――そういう方針は示したけれど、力でどうにかなる問題ばかりでもないだろうに、そんなこと、ダリウスならわかっていただろうに、彼はそれでも俺を見送ってくれた。


 今までなんだか(・・・・)うまくいっていた。


 それはきっと、奇跡の連続だった。


 今は、なんだか(・・・・)うまくいかない。



「……だから、俺がやるしかない」



 くじらを、殺さなければいけない。


 だって、ここから、うまく、どうにかしてくれる誰かを、俺は知らないのだから。

 くじら退治は――

 俺たちができなければ、今、ここにいる誰にも、できないのだから。


 カラッカラの心を振り絞る。

 俺は『責任』というものの存在を、初めて認識できた気がする。

 けれど、責任感は、まったく俺の心を高めてはくれない。前へ進む原動力にはならない。

 今まで得てきたものが、かかわってきたものが、背負ってきたものが、なんだか妙に、体を引っ張る。

 その重みはすさまじくて、もうこのまま寝転んでしまいたいぐらいだった。


 責任感は力にならなかった。

 だから別なところから、力を引っ張ってくるしかない。


 歯を食いしばって剣を握る。

 治った足で立ち上がる。


 こんなにも体が重い。まったく力がわいてこない。

 背負ったものの重さに、しでかしてしまったことの大きさに、俺はおびえ、すくむばかりだ。


 ――だったら、おびえを力に変えよう。


 二度と、こんなことが起こらないように。

 俺がたきつけた誰かが、こういうふうに犠牲にならないように――


 おびえを誓いに。誓いを力に。

 ようするに考えかたの問題だ。悲しみ怒るべき場面なのはわかっているけれど、そういうものにはハマれそうもない。


 俺は、自分のためにしか戦えない。


 だから――責任をいとうこの心を叱咤するのはきっと、責任から逃れたいという、これ以上の重さを背負いたくないという、情けなく身勝手な気持ちなのだろう。



「……ハッ」



 長く長く、太く太く、非実体の刃が伸びていく。


 最悪すぎて吐き気がしてきた。俺は本当の本当に自分のためにしか戦えなくて、誰かのために力を発揮することが、全然できないようだった。



「ごめんな」



 姉さんに言ったのか――あるいは、これから俺が殺す、くじらに言ったのか。



「死ぬべきは俺だったのに。なにも支えられない、なにも救えない俺が死ぬべきだったのに――巻き込んで、ごめん」



 想像の中で、俺が謝った相手は、俺を赦してくれた。


 ――本当は、どうなのだろう?


 わかるはずもない。

 想像の中の人たちは、俺の妄想だ。俺が望めば赦すだろう。俺が望めば笑うだろう。

 自分に甘いのはわかっている。

 けれど、今だけは、せめてくじらを倒すまでは『責任を果たそうとすれば赦される』という甘い妄想にひたっていたい。そうじゃなけりゃ、力が出ない。


 力のこもった刃を振り下ろす。

 くじらの分厚い皮を、脂肪を、肉を、切り裂いていく。


 その刃が立たないほど丈夫だった脅威を倒しながら、俺はやっぱり、笑ってしまう。


 ――本当に最悪だ。


 気づいてしまった。


 責任逃れのために放った刃は会心のものだった。

 だからきっと俺の旅路は、果てを目指した冒険ではなく――

 先々で起こした恥をかきすてるための、逃走だったのだろう。

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