7-9
転がる。
街が壊れる。
転がる。
大地がえぐれる。
転がる。
震動と風圧で、ただそばで立っていることさえ、難しい。
そいつは巨大なボールだった。
形状は球。行動もボールそのもの。跳ねる、転がる、たまに止まる。
行動は単純でパターンは多くない。対処は簡単で難しい相手ではない。
相手が、ドーム球場級の巨体でさえなければ。
大きいということはそれだけで脅威なのだという当たり前のことを思い知らされる。
分厚い皮膚と脂肪と肉は渾身の刃を矢を阻み、気まぐれに転がられるだけでこちらは全力で走って轢殺を避けねばならない。
「強敵だ! まさしく強敵だぞ、アレクサンダー!」
楽しげに叫ぶサロモンに「そうだな」と生返事をする。
まったくもって青い空もまだ高い日も憎々しい。くじらの巨体を見上げるたび、明るさが目にしみてしかたがなかった。
たぶんこの世界に来て、俺は初めて『普通の戦い』というものをしている。
HPが見えない。STRが見えない。DEXが見えない。――そもそも、殺せるような相手なのかさえ、わからない。
くじらは巨大だった。その巨大さだけで俺の『ステータス閲覧』を封じていた。
予想した通り、『体の中心ライン』から数十メートルほどが俺の『ステータス閲覧圏内』らしい。
相手があとどのぐらいで死ぬかが、わからない。
たったこれだけのことで、どれほど心が削られるか、俺は前もって想像しておくべきだった。
……本当におそれいる。HPが見えない――それは俺にとって異常事態であっても、この世界で過ごす人々にとっては当たり前のことだ。
サロモンはこんな、いつ倒せるかわからない強敵との戦いに歓喜していた。
シロだって未だに『弱点』は見えないようなのに、立ち向かい、攪乱する動きには恐怖というものがない。
イーリィは後方支援とはいえ、あの巨体の転がりに巻き込まれないほど離れたところにいない。
にもかかわらず、くじらの動きを見て、俺たちに指示を出す余裕さえ見せていた。
一番ぶっとんだ度胸をしているのは間違いなくダヴィッドだろう。
ゴーレムを作るほどの金属を持っていない今の彼女は、なんとハンマーだけでくじらに立ち向かっているのだ。
誰も、あの巨大生物をおそれていない。
それどころか、『絶対に倒せる』という確信さえ持っているかのようだった。
俺は笑いをこらえきれなかった。
なんて絶望的な敵なのだろう。
なんて希望の見えない状況なのだろう。
世界はこんなに広くて、きっとあの青い空の上から見れば、くじらも俺たちも同じ豆つぶに違いない。
にもかかわらずそこには大きなサイズ差があって、視界をいっぱいに埋め尽くす超巨大生物に、俺たちは有効な攻撃ができているかどうかもわからない。
強大なものを神と呼ぶならば、くじらはまさしく神だった。
俺たちは神を殺そうとしている。
その事実に、どうしようもなくワクワクしてたまらない!
戦いの楽しさを味わっている。
くじらが転がるたび、すぐ横を『死』の感触がなでていく。けれどそんなものどうでもよくなるぐらいの楽しさが心を支配している。
自分の全力をおしげもなくつぎ込んで、強大すぎる敵にたたき込む。
刃を伸ばす。どんどん伸ばす。広くする。細くして突き込む。皮と脂肪と肉を貫く感触があって、くじらが悲鳴をあげた。
くじらが跳ねて俺たちをつぶそうとする。
けれど回避行動で攻撃をゆるめるのがなんだか惜しくて、俺は鼻先をかすめるくじらの圧力に全身をビリビリ震わせながら剣をないだ。
最高に気持ちのいい時間が続く。
けれど攻防になにか違和感があって、俺はその正体が全然わからない。それだけが妙に気持ちが悪い。
剣を振るうたび、くじらが鼻先をかすめるたび、違和感はふくらんでいく。
違和感が気になったのと、攻撃に意識をさきすぎていたのが原因だろう――回避がおろそかになりすぎて、左足をくじらに踏まれる。
それは一瞬でぐしゃぐしゃになっていた。漫画みたいにペラペラになったりはしない。つぶれて圧力にたえきれずはじけて、骨が肉から飛び出している。
そうして俺は。
ようやく、だんだんとふくらんでくる違和感の正体に気づく。
痛みが、なかった。
そうだ、以前――ドラゴン退治をした時だ。あの時も、自分の足がつぶれているのに、あとから気づいた。
痛覚がない。
最初からこうではなかった。だんだんとにぶってきたように思える。
もちろん左足がつぶれて左足で動ける道理はない。
治療を待つ。イーリィの『視界におさめさえすれば、どのようなケガも欠損も一瞬で治してのける』治療――けれど、それはいつまで経ってもなされない。
くじらがいた。
そのまんまるとした巨体は俺とイーリィのあいだにあって、俺たちの視界をふさいでいるのだ。
使い物にならない左足を『ない』と考えて、右足だけで動く。
俺はこのハンデをありがたいものと思っていた。自分への不利が働くほどに、戦いの質が上がるように思えたんだ。
死ぬかもしれない、とは思っていた。
でも、それもいいか、と考えていた。
むしろこれだけ死ななかった自分の死に様に興味があるぐらいだ。
首がとんでも死なない。体が燃えても死なない。ならば、あのくじらの巨体に押しつぶされて、挽肉になったら、さすがにどうなのだろう――
自分の命の使いかたは、自分で決めるものだ。
俺はその死に様も『いい』と思っていた。だってそうだろう、満足いくまでの大冒険の果てに、力及ばず、つぶれ、死ぬ。
『覚悟がある』ではない。
『それもアリだ』と思っている。
だから、『アリ』な結末に向けて、俺はくじらへの攻撃を続けた。
――だからきっと、俺とあの人の価値観が、カチ合ったんだろう。
くじらがぐらりとかたむいて、俺のいる方向に転がりそうになったその時――
俺の右足から不意に力が抜けた。
見れば、いつのまにか、つま先がなかった。
終わった、と思った。
あまりに他人事みたいに人生の終わりが頭によぎる。
似た感覚をどこかで覚えたのを思い出す。
これは、死ぬという事実があまりにも軽く受け止められるこれは、そうだ、たしか、ゲームだ。
残機の一つが消える時、コンテニューの表示が一瞬あとに出るであろうタイミングで、俺はたしかに、こんな気持ちになった。
だから自分が死ぬかもしれない時、俺は全然まったく、動じていなくて――
代わりに、あわてて俺の命の保護に走ってきた人がいた。
――価値観の違いがここでぶつかり合う。
俺は、俺の死はどうだっていいと思っていた。俺のために、誰かが命を賭すことなんかなくていいと考えていた。
彼女は――
姉さんは、きっと、『アレクサンダーが死ぬかもしれない』という状況に我慢ができなかった。
彼女が俺を助けるために命懸けで飛び込んできたのはきっと、そういう、価値観の違いが原因だったんだろうと、ぼんやり思った。




