5-1
森ってすげーよな。一生住める。
だって水も食糧もたっぷりあるし、吸い込む空気にはマイナスイオン的なアレがふくまれてて癒されるし、地面はふかふかで寝てても背中が痛くならないし、時期によっては落ち葉を枕にできるんだぜ。
森、最高。
「兄さん! もう! 泥だらけでぐだぐだ言わないで! ほら、服を脱いで! そこの川で洗ってきますから!」
はい。
イーリィに着ているものを奪われたので、上半身裸で、折れた剣だけ背負ったまま、地面にあぐらをかいている。
別に洗濯を全部イーリィに任せてるってわけでもない。
でも俺が平気だと思ってる汚れでもあいつには我慢ならないようで、こうして定期的に服をひっぺがされ、気付けばあいつが洗濯担当みたいになっている。
で、
「カグヤちゃんも、兄さんと一緒に泥だらけになって……ほら、川で洗いましょうね。あとダヴィッドさんも土を掘ってないで一緒に来てください! 姉さんも!」
ついでに水浴びをするらしく、女性陣は全員連れて行かれてしまった。
残された男三人、木漏れ日差しこむ昼の森の中で、あぐらをかいて見つめ合う。
俺たちは全員上半身裸だった。
下半身の衣服まで奪われなかったのは、イーリィの温情だ。
しかしいずれ上半身の衣類が乾けば、今度は下半身の衣類が奪われ、そうして俺たちは『下半身だけ裸』という裸より恥ずかしい格好でそのへんに立たされる羽目になるのだ。
袴(のようなもの)だけの姿になってそれでもニコニコ笑っている新加入メンバーのシロが言う。
「イーリィさんは素敵な女性ですねえ」
女顔の優男なのだが、こいつは脱ぐとだいぶすごい。
真っ白い雪のような肌をして、左右で色の違う瞳を持ち、白い髪を長く伸ばしたこいつの肉体には、格闘技番組でもまず見ないような屈強な筋肉があるのだった。
その大きな大胸筋やらハッキリと割れた腹筋やら、なんといっても首回り? 首から肩にかけて? の筋肉やら、完全にハリウッドスターの体だ。
で。
シロから視線を外し、俺の肉体に目を落とせば、そこにはひょろいものがある。
十二歳相応の肉体って感じ。
俺が十五歳であることを除けばなんの問題もないんだが、俺の体はどうして十二歳のころからまったく大きくなろうとしないんだろうか。
……まあ、なんとなく予想はつく。
あの年齢でアレクサンダーが死んだから、それが関連してるんだろう。きっと。
ふん、とつまらなさそうに鼻を鳴らすのはサロモンだ。
「……我は好かんがな。あやつは口うるさい」
種族エルフのおかげかこっちも優男顔なのだが、こいつの体は特に顔とのギャップはない。
贅肉はないが筋肉もそこまでじゃないって感じだ。
まあ、時代が時代なんで鍛えられてはいるんだが、シロが隣にいるとどうしても細い印象が否めない。
背の高さがシロと同じぐらいなんで、余計に対比される感じだ。
髪の長さも同じぐらいだし、金と白でなんとなく対照的だし。
「サロモン、シロ、イーリィたちは洗濯と水浴びに行った。つまり、しばらく帰ってこない」
俺は身を乗りだした。
サロモンはコクリとうなずき、
「連中のいないあいだに狩りでもしておくか」
「真面目か! ……いや、そうじゃねーよ。サロモンと二人きりだとどうにもやりづらかったが、今はシロもいる。ここらで一つ、修学旅行の夜みたいなイベントをしてみようじゃねーか」
「なんだそれは」
「ぶっちゃけ、誰が一番好み?」
俺はニヤリと笑ってたずねた。
サロモンはきょとんとした。
「……好みとはどういう意味だ? 一番よき闘争ができそうな相手は誰かという意味か? それならば貴様だ、アレクサンダー」
「そうじゃねーよ! お前……え、お前、わからない? 本当に?」
「……なにがだ。我は迂遠な物言いは好かぬ」
迂遠な物言い代表みたいなサロモンに言われた。
俺があまりのカルチャーショックから説明に窮していると、シロが笑いながら言う。
「サロモンさん、アレクサンダーはこう言いたいのですよ。『伴侶とするならば誰がいいか』と」
「……どういう意味だ?」
「あなたの故郷では『伴侶』という概念はなかったのですか? あなたにも親はいるでしょう? 父と、母の、つがいが」
「くだらぬ親だが、いないこともない。すぐに兄のジルベールと我を比べ、我を罵倒するのだ。『いつまでもおかしなことばかり言ってないで仕事を覚えなさい』だの『お前の両親は私たちであって、異界の神とかではないから……』だの……ふん。個性というものを認められぬ愚かな動物よ」
「はっはっは。僕もまあ実の親に殺されかけたりしたもので、親という存在について愚かな動物だと言われれば、なるほどと同意せざるを得ませんねぇ」
ニコニコと重いことを語るな。
サロモンが一般中二病男子の反抗期なのに対し、シロのはガチなやつだからな……
シロはあくまでもにこやかなまま続ける。
「話を戻しましょう。サロモンさん、僕らはこうして、奇しくも男だけで残されました。こういう時になされるのは、たいてい、同じコミュニティに所属する女性への選評です」
「なぜそんなことをせねばならん?」
「なぜ、と問うのは野暮というものですよ。女性がいないならば、女性がいる時にはできない話をする。多少おどけて、打ち明け話をする。そういうことを繰り返すことで、同性からの親しみと支持を集め、組織運営をより円滑に行う一助とするのです。アレクサンダーがこのような話題を切り出したのも、組織のリーダーとして実に理にかなったことなのですよ」
さすがに俺は「待て」と話に割りこんだ。
「そうじゃねーよ! 発言一つひとつにそこまでの効果は見込んでねーんだよ! 『なぜと問うのは野暮』とか言っておいて本気で野暮な話をするな!」
「おや、違いましたか? あっはっは。これは失敬」
「……お前わざとやってんのか?」
「いえいえ。そんな、まさか、まさか。あっはっは。……というわけで男でしかできない話をしましょう。女性の容姿に点数をつけたり、懸想を語ったりね。目の前でしたら気分を害されること間違いない生々しい話をしましょう」
シロが話題を進めていく。
話題の進め方が完全に『それ以上の追及を避けた』感じなので、なんだろうこの、シロと会話をするたびにたまっていく疑念ポイントは。
まあいいんだけどさ。
「で、シロ。進行役に回るんなら最初にぶっちゃけろよ。お前はどうなの?」
「『女性はみんな素敵』としか答えられません」
「逃げたな!」
「違うのですよアレクサンダー。僕は本当に、他者に好意を持つのが苦手なのです。これより語られるのは『愛』にまつわる話なのでしょうけれど、僕は愛というものの輪郭をうまくつかむことができないでいるのです」
「……えーっと、それは両親に殺されかけたアレと関係あったり?」
「いえいえ。血縁のあるだけの他人との話とは関係がありませんよ。親と言える存在はダリウスがいましたからね。ただ……僕はたいてい、一人でなんでもできるんですよ」
「まあ」
しばらく一緒に旅をしてわかったが、マジなのだ。
洗濯や料理、狩りなんかはもちろんそうなのだが、『上手に火を熾す』とか『熾した火を一定の大きさで維持する』とか『野営における寝床作り』とかの、『細かすぎてアピールに困るけど重要なこと』がとにかくうまい。
もちろん戦闘においても大活躍だ。
チートスキルによるクリティカルヒットで大型から小型まで無駄なく一撃でしとめるし、暗殺特化かと思えば受けに回っても強い。
おまけに戦い方自体もそつがない。
俺に見える『スキル』の欄にない、明文化されない技術がとにかく優れている感じ。
シロは困ったように笑いながら続ける。
「だから同い年やら年上やらの人類のことを、必要と感じることが少なくて……ほら、愛というのは欠損を埋めるために無意識下から発せられる命令みたいなところあるでしょう? もちろん、それっぽい嘘を騙ることはできますが、腹を割って正直に、となると、ちょっと困りますね」
「……お前、今、予想以上にひどい闇を語ってるけど自覚ある?」
「あら、間違えちゃいました?」
「いや、うーん……」
間違いってこともねーというか、なにを語れば正解なのかがそもそもあいまいな話題なんだけどさ……
今、実感してる。
修学旅行でやる『好きな子のこと語ろうぜー』みたいなのは、語り合う全員の文化圏がそろってるからなし得る文化的活動だったんだ。
この時代だとちょっと不向きな話題だったかな……
「……まあいいや。サロモンは?」
これ以上暗いものに飛び出されても困るので、サロモンに水を向けた。
黙ってればイケメンの金髪エルフは、いつも眉間に刻まれてるシワを心なしか深くして、
「貴様らの言わんとすることがわからぬ」
「……うん、そうだな! よしこの話題は終わり! やめやめ!」
「待て。その打ち切り方だと、我の不理解のせいで話題が続行できぬかのようではないか」
「そうだよ! いや、そもそも俺の話題の振り方が軽率だったけどさ!」
「それは認められぬ。我の理解が及ばぬゆえに話題を切られる――これは敗北だ。敗北があり勝利がある。すなわち闘争。よかろう、愛。語ってやろう。我はあらゆる分野で闘争に手は抜かぬのだ」
「もういいよ! 無理すんなよ! 俺も聞いてて変な汗出てきたし!」
「伴侶としたいのは誰か、であろう? ふん、考えてみれば結論を出すのはたやすい」
「おお? いるのかまさか、好きな相手が?」
「好きかどうかなど関係があるまい。伴侶とはすなわち子孫を残すための相手だ。『丈夫で』『若い』。これ以上の条件など必要あるまい。男女ともにそういう基準で選ぶのだと聞いている。なぜならば丈夫でないと畑を……」
「やめよう、この話は」
「なぜだ」
「いや、その……」
愛は文化活動だったんだ。
誰のことを好きとか気になるとか、そういうのはもっとこう、世界が追い詰められてない時にするものだったんだ。
少なくとも、世の中にモンスターがあふれて人々が生き延びるので精一杯っていう時代に語っていいことじゃない。
なんだよ『子孫を残すための相手』って。
いやまあ、そうなんだろうけどさ! 極論すればたしかにそうなんだろうよ!
でも俺が知りたいのはもっとこう、感情の機微っていうかさ……
ニヤけるような話がしたいんだ。
こんな重い話はしたくなかった……
「俺が悪かった。本当にすまない」
土下座した。
見上げたサロモンとシロは二人ともきょとんとしていた。
シロが首をかしげる。
「ではアレクサンダー、僕らに手本を見せてください」
「手本?」
「あなたはこの話題の『正解』を知っている。どう語ればいいか示してくだされば、僕も考えてそのように合わせますよ」
「その発言も闇だぞ……考えて合わせるような話題じゃねーんだ。すまないな」
「そうですか。残念です」
「ただまあ、俺から振っておいて俺が触れないってのもずるいし、そうだな……」
頭を上げて考えこむ。
当然ながら、イーリィもダヴィッドも姉さんも、まだ幼いカグヤでさえも容姿だけ見たら十二分に魅力的だ。
っていうか、この世界で美人じゃない女性に出会ったことが一度もない。
「年齢的に言えば一番いいのはイーリィなんだろうなあ。一個差だし」
「ほう」
シロはうなずき、身を乗り出して、語った。
「たしかにイーリィさんは素敵な女性ですね。細やかでよく気がつき、ともすれば、たるみがちなこの集団に規律を与えてくださっている。この旅暮らしで我らが獣のようにならず、人であり続けられるのは、彼女が全員の尻を叩いて回っているからでしょう」
「まあお前の言ったことは、ひるがえせば小言が多くて口うるさいって意味なんだが……」
というかシロが褒めまくるもんで、俺が文句しか言えなくなってるぞ……
これイーリィに聞かれてたら怒られるの俺だけじゃん?
すごい先制攻撃食らってる感じ。
シロは次なる攻撃を仕掛けてくる。
「アレクサンダー、カグヤさんはどうですか?」
「かわいいんだけどさ、なんていうの? ……年齢?」
「しかしアレクサンダー、カグヤさんとあなた、横に並べると、見た目的にはそう差がないように見えますよ」
「そうなんだよな……」
「それに彼女は、とても一途だ。懸命で一途で、あなたのことを想っている様子が、横から見てよくわかる。今はたしかに幼いけれど、ゆくゆくはきっと素敵な女性になりますよ」
「そうだろうとは思うんだけどさ……いや、かわいいよ? 懐いてくれてるのもわかる。でもその、ほら、妹感強すぎてな……俺のこと『兄さん』って呼ぶイーリィより妹感強い」
「イーリィさんは見た目だけならアレクサンダーより年上ですからね」
「本当にあいつの成長率ヤバイんだよ……」
特にあの胸はなんなんだ。
どれだけいいもの食わせてもらってたんだ。
「俺もせめてイーリィぐらいの身長がほしいな……」
「身長の高い方がお好みで?」
「俺、魔法使えないじゃん? 背が低いとどうしてもリーチがな……剣も折れてるし」
「あなたの剣は今、ダヴィッドさんが製作中なのですよね」
「そうだな。でもなあ、いや、あいつには本当に悪いんだが、ぶっちゃけ、無理だと思う。……技術じゃなくて素材の問題で、俺の腕力に耐えうる剣はありえないんじゃないかな……俺、腕力だけならシロとダリウスのおっさん両方同時に相手しても勝つぞ、たぶん。自分のステータスは見えないんでハッキリとは言えないが……」
「なるほど、あなたの剣を作るのは険しい道のりだ」
「マジでな」
「しかし、ダヴィッドさんもアレクサンダーのため一生懸命にやってくださっていますね。確固たる自己をお持ちで、目的意識があり、そこに向けて邁進する力強さがある。僕から見てうらやましいまでの自我の強さです。素敵な方ですよね」
「そうだな。ただまあ、恋愛対象かと言われると……友達っていうか、男同士って感じがしちまってな……」
「あはは。たしかに。ではもう一人は?」
「姉さんは美人度で言えば一番なんだが……弟扱いされすぎて、だんだん、マジで姉なんじゃないかって気がしてきてる」
「アレクサンダー、それはまずい。彼女の世界に取り込まれている」
話の雰囲気がホラーに入りかけたその時だ。
今まで蚊帳の外って感じで黙っていたサロモンが、立ち上がる。
「アレクサンダー」
「わかってる」
俺もシロも、遅れて立ち上がった。
――囲まれている。
なごやかな談笑の時間は終わりだとばかりに、周囲の木々から、俺たちに数多の視線が注がれていた。




