38 日常へ
リジェリアに戻った私は、すぐに自分の店へ向かった。
いつものように狭い路地裏を歩いて、石段を上り、玄関を開ける。
「ただいま……!」
店の中に漂う薬草の香りをかぐと、ようやく帰ってきたという心地がした。
自分のためだけに肉体疲労を回復させる薬草茶をブレンドして、ケーキを焼いて、生クリームを絞る。
窓の外はすでに夕闇に包まれていて、部屋をぼんやりと照らすオレンジ色のランプの光が温かい。
お茶が入ったカップを両手で包むと、ふいに視界がぼやけた。
「終わったんだ……何もかも……」
この数日は悪夢みたいだった。
天気がいいから海に出かけて気持ち良く過ごしていたのに、急にマルヴィン殿下が現れて……。
足枷を見た時は、本気で人生が終わってしまったと思った。
でもこうして自分の店で温かいお茶を飲んでいると、全てが夢のようだ。
ふと何かの音がして、窓の方を見ると、小鳥がガラスをつんつんと突いている。
「ちょっと待ってね」
私はキッチンに入り、お皿にパンくずを用意した。
それから窓を開けて小鳥を部屋に入れると、足には手紙が結びつけてある。
解いて中身を確認してみたらジル様からの手紙だった。
「マルヴィン殿下のことも終わったのね。ジル様、ありがとうございます」
何もかも終わったから、安心してくれ、と書いてあった。
パンくずを突いていた小鳥が飛んでいき、窓を静かに閉める。
その日は早めに休んで、翌朝はいつも通りの時間に店を開けた。
「今日は開いてるんですね、よかった」
「しばらく閉まってたから、心配してたんですよ」
入店したお客さんの言葉に、私は深々と頭を下げる。
「ご心配をかけてすみません。もう大丈夫です」
その日もとても忙しかった。
薬草茶を煎じながら軽食も作って、目が回るような忙しさを体感していると、閉店間際にジル様とクラウスさんがやってきた。
「いらっしゃいませ!」
「やっと元通りですね、やれやれ」
クラウスさんがおじいさんみたいな口調で言うので、私は笑ってしまう。
「クラウスさん、まだ若いのに」
思わず言うと、彼はお茶をすすりながら片眉を上げた。
「若く見えるだけです。実年齢は二百を超えてるんですよ」
「えっ……!?」
私はぎょっとして、持っていたトレイを落とすところだった。
何となくジル様に視線を移すと、彼は気まずそうに俯いている。
「陛下だって私と同い年です。陛下、何を黙ってるんですか。エレナさんが若いから気まずいんですか」
「……うるさいな。少し静かにしてくれ」
ジル様はそう言うと、私の手をそっと握った。
「ランドルトの問題は片付いた。これでエレナはずっとこの店にいられるだろう?」
「はい、ありがとうございます。ジル様とクラウスさんのご協力があったからです」
にこにこと答えれば、彼はほんの少し頬を赤く染めた。
「俺はこれからもエレナの店に来ていいだろうか?」
「? はい、もちろんです。いつでもお待ちしています」
何で今さらこんな確認を取るんだろう。
訳が分からなくて首を傾げていたら、クラウスさんがニヤニヤしながら言った。
「言質がとれてよかったですね。こうやって少しずつ距離を詰めていく作戦だったんですから」
「距離?」
何の距離だろう。
私は分からないまま、とりあえず思い付いたことを口走った。
「あっ、クラウスさんのお越しもお待ちしてますね! ぜひお二人で来てください」
言った途端、ジル様ががくりと肩を落とす。
「え? ど、どうかしました?」
「いや、気にしないでくれ……」
「道のりが長そうですねぇ。私は薬草茶が気に入ってるから、この店には通うつもりですが。エレナさん、たとえばですけど、店が休みの時に誰かとデートしたいとか思いますか?」
「え……」
これまで考えたこともない質問で、返答に詰まっていると、やけに熱い視線を感じる。
ジル様だ。
炎を閉じ込めたような瞳でじっと見つめられて、私は顔が熱くなるのを感じた。
「た、たとえば……、ジル様に誘われたら、嬉しいと思います……」
私の声はどんどん小さくなって、最後の方は聞き取りにくいくらいだった。
でもジル様は嬉しそうに「そうか」と微笑んで、私の手をぎゅっと握る。
(これでよかった……のかな?)
ふと見るとクラウスさんが面白そうにニヤニヤしていた。
その顔が明らかに私たちの反応を楽しんでいるようで、私はちょっとだけ嵌められた気分になったのだった。
おわり
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
ざまぁ強めで書いてみましたが、いかがでしたでしょうか?
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