1 塔に幽閉された聖女
「エレナ、その力でずっと僕を支えてくれ。一緒にこのランドルト王国の英雄になろう」
十六歳のマルヴィン殿下は、優しく微笑んで私の手を取った。
感動で声が出せなくて、私は涙で視界がぼやけたまま、金の髪に縁どられた彼の顔を見つめた。
ああ……。
孤児で親も分からない私を――国の片隅でひっそりと生きていた私を、王子様が婚約者として選んでくださった。
ただその事実が嬉しくて、誇らしくて、目元からぽろぽろと涙が零れる。
「はい、マルヴィン殿下。この命が続く限りあなたをお守りします。マルヴィン殿下に祝福を……」
両手を組んでマルヴィン殿下のために祈りを捧げる。
すると私の両手が仄かに光り、その光は彼に吸い込まれていった。
私の祝福がマルヴィン殿下に授けられた瞬間だった。
「ありがとう。僕はきみの分まで戦ってくるよ」
両手を包み込むように握られて、私は赤い顔のまま、ただこくこくと頷く。
こうして十二歳の私はマルヴィン殿下の婚約者となり、陰からひっそりと彼を支える聖女となった。
あれから五年。
十七歳になった私は、今日も庭で薬草を摘んでいる。
「ベニレンゲの花が満開だわ。この花弁は薬草茶に使えるのよね。たくさん摘んで、乾燥させておこう」
ここは王宮の端に建てられた塔の中だ。
私は陛下から一階と二階を住居として与えられて、一人で薬を作りながら暮らしている。
世話をしてくれる侍女はつけてもらえなかったから、何でも自分でやらないといけないものの、一階の作業部屋には扱いの難しい薬草を置いているから私には都合がよかった。
たった一人で寂しいと思うことはあるけど、黙々と薬を作っているとその暗い気分も忘れられる。
「ワタゲソウの種も乾いたみたい。回復薬を作っておかないとね」
回復薬は、戦場で戦っているマルヴィン殿下や兵士に送られる飲み薬だ。
王妃様から毎日作るように言われていて、一日でも遅れると厳しい叱責を受けてしまう。
「ベニレンゲは花びらだけ取って中心を残しておいて……」
この赤い花は花弁を取っても、めしべとおしべさえ残っていればまた中心から花弁が生えてくる不思議な薬草だ。
そしてワタゲソウは、タンポポが巨大化したような見た目をしている。
花が終わると太い棒のような茎の先端にふわふわした綿つきの種ができて、その種に薬効があるのだ。
材料を集めて、薬研という道具にぱらぱらと投入した。
これは船のような形をしていて、船底の部分に薬草や種を入れて円盤を転がすと簡単に粉末にできる。
その粉を水と一緒にバケツくらいの大きさの窯で茹でて、棒でかき混ぜながら私の聖属性の魔力を流し込む。
やがて窯からぱあっと白い光が溢れて、回復薬が完成したことを私に教えてくれた。
「大変、もうそろそろ王妃様がいらっしゃるわ」
かなり早起きして薬作りを始めたものの、材料を集めたり潰したり、煮込んだりするのは結構時間がかかる。
慌てて出来上がった回復薬をガラスの小瓶に移していると、突然、作業部屋のドアが開いた。
後ろに騎士を従えた王妃様が、作業途中の私を呆れた表情で見ている。
「まだ出来上がっていないの? せっかく急いで来たのに時間が無駄になったわ」
「も、申し訳ありません」
「謝罪はいいから手を動かして。……相変わらず部屋が汚れているわね。薬の粉だらけじゃないの」
騎士が椅子の上に清潔なハンカチを被せて、その上に王妃様が座った。
私は自分のための家事と薬作りのせいで、部屋を掃除する余裕がないのだ。
でも前にそれを訴えたら「寝る時間を減らせばいいでしょう」と言われたから、もう助けを求めるのは諦めてしまった。
「急いでちょうだい、エレナ。こうしている間にも、戦場で誰かが怪我をしているかもしれないわ」
「は、はい」
じっと見られているせいか手元が上手く動かなくて、がちゃがちゃと瓶をぶつけさせてしまう。
「できました、遅れてすみません」
木箱に瓶を並べて差し出すと、王妃様は「まぁ」と驚いたように声を上げた。
「たったこれだけ? 三十本しかないじゃないの」
「すみません……。雨のせいで、なかなか薬草が乾かなかったので」
薬草は生のまま煎じることもあるけど、大半は日陰に干して乾燥させてから粉末にする。
でも最近は雨が多かったせいか、乾くのが遅くなってしまった。
俯きながら謝罪すると王妃様は大きなため息をついて立ち上がり、騎士に木箱を持つように命じて部屋を出て行こうとする。
「あ、あのっ……」
「なぁに? 時間が惜しいのだけど」
王妃様の顔には、はっきりと『わずらわしい』という感情が浮かんでいた。
眉根を寄せて睨まれつつも、私は願いを口にした。
「マルヴィン殿下には、いつお会いできるのでしょうか……?」
ランドルト王国は、五年前からずっと隣国と戦争をしている。
マルヴィン殿下は総司令となって前線で戦っているから、私が彼に会えるのは年に一度くらいだ。
でも前回お会いしてからすでに一年二か月が経ち、戦況はどうなっているのか、彼はちゃんと無事なのかと不安でたまらなかった。
「あなたまさか、マルヴィンを呼び出すつもりじゃないでしょうね」
王妃様の口調がさらに刺々しくなり、私はぎゅっと唇を噛んで視線を下げる。
こういう時は黙って自分の足元を見ているしかない。
「そういう訳では……」
「あなたの婚約者は、国のために命懸けで戦っているの。それを肝に銘じておきなさい」
「はい……。申し訳ありません」
「だいたいね、こんな汚い部屋にマルヴィンが来たがると思う? あなたは婚約者なのに着飾ることもせず、いつも粉だらけの恰好をしているじゃないの。わたくしが男だったら、あなたのような魅力のない女には惹かれませんよ」
王妃様が騎士を連れて部屋を出て行き、静かになった部屋でのろのろと顔を上げる。
壁に掛けられた楕円形の鏡を見ると、王妃様が言う通り、粉だらけのエプロンを身につけた女が立っていた。
「着飾るって……どうしたらいいの?」
私が暮らす塔は、一階は庭に面しているものの、外部には出られないように高い塀で囲われている。
王宮と繋がる塔の門には鍵が掛かっていて、外から誰かが来る時にしか開かない。
(外に出られないし、そもそも私には新しい服を買うお金がないわ)
十二歳の時にここで暮らすように命じられた。
野菜や干し肉などは定期的に届くので生活には困っていないけれど、私が自由に使えるお金は全くない。
壁に近づいてもう一度鏡を覗くと、冴えない茶色い髪と青灰色の瞳の女が暗い顔でこちらを見ている。
私は頬に手を当てて、無理やり笑顔を作った。
「せめて明るい顔をしてなきゃね。大丈夫よ……、きっとマルヴィン殿下は来てくださるわ」
独り言を呟いた瞬間、左腕に激痛が走った。
立っていられずに床に倒れて、痛む腕を押さえているとじわりと血がにじんでくる。
「いっ……、痛いっ、あぁ……!」
(マルヴィン殿下が、どこかで怪我をしたんだわ……!)
震える手で棚の引き出しを探り、隠してあった回復薬を口元へ運ぶ。
ごくりと飲み込めば体がほんのりと温かくなり、すぐに痛みが消えた。
腕を捲って確認すると傷はすでに回復している。
「予備を残しておいてよかった……」
はぁっと息を吐き出して、ずるずるとソファの座面にうつ伏せになった。
目に涙の幕が張って、視界がぼんやりとしはじめる。
(マルヴィン殿下……。あなたを信じています)
あなたは五年前に、一緒に英雄になろうと言ってくださいましたよね。
私はまだあの言葉を信じています。
だからどうか私に会いに来てください――。
ざまぁ色が濃い目の話になっております。
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