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命を刈り取る気配




ーーー




「ごちそうさま、ありがとう。」


「いいのよ、こんなものしか出せなかったけど。」


アンが申し訳無さそうに、

鍋を洗いながら私に言葉を返した。


「いやいや!美味しかったよ、ほんまありがとう。」


本当に精一杯なのだろう。


あの痩せた畑を思い出す。


土は浅く、石ばかりで、

作物が育つようには見えなかった。


「ママ、魚は無いの?」


エマが立ち上がり、アンの元へと駆け寄った。


「ごめんね、今日も配給が無かったみたい......。」


アンは顔を伏せたまま洗い続けた。


「......そっか。」


エマは一瞬だけ唇を尖らせたが、

それ以上は何も言わなかった。


いい子やな、小さいのに......。


私は立ち上がった。


「アンさん、(おけ)はそれだけなん?」


アンは鍋を洗う手を止め、こちらを見た。


「いえ、奥にあるけど......。」


「水汲み、手伝うで。」


そう言うと、アンは少し驚いたように目を瞬かせた。


「いいの?」


「もちろんや、どうせじっとしてても暇やからな。」


軽く肩をすくめてみせた。


アンは少しだけ笑った。


「じゃあ、お願いしようかしら。」


アンは足早に奥の部屋に入り、桶を手に戻ってきた。


「エマ、大人しくしてるのよ。」


「うん!」


エマは素直に頷いた。


扉を開けると、冷たい空気が流れ込んでくる。


外はもう、薄暗くなり始めていた。


風がやけに静かだ。


アンと並んで、井戸の方へ歩き出す。


「ありがとう、本当に助かるわ。」


桶を両手に抱えながら、アンが私に軽く頭を下げた。


「いいっていいって。

私やって、これぐらいしか出来ひんから。」


井戸を使うのなんて久しぶりだ。


子どもの頃、

重くてひっくり返ってしまった経験を思い出す。


「そういえばサチコさん。

聞きたかったんだけど......。」


「私の見た目?」


私が聞き返すと、アンは頷いた。


「ルミアやねん、大陸を放浪してた。」


覚えたての言葉を、一か八か使う。


アンは驚いて目を丸くした。


「カルディア大陸から?」


「そう、カルディアからやで。」


私はアンに堂々と返した。


少し心が痛む。


「でも、どうやって海を渡ってきたの?」


ーーやらかした。


その答えは用意してへんかった。


「......えっと、えっとなあ。」


私は必死に頭を回した。


「サルヴィオ!サルヴィオの船にこっそり乗ってん!」


......我ながら、雑すぎる。


ヴァリエスもヴァリエスや。


こういう時の言い訳ぐらい、仕込んどいてくれ。


アンは桶を地面に置くと、私を強く抱きしめた。


「ちょ、どうしたん?」


私は突然のできごとに、戸惑った。


アンははっとした表情で、私から離れた。


「すみません。歳上の方に、失礼よね。」


わずかに目を伏せ、

そのまま静かに語り始めた。


ハリスヴェンド王国とサルヴィオは、

エルフに王国を乗っ取られるよりも前から、

長く同盟関係にあったらしい。


だが270年前、ハリスヴェンドがエルフに支配された。


それでもなお、

サルヴィオは同盟関係を維持し続けている。


ノルストが建国されて以来、

サルヴィオに幾度も使者が送られたが、

いまだに協力は得られていない。


「サルヴィオ王は、

私たちにとっては裏切り者同然よ。

“カルネシア”との戦争で、それどころじゃ無いのかもしれないけれど。」


アンは私の手をぎゅっと握った。


「あなたは本質を見抜いているわ。

なにが“正義”か、ちゃんとわかってる。」


「ーーなあ、アンさん。聞きたいんやけど。」


思わず口をついて出た。


「アンさんはさ、エルフを奴隷にするのは、賛成?」


「もちろんよ。」


アンは迷わなかった。


胸の奥が痛む。


「この大陸は、私たちのものよ。

侵略するなんて、許せない。」


アンは唇を噛み締めた。


「......エマは小さいけど、もう9歳なの。」


年齢を聞いて、驚いた。


あの子の背丈は、1mにも満たない。


「......栄養が足りてないんやな。」


「そうよ。配給もどんどん少なくなってる。

軍備に予算を回してるから。」


アンは顔を伏せたまま続けた。


「働き手である夫も徴兵されたし、

こないだの戦だって、負けたでしょう。」


私の手を握る力が、少し強くなる。


「......勝つか、死ぬかよ。」


吐き出すように言い切り、

アンははっとしたように手を離した。


「ごめんなさい、私ったら!」


「ええよ!全然大丈夫やで。」


頭を下げる肩に、そっと触れる。


アンは顔を上げ、静かに続けた。


「そのうち、冬が来るわ。

この村はもう、冬を越せないでしょうね。」


「“連作障害”やろな。

土が、痩せきってるんかもやけど。」


アンは驚いてこちらを見た。


「詳しいのね。」


「旦那が、農家やったから。」


「旦那さんは?」


その問いに、一瞬胸が詰まる。


「どうなんやろな......しばらく会えてないわ。」


「ごめんなさい、こんな質問を。」


アンは気まずそうに私を見つめる。


「ええんよ、死んでるわけでは無いからな。」


私は笑顔で返してみせた。


空気を悪くしたくないのもある。


でもそれ以上に、

自分の気を紛らわせたかった。


“この世界”に着いてから、もう3ヶ月以上経つ。


相当な心配をかけているに違いない。


自分の状況がどうであれ、

大好きな家族に心配をかけている申し訳無さが、

胸の奥にずっと突き刺さっている。


水を汲みながら、私はアンに質問した。


「魔獣は大丈夫なん?壁も、なんも無いけど。」


「ここには来ないわ。」


その言葉に、私は驚いた。


アンは私を見つめると、続けた。


「魔獣、南にはたくさんいたでしょう。」


「......うん、大変やったよ。」


「ここには来ないのよ。“祈りの力”よ。」


はっきりと言い終えた後、

アンは新しい桶を吊るし、空を見上げた。



「祈りを捧げれば、私たちは救われる。」




ーーー




「ハルディル!」


呼ばれて、ゆっくりと顔を上げた。


「......エイヴァルか。」


エイヴァルは剣を脇に置くと、乱暴に腰を下ろした。


「おい、なに辛気くせえ顔してやがんだ。作戦は後回しか?」


エイヴァルは周囲を見渡すと、

守備隊長のフェルドを大きな声で呼びかけた。


「フェルド!”エイロス“はどこだ!」


不意に名を呼ばれ、フェルドが肩を跳ねさせる。


「騎兵は、山脈周辺を巡回中です!」


「そうか!防衛だけは崩すなよ!」


言い捨てるように返し、

エイヴァルは再びこちらを向いた。


「ハルディル......。

おまえこんな状況でサボってんじゃねえだろうな?」


エイヴァルの言葉が、胸を強く締め付ける。


「......エイヴァル。」


私は絞り出すような声で、エイヴァルに伝えた。


「私はもう、雑兵に過ぎないーー。

ここの指揮は、フェルドとエイロスだ。」


エイヴァルは驚いた表情で私を見つめた。


「なっ......。」


しばらく沈黙が続いた。


沈黙を破ったのは、拳だった。


強烈な拳にバランスを崩し、地面に倒れ込んだ。


頬がズキズキと痛む。


「ハルディル。」


エイヴァルの顔が、強張った。


胸ぐらを掴むと、もう一度私に拳を見舞った。


周りの騎士が慌てて駆け寄る。


「......おまえら!来んじゃねえ。」


エイヴァルは視線を巡らせると、

周囲の騎士を散らした。


エイヴァルは私を見下ろした。


「ハルディル。言ったよな?」


その言葉に、思わず声を張り上げる。


「エイヴァル!お前はどう思うんだ!」


「昨日言ったろ。それが答えだ。」


「本当に正しいと思っているのか!?」


叫びに近かった。


エイヴァルは一瞬だけ目を逸らす。


「騎士長のことだ。考えがあるに違いない。」


「なら!なぜ私たちにも話さない?」


胸が締め付けられる。


「......それとこれとは別だろ。」


「私たちも疑われているのか?内通者として!」


エイヴァルは黙った。


拳が、わずかに震えている。


「......騎士長はあの時、王都にいた。」


低く、押し殺した声。


「俺たち二人が揃いも揃って、

ノルストに裏をかかれた。」


「たしかにそれは事実だ。だがーー。」


「それ以上喋るんじゃねえ。」


エイヴァルの目が、真っ直ぐこちらを射抜く。


「......ぶち殺すぞ。」


静かな声だった。


その目の奥で、何かが揺れている。


わずかに、光るものが滲んでいた。


「......すまない。」


私は顔を伏せ、唇を噛んだ。


エイヴァルはしばらく立ち尽くしていたが、


やがて、隣に腰を下ろした。


「ハルディル。

俺たちはあの時......解任されるはずだった。」


私はエイヴァルを横目で見つめた。


「だが騎士長は、俺たちを見捨てなかった。」


エイヴァルは前を向いたまま言う。


「今回の作戦は、最後のチャンスだ。」


その言葉が、胸の奥へと沈んだ。


「だがーー。」


「......わかってる。」


被せるように、エイヴァルが言う。


「俺だって、今回の作戦は引っかかる。」


エイヴァルは振り向き、私の目を見つめた。


「言ったはずだ。騎士長を信じろと。」


「......いまさら、遅いか。」


自分でも、何に対しての言葉かはわからなかった。


エイヴァルは何も答えなかった。


ただまっすぐに、私を見つめた。




ーーー




「エマ、そろそろ寝る時間よ。」


辺りは日が暮れ、すっかり薄暗くなっていた。


街灯など存在しないこの世界では、

夜は驚くほど暗い。


日が沈めば、この村に残るのは闇だけだ。


アンは娘に声をかけ、呼び寄せた。


「お祈りの時間?」


エマの問いに、頷いた。


「そうよ。サチコさんも、良かったらどう?」


私は一瞬だけ迷い、頷いた。


三人で輪になり、手を重ねた。


小さな手と、冷えた手。


目をつむり、アンが祈りの言葉を捧げる。


「ーー古き竜よ。

どうか我らを見捨てないでください。

恵を巡らせ、どうか怒りを我らに向けぬよう。」


エマは目をぎゅっと閉じたまま、

小さく同じ言葉をなぞった。


外は、やけに静かだった。


「よし、寝るわよ。

今日もドラゴンが安息に導いてくださるわ。」


アンはそう言うと、布団を敷き始めた。


「ママ。」


エマが小さくつぶやく。


「......おしっこ。」


「また?お祈りの前にちゃんと済ませなさい。」


アンはため息をついた。


「まあまあ、私が連れてくよ。」


「ありがとうサチコさん。申し訳ないわ。」


トイレは村の外れにある。


女の子一人で行くには危ない。


それに私もちょうど行きたかった。


“バッチグー”なタイミングだ。


「エマちゃん、おばあちゃんと一緒にいこか。」


「うん、ありがとう。」


エマは私の手を握った。


小さな、温かい手だ。


「そんじゃ、すぐ戻るわな。」


私は振り返り、そのまま扉を押し開けた。



ーー暗い。


いや、違う。


扉の先に、大きな影が出来ている。


一歩踏み出しかけて、止まる。


......大きい。


大きいどころじゃない。


家ごと押し潰せるほどの影が、

周囲を覆い尽くしているーー。


息が止まる。


エマの呼吸が、やけに近く感じる。


「おばあちゃん......?」


私はエマの手を強く握った。


「エマちゃん、部屋に戻って。」


私は共に部屋に戻り、ゆっくりと扉を閉めた。


「サチコさん?」


「魔獣や、静かに。」


私の言葉とほぼ同時に、

金属のような刃が、天井を突き破った。


「きゃあ!!!」


悲鳴が家の中に響く。


な、なんやこれ......。


私は急いで外に出て、ゆっくりと視線を上げた。


黒い塊が、屋根に張り付いている。


輪郭をなぞるように、ゆっくりと目が慣れていく。


脚ーー?


金属の刃のようなものが、いくつも。


屋根に食い込み、家を押さえつけている。


それだけの質量があるはずなのに、


屋根を破られるまで、一切気づかなかった。


......ありえへん、どっから来たんや。


闇の中心に、何かがある。


丸い。いくつも。

月明かりを鈍く反射するように。


ーー目や。


背中に鳥肌が立つ。


あかん......あれは、あかんやつや。


私は一歩、後ずさった。


その瞬間ーー。


そいつがゆっくりと脚を動かした。


音も、振動も一切ない。


複数の刃が、ゆっくりとこちらに角度を変えた。


心臓が、強く跳ねる。


逃げなあかん。


そう思うのに、足が動かない。


やがて、そいつの顔がこちらへ向いた。


複数の目が一斉に、私を捉える。



ーー来る。




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