静寂の峡谷
明朝、外門前に蒼晶騎士団が集結した。
整然と並ぶ鎧は、陽光を受けて淡く光る。
誰一人、私語はない。
馬も不思議なほど静かだ。
その数、300程度--。
一大国の軍勢としてはあまりに少ない。
だが、
その一人一人が、10や20の兵に匹敵する。
それが--蒼晶騎士団だ。
隊列の中心に、ヴァリエスがいる。
最前には、副騎士長エイヴァル。
最後尾には、戦務長ハルディル。
そして三つの隊が、無駄のない陣形で控える。
「目標は二つ。」
ヴァリエスの声が響く。
「鉄の採掘及び魔晶石の採掘。
グレイリフト周辺の異獣の無力化だ。」
号令と共に、
300の騎馬が一気に駆ける。
隊ごとに役割は異なる。
守備隊は、レンドフェル山脈手前で陣を張る。
仮設の営地を築き、馬を管理。
山脈全体を監視する。
騎兵隊は、平原を駆け、
魔獣及び異獣を掃討する。
そして、歩兵隊。
今回の遠征で最も重要な部隊。
グレイリフト峡谷へ入り、
鉄と魔晶石を掘り出す。
そして、異獣と遭遇した場合は、討つ--。
「守備隊に告ぐ!
テント設営後、動けるものは早急に居住区へ戻れ!」
ハルディルが大きな声を上げた。
ヴァリエスは振り向かず、ただ前を向き続けた。
「右翼方向、魔獣!!!」
先頭の方から大きな声が聞こえた。
魔獣の群れだ。
「陣形変更!」
ヴァリエスの声が鋭く走る。
隊列が滑るように左へ寄る。
騎兵隊が隊列から抜け、右翼へと一気に加速した。
蹄の音が、重く地を叩き、土煙が上がる。
「進み続けろ!」
ヴァリエスの指示の下、隊列は進み続けた。
「ええんか?置いてって。」
「問題ない。」
次の瞬間、
魔獣の群れに騎兵が突き刺さった。
鋼と肉がぶつかる鈍い音。
切り裂き、蹴散らし、貫きながら前進する。
そのまま減速せず、
旋回し、主力隊列へと再合流した。
「これだけの数がいては、
止まる方が危険だ。」
ヴァリエスは振り向かず、私に告げる。
隊列は崩れない。
300は、300のまま進み続ける。
あっという間に、レンドフェルへ到達した。
大陸をちょうど分断するように立ちはだかる大きな山脈。
その裂け目にあるのが、グレイリフト峡谷だ。
「テントの設営を急げ!
設営次第、守備隊は居住区へ!」
ハルディルが大きな声を上げる。
ヴァリエスはゆっくりと馬から降りた。
「騎士長。」
騎兵隊長が、ヴァリエスに近づく。
「守備隊が居住区の住民を連れる間、
山脈の監視は我々が引き受けます。」
ヴァリエスは視線を向けず、軽く頷いた。
命令の系統が、わずかにずれている。
守備隊の件はハルディルの独断なのだろう。
ただ、
ハルディルの意見に数多くの騎士が賛同していることが見て取れた。
「集まってくれ。」
ヴァリエスが歩兵隊に招集をかけた。
その中には、
副騎士長であるエイヴァルの姿もある。
「隊を再編する。
エイヴァルが率いる先発隊。
私が率いる後発隊だ。峡谷へは交互に入る。」
空気が張り詰める。
山脈上からの攻撃の対策だ。
「それから“アルネス”。」
歩兵隊長が兜を脱ぎ、一歩前に出る。
「お前には両隊の補佐をしてもらう。
状況判断は任せる。頼めるな?」
「承知致しました!」
アルネスが、拳を強く胸に当てた。
「峡谷は狭い。一度崩れれば、退路は無い。
よって、単独行動は許さない。」
ヴァリエスはそう指示を出した後、
ババアに顔を向けた。
「先発隊と共に行け。峡谷に入ってからは別行動だ。」
「わかった。」
私は頷いた。
「異獣と遭遇したら、君は戦うな。
すぐに隊から離れろ。」
「なんでや?」
「ドワーフに知られる危険がある。
あくまで君は、道に迷う老人だ。」
そう言い放つと、私の剣帯を腰から外した。
私は嫌な予感がした。
「もし1人で異獣に遭遇した場合だが...。」
ヴァリエスは私の目を真っ直ぐ見て、静かに告げた。
「--逃げろ。」
---
崖の縁に立つと、すぐ下に谷が広がっていた。
「これが峡谷か...。」
奈落というほど深くはない。
ただ、降りるには慎重さが要る高さだ。
岩肌はむき出しで、斜面は急。
足を滑らせれば、ただでは済まない。
谷の底には複数のけもの道が走っている。
水が干上がったのか、
意図的に作られたのかはわからない。
両側の岩壁は圧迫するほどではないが、十分に狭い。
横へ大きく展開する余地はない。
風が谷を抜けるたび、乾いた砂が斜面を滑り落ちる。
見下ろせば、進める。
だが入れば、引き返すのは簡単ではない。
「降りるぞ。慎重にな。」
エイヴァルが指示を出し、
ゆっくりと谷を下り始めた。
ババアは慎重に足取りを進めながら、一歩ずつ進む。
「待て。」
エイヴァルが声を上げた。
歩兵隊が降り立つ地点からそう遠くない場所に、
大きなサソリのような魔獣がいる。
ここで魔法を使うわけにはいかない。
ヴァリエスの指示だ。
ドワーフに勘づかれ、
サチコの存在が知られてはならない。
隊に緊張が走る。
「“スコーチャー“か...。厄介だが、好都合だ。」
エイヴァルがそう呟いた。
「サチコ、下りたら音を出すな。
奴の横を静かに通り抜けろ。」
「ちょ、待ってや。めちゃくちゃ怖いねんけど。」
思わず弱音を吐くと、
エイヴァルは鋭く睨んだ。
「俺たちだってリスク取ってんだよ。
大体、お前は帰るためだろ?」
ドワーフとの接触は、作戦とはまた別だ。
これは私の目的でもある。
わかってはいるが、怖い。
「いいか?
奴が尾を地面に突き立てたら、一歩も動くな。」
エイヴァル曰く、
スコーチャーは夜行性だ。
目は退化している。
だが、その代わりに振動を読む。
その時、峡谷の影から、
もう一体のスコーチャーが姿を現した。
「...くそ、どうなってやがる。」
エイヴァルが静かに呟く。
今は昼だ。何かがおかしい。
隊は、ゆっくりと谷底へ足を付けた。
私もそれに続く。
足裏に伝わる岩の感触が、やけに大きく感じた。
エイヴァルが目で合図を出す。
黒光りする外殻。湾曲した尾。
地面に伏せる、“巨大なサソリ”。
それも、二体。
剣は持っていない、鎧も脱ぎ捨てた。
完全に丸腰だ。
襲われたら、命はない--。
私は慎重に歩を進めた。
二体の魔獣は地を這い、ゆっくりと獲物を探す。
すると突然、一体が尾をゆっくりと動かし、
地面に突き立てた。
私は足取りを止め、静止する。
全身が固まる。
背中を汗がゆっくりと伝ってくる。
もう一体のスコーチャーが、こちらへ向きを変えた。
道幅は狭い。
このままだと、確実に私と接触する。
黒い外殻が軋み、徐々に距離が縮まる。
だが動けない。
もう一体の尾が地面に刺さっている。
心臓の音が聞こえる。
音を出してはいけない。
だが鼓動は止む気配がない。
やめろ。止まれ...。
私との距離がおよそ数十センチまで詰まったところで、
二体目のスコーチャーも地面に尾を突き立てた。
間一髪。
だが次にこいつが動けば、私は確実に接触する。
呼吸が浅い。息を吸うのもやっとだ。
その時、斜面に小石が当てられた。
乾いた音が、静かに谷底に響く。
その瞬間。
二体のスコーチャーは即座に動いた。
尾を引き抜き、砂を巻き上げながら、
小石の方向へと飛びかかる。
鈍い衝撃と共に、砂塵が舞う。
やがて、二体は互いを威嚇するように距離を取り、
小石の転がった地点を執拗に探り始めた。
今や...!
私はゆっくりと慎重に足取りを進めた。
一歩ずつ、丁寧に。
足裏の感触だけを信じて、奴らの背後を抜ける。
私は半身で二体を視界に捉えながら、
ゆっくりと歩を進めた。
大丈夫や、なんとかなる...。
背中に冷たい汗が張りつく。
このまま抜ける。
次の一歩を踏み出した、その瞬間。
足先に、硬い何かがゆっくりと触れた。
私は視線を落とす。
黒い外殻...。
岩陰に伏せていた影が、ゆっくりと動いた。
--三体目。
それは私の真横、岩陰の死角に潜んでいた。
次の瞬間、ゆっくりと尾が持ち上がる。
尾が地面を刺すより先に、私は息を止めた。
触れている。
外殻の冷たい感触が、足首越しに伝わる。
振動を読まれれば、終わりだ。
尾が、ゆっくりと、
私の足元へ向けて角度を変えた。
「走れ!!!」
エイヴァルが叫んだ。
その声とほぼ同時に私は駆け出す。
尾は勢いよく地面に突き刺さった。
背後で、地面を駆ける音が伝わる。
徐々に音が近づき、振動が強くなっていった。
私は咄嗟に横へ跳んだ。
直後、さっきまでいた場所を尾が貫いた。
岩が裂け、破片が頬を掠める。
尾が地面へと深く突き刺さる。
今や...!
私は立ち上がり、もう一度走った。
尾が引き抜かれる音が聞こえ、
背後の振動が徐々にまた、強く大きくなる。
私は走りながら、
斜面にある、小さな穴を見つけた。
人ひとり、やっと通れるほど。
賭けるしかない。
私は躊躇なく飛び込んだ。
直後、
スコーチャーが尾を私に向けて突き刺す。
間一髪、尾は穴の上部に突き刺さった。
穴が崩れる。
尾を引き抜き、黒い影が穴の縁に覆いかぶさる。
巨大な頭部が、ゆっくりと中を覗き込んだ。
スコーチャーの退化した目が、
わずかにこちらを向く。
私はその目に向け、
ヴァリエスからもらったナイフを突き刺した。
スコーチャーが激しくのたうつ。
私は刃を捻る。
外殻が岩壁を打ち、破片が降り注ぐ。
穴の縁から頭部が外れ、
重い衝撃音と共に、砂塵が激しく舞い上がる。
私は、すぐさま穴の奥へ身を引いた。
やがて、重い振動が徐々に遠ざかっていく。
私はしばらく動かなかった。
呼吸を殺したまま、暗闇の中で耳を澄ます。
振動は、戻ってこない。静かだ。
ようやく、肺に空気を入れた。
腕が震えている。
ナイフの刃先には、黒い体液が付着していた。
私は袖でそれを拭う。
...生きてる。
それだけが、確かな事実だった。
穴の奥に、空間がある。
入った場所は岩が崩れ、出れそうにない。
私は外から入る少しの光を頼りに、ゆっくりと進んだ。
暗いな...。
壁に手を付けたまま、ゆっくりと歩いた。
穴を進むと、前方にうっすらと光が見えてきた。
おそらく出口だ。
そう思いながら歩き進めると、広い空間に出た。
日の光では無かった。
岩壁に打ち付けられた鉄の台。
そこに立てられた蝋燭の火が、静かに揺れている。
自然の洞ではない。
私は周囲を見渡した。
洞の壁は綺麗に固められ、
足元もしっかり踏み固められている。
幾十にも道が張り巡らされ、暗闇へと伸びていた。
まるで迷路のようだ。
私はナイフをもう一度手に取り、握り直した。
「おい!」
突然、背後から声が聞こえた。
ドワーフか?
私は反射的にナイフを隠し、振り返る。
そこに立っていたのは人間だった。
...鎧。どこか見覚えがある。
「どこから入った?」
男は剣を抜き、私へ向けた。
その瞬間、背筋が冷えた。
--ノルストの兵士だ。




