戦いの代償
低く、淡々とした詠唱。
次の瞬間、
地面が赤く脈打ち、蒼晶が強く光を放った。
地面を突き破るように、紅蓮の炎が噴き上がる。
直線ではない。波だ。
魔獣の群れを包み込む、奔流。
悲鳴を上げるよりも早く、炎が呑み込む。
黒い影が燃え上がり、牙が砕け、鱗が焦げる。
熱風が頬を打つ。私は思わず腕で顔を庇った。
炎は一切暴れない--。
内壁や家々には触れない。騎士たちにも及ばない。
ただ魔獣だけを選び取るように、焼き尽くす。
やがて、
魔獣の群れは跡形もなく消え、
残ったのは焦げた地面と、立ち上る煙だけだった。
「ご苦労だった。我々の勝利だ。」
ヴァリエスがそう放つと、騎士たちは一斉に大声を上げた。
ヴァリエスが恐れられていた理由。
それを私はあまりにもすぐに理解した。
「エイヴァル、ハルディル。」
ヴァリエスが二人を呼び寄せた。
二人はヴァリエスの元へ急いで駆け寄る。
「エイヴァル。外区の“掃除”は任せる。
異獣がいるかもしれん。騎兵を使え。」
「承知しました。」
「それからハルディル。話がある。」
「...と言いますと?」
ハルディルがおそるおそる聞き返す。
ヴァリエスの目が、わずかに細まった。
「”例の件“だ。...内門に現れた。」
「まさか...!あの“噂”は事実なのですか...?」
ヴァリエスは頷く。
「騎士長さん!」
エルナがヴァリエスに駆け寄った。
「うちの息子が、エリセルが見当たらないんですが...。守備隊はまだ内門に?」
ヴァリエスはエルナの顔を見つめ、
彼女の肩に手を置いた。
「確認を急ぐ。」
---
ジョセフは王の御寝所の扉の前にいた。
本来ならばすぐ側に控え、王命を受ける身だ。
だが同盟国とはいえ、
サルヴィオの傭兵を王の側に留めるわけにはいかなかった。
扉に背を向け、エルフの騎士が傭兵を見張る。
傭兵がエルフの騎士を見張る。
互いに一歩も動かぬ構え。
廊下は異様な緊張に包まれていた。
誰も一言も発しない。
沈黙を破ったのはエルフのほうだった。
「おい、サルヴィオの野郎。
いい加減俺たちからその目を離せ。」
「なぜ貴様らが扉の前に立つ。」
「騎士長からの命令だ。
俺たちは王を守るのが仕事なんでな。」
傭兵の眉がわずかに動いた。
「そうか。やはり殿下は正しいらしい。」
「言ってる意味がわからん。とっとと国へ帰れ。」
騎士が返すと、傭兵は彼らを睨みつけた。
「私は、“セルヴィン殿下からの命令”でここにいる。」
その言葉に、空気がさらに張り詰めた。
「やめんか。王がすぐそばにおられるのだぞ。」
ジョセフが彼らを牽制した。
ただ、どこか形容しがたい違和感が残る。
傭兵は殿下からの命を受け、
エルフたちはヴァリエスから命を受けている。
王から命を受けているのは--。
この場で私、ただ一人だけだ。
その時、御寝所の扉が静かに開いた。
軋む音が、やけに大きく響く。
扉の奥から、セルヴィンがゆっくりと廊下に出てきた。
ジョセフがすぐに歩み寄る。
「殿下。いかがなさいました。」
「--王が崩御された。」
セルヴィンはジョセフを見なかった。
視線は真っ直ぐ、
サルヴィオの傭兵へと向けられていた。
---
「エルナさん!」
雑区を走り抜ける彼女の背を、ババアは必死で追う。
内門付近へ着くと、
守備隊の面々が焼け焦げた鎧を集めていた。
その中に、エリセルの姿が見当たらない。
「あ、あの!息子が見当たらないんですが!」
守備隊のエルフは彼女に答えた。
「我々は別働隊です。
内壁の上にいた守備隊は全滅しました。」
「エリセルって言うねん!知らんか?」
ババアが別のエルフに話した。
「俺たちは急遽、再編された。
誰がどこに回ったか、今は把握できていない。」
「エリセル!どこ!いたら返事して!」
エルナの大きな声が、内壁に跳ね返った。
---
「...確認を急ぐって、どういうこと?」
エルナがヴァリエスに聞き返した。
「守備隊は現場の判断で再編された。」
一瞬の間を置き、ヴァリエスは続けた。
「内壁の上にいた騎士は全滅。
生存者は全て、城壁から降りていた。」
「エリセルは...?」
ヴァリエスは首を横に振った。
「わからない。」
---
エルナの声は、雑区に何度も響いた。
だが返事はない。
鎧の擦れる金属の音と、
石畳を歩く足音だけが、わずかに鳴る。
「これで全部なんか?」
ババアは地面に並ぶ鎧の山を見つめ、エルフに尋ねた。
「そうだ。身元の確認はこれからだ。」
--エルフは死後、跡形もなく消滅する。
ヴァリエスの言葉が脳裏によぎる。
彼らの肉体は消え、
ただ鎧と剣だけが積み重ねられていた。
あまりにも多い。
死後に身元を確認するためだろう。
幼い子どもが鎧に描いた、家族の似顔絵。
剣の柄に巻きつけられた、スカーフ。
そんな中、
一つの剣帯が目に入った。
革は焼け焦げ、黒く縮んでいる。
だが、小さなお守りだけはわずかに形を残していた。
ほとんどが焼け焦げ、文字は読めない。
背後から足音が近づく。
「サチコさん!門道にも居ないの。探すのを--。」
エルナの声が、途中で止まった。
私の目線の先の剣帯を拾い上げ、
震えながら地面に崩れ落ちた。
その瞬間、私は思い出した。
エリセルが内門へ行く時、エルナが渡した小さな小包。
エルナの掠れるような泣き声が、静かに広がった。




