53.キワノ
※2021.7.16 前話を一部修正しております。主な修正は、ビアンキとキワノの、イシュタルに対する口調を訂正しました。ただし、話の流れについては特に変更はありませんので、このままお読みいただいても大丈夫です。
漆黒のサラリとした長髪をなびかせ、ミラと同じ緑色の瞳を向けて来る女性は二十代前半くらいだろうか。魔力量が強いと総じて若く見えると言うから、もう少し年かさかもしれない。セイラやアルフォンス皇太子、エドガー王子レベルの発光するような美形、という訳ではないが、整った顔をしている。その所為か厳しい表情を作ると、その視線がとりわけ刺さるように鋭く見えてミラは軽く震えた。
「キワノ」
「なぁに? イシュタル」
蔑むような強い視線をミラに向けていたキワノだったが、イシュタルがその名を呼ぶと一転して、とろけるような甘い声で応える。
彼女があまりに感情をハッキリ出すからミラは驚いた。キワノは男爵家の令嬢だと聞いている。貴族令嬢は、とりわけ公的な場面では感情をオブラートに包むのが当たり前だ。女学院でミラに厳しいカレン=グァバだって、公の行事など教師や大人の目がある場所では取り繕った態度に改める。
基本的に箱入りのミラはカレン達に女学院で冷たくあしらわれる経験をするまで、他人から失礼な態度を向けられる事はほとんど無かった。だからこのように攻撃的な態度を向けられるのは、いまだに慣れないし疲れる。
だからミラはキワノに声を掛けたイシュタルに、期待の目を向けた。
嘘を吐く事は出来ない、と彼は言っていた。しかしその率直な態度で、先ほどビアンキを掌で転がしていたのを、ミラは驚きをもって見ていたのだ。その手腕を、ぜひキワノに対して遺憾なく発揮していただきたい……!
どうかキワノを上手に転がして、この場を和ませて欲しい。
しかしミラのそんなささやかな願いもむなしく、イシュタルはキワノ補佐官に対して、冷たくこう言い放ったのだった。
「君に、ミラの代わりは出来ない。無理だ」
「……!」
言い放たれた言葉に愕然とするキワノは、再びミラにゆっくりと視線を戻す。その瞳の奥にゆらりと仄暗い炎が灯る。先ほど自分より下の者として蔑まれた時より、もっとずっと強い憎しみのような物を向けられているように、感じた。嫌な感じで個別認識されてしまったらしい。
ミラは青ざめて、イシュタルの肘を掴んだ。
「イ……イシュタル、そんな言い方……」
しかしその仕草が追い打ちとなり、キワノの逆鱗に触れた。
「無礼な……! 侍女風情がイシュタルに触れるなど……!!」
キワノがバッと手を上げ、こちらに向ける。
その後は一瞬の出来事だった。
「アプ・シュトースン(はじく)」
あっという間に攻撃魔法が飛んで来る。それはミラの手を払い、ついでに少し痛めつけるくらいの呪文であった。
ここで自分の魔法で跳ねのけられれば一番カッコよいのだが、いまだに咄嗟に防御魔術を展開出来ないミラは、目を瞑って衝撃に耐えようとする。
パチン!
「あっ……!」
叫び声の向こうに、受けた衝撃によろけて思わず一歩下がったキワノがいた。
イシュタルがキワノの攻撃を弾いたのだ。かつてのキュイのように、変わらず彼はミラの加護として彼女を護ってくれている。キュイを吸収したと言ったイシュタルは『変わらずミラを護る』と言ってくれていた。頭では理解していたそれを、キュイの不在とイシュタルの存在にまだ慣れていないミラの体は実感できずにいたらしい。
しかし今、現実に同じように守ってくれるのだと漸く体感する。
「貴様、ミラに何をする……」
低い声で吠えた後、エドガーはキワノに向かって反撃するように手を上げた。彼女は身を護る呪文を唱えようとし―――そのまま固まった。
「シュテレー(沈黙)」
「……っ……!」
言葉を発する事が出来なくなったキワノを睨みつけ、エドガーはニヤリと笑う。
攻撃魔法が届く以前に素早く、エドガーもミラを庇うように前に出た。同時に、その手前でイシュタルの加護によりキワノの魔法は弾かれる。ミラは無事だった。なのに、彼の怒りは収まらない。
エドガーはこれまで、魔術局内部の遣り取りを静観していた。少年の頃から軍に入っていた彼は、組織の事は組織に任せるのが一番だと考えていたからだ。王族よりイシュタルを優先するビアンキの非礼も、イシュタルに傾倒する女補佐官がビアンキに盾突くのも放置してきた。
勿論公の場や臣下や国民がいる場所でなら、無礼な真似を許しはしない。王族を侮るような態度を放置するのは、後々面倒な事を引き起こすからだ。
だがエドガー自身にとっては、国家魔術師の細かい非礼は些末な事だと思っている。特に研究肌の魔術師はコミュニケーション能力に劣る者が多い。いちいちそれに腹を立てて態度を改めさせるより、魔術師の仕事に専念させる方が国に利する、と考えているのだ。
彼は自分に、人を従える力があると知っている。一旦その力を行使すると、相手の恐怖心を煽る事になり、円滑に仕事を任せる事が難しくなる場合があると言う事も。
だがここに来て、ミラに対する暴挙に黙っていられなくなった。
エドガーの怒りが、空気を震わしピリピリと伝わってくる。王族であるエドガーの魔力は、桁違いに強い。優秀な国家魔術師とどちらが強いのかミラには分からないが、長いこと軍で鍛えて来た彼の攻撃魔法を受ければ、相手がただでは済まないのは明白だった。その証拠に沈黙の魔法を掛けられたキワノの顔が、どんどん青白くなる。
「イシュタル! 止めさせて!」
必死なミラの言葉が聞こえている筈なのに、イシュタルはニッコリと笑顔を返す。エドガーを止める気はサラサラないようだった。
「ツァーシュティ……」
エドガーが唱えようとしている呪文に、ミラは蒼くなる。
まさか『破壊』? 授業で上手く使いこなせなかった攻撃魔法を思い出す。ミラの魔力では頑張っても実習用の陶器の玉にひびを入れて穴を空けるが精いっぱいだった。だが魔法の得意な優等生は―――それを一瞬で、木っ端微塵にしていた。
ミラは身を乗り出し、夢中でエドガーの背中に掴まった……!
「お、お止めくださいっ!」
「ミラ……?」
エドガーの体はか弱いミラの体当たりくらいではビクともしない。だがミラの言葉に耳を傾けてくれる事に、安堵する。
「あの、私はなんともありません! だから、攻撃しないでください」
キワノの身を案じたと言うより、小心なミラは自分が原因で大事を起こしたくなかった。
彼女にケガをさせたら、魔術局の人はミラ達に悪い印象を抱くかもしれない。
それに魔術局の人たちにはこれから転送陣を作動して貰い、出先で何かあれば助けて貰わう事もあるかもしれない。
すると、途端に空気を震わせる怒りが和らぎ、抱き着いた相手の体から力が抜けた。ホッとすると同時に、クルリと振り向いたエドガーに抱き込まれる。
「……にゃっ!……」
驚きで舌を噛んでしまい、変な声が出た。
ミラを腕の中に閉じ込めたまま、エドガーはうっとりと微笑んだ。それは女性の誰もがクラクラするような、魅力的な笑みだ。大きな体に抱き込まれているミラには全く見えていなかったが。
「なにを……」
「初めて、だな」
吐息と共に零れる声が、艶を帯びる。先ほどの周りを震撼させる怒りの籠った声とのギャップに、ミラは目を白黒とする。
「……え?」
「ミラから―――俺に抱き着いてくれたのは」
「いえっ……! 抱き着くとか、そんなつもりはっ……!」
恋する魔法の効果が、すごい。
と、ミラはおののいた。
例えどんな無理な状況でも、ミラの行動を強制的にトキメキに変えてしまうのか……!
「あのっ……もう離し……」
何とか距離を取ろうと足掻く。しかしエドガーの胸を押しても、びくともしない。圧倒的に力負けしているのだ。
だが不意に、その拘束が緩む。
顔を上げると、拘束を解いてくれようとしている筈のエドガーが眉を顰めていた。何か強い力に抵抗するように、腕に力を込めている。が、段々とミラを抱きしめる腕が開いていくのだ。
ミラは機会を逃さず、その隙間からパッと抜け出した。
ミラに逃げられたエドガーは抵抗を諦めて腕を下ろすと、ジトリとイシュタルに恨みがましい視線を向ける。
どうやらミラは、彼に助けられたようだ。
ただ彼女を抱きしめたエドガーに悪意はない。だからいつもの加護のように、単純に弾くことは出来なかったのかもしれない。しかし彼はミラの意に染まない状態を解消してくれた。ミラはほっと、胸をなでおろす。
イシュタルはエドガーに、冷ややかな視線を向ける。
「ウィルフレッドとの約束だよ。もう婚約者候補でもないのだし、この旅ではミラとは適切な距離を取るんじゃなかったっけ?」
何といつの間にか水面下で、ミラの身を護るようマルメロ伯爵が釘を刺してくれていたらしい。そしてイシュタルもそれを知っていて、ミラを護ってくれるようだ。
「キワノ、出て行ってくれる?」
エドガーに向けた冷たさが隙間風だとしたら、キワノに向けるイシュタルの態度は吹雪の夜のようだった。ミラはイシュタルは怒っているのかもしれない、と感じた。キュイが怒っている所なんて、見た事がない。そして短い期間だが、イシュタルと接してきた中で彼がこのように怒りを露わにする場面も……彼女は違和感を感じずにはいられなかった。
イシュタルが軽く手を振って、キワノに掛けられた魔法を解いた。ケホッとせき込み喉を押さえる彼女は、瞳を切なげに潤ませてイシュタルに懇願した。
「イシュタル、どこに行くのか分からないけど―――私も連れて行って」
「……」
「心当たりが見つかったの。貴方の助けになりたくて―――あっ」
イシュタルは再び手を上げ、人差し指を振る。光の縄が飛んで行き、キワノの体を拘束する。それまで成り行きを見守っていたビアンキが、ハッとして扉を開けて指を鳴らす。扉を開けるのは、最初に扉を開けた本人にしか出来ない仕組みになっているらしい。
合図を受けてたちまち扉の向こうにローブを羽織った魔術師らしい人物が、二人現れた。
「連行しろ。一週間、個別房に入れて置け」
「局長?! 私は……貴方たち、止めなさい!」
「いいから、行け。頭を冷やさせろ」
往生際悪く抵抗するキワノを二人の魔術師が両側から挟む。ビアンキの命令に無言で頷き、キワノを運んで行く。
ビアンキは彼らを見送って、すぐに扉を閉めた。
「大変お騒がせしました。では改めて、始めましょうか?」
ニコリと微笑むビアンキ局長の後ろで、連行されるキワノが騒いでいる声が遠ざかって行った。




