26.性格の悪い王子様
「お……お断りです!」
ミラは彼に掴まれていた自らの手を引っ込めると、一歩後退り距離を取った。
「そんな愛の無い関係……やっぱり嫌です! それに単なる嫌がらせの為にセイラお姉さまを貶めようとされた方とは―――私は結婚できません!!」
スカートの裾を握りしめ肩を怒らし、ミラはキッと背の高い男性を睨み上げる。相手がこの国最高の身分を持つ王族で、自分は半分平民のお買い得令嬢だなんて遠慮は、この瞬間彼女の頭からすっかり消え失せてしまっていた。
しかし通常のミラなら、目の前の王子に対してこんな恐ろしい態度を取ることは無かっただろう。
激情のままに言い切ってから、投げつけた自らの言葉を認識しハッと口を噤んだ。
けれども魔法に掛かっている今の王子には、そんなミラの抵抗さえも魅力的に映るらしい。
「我儘を言うお前も……愛らしいな」
と、頬を染められてしまった。
背筋にゾゾゾ、と冷たい物が走る。本能が拒絶を示したのか、ほとんど無意識にミラは更に一歩、後退さろうとした。しかしそこでミラの体が、ふわりと風にあおられる。
それはエドガー王子の魔法だった。手を伸ばさずとも、風の後押しでミラを目の前に歩みださせる事が出来るのだ。
彼は呪文も魔道具も、魔法陣も無しに魔法を使えるらしい。なかなかの使い手だ。ちなみに魔術の成績が中の下くらいの学生のミラには、そんな芸当は出来ない。学院の魔術講師や国家魔術師、有能な騎士の一部には可能なのかもしれない。
その風にあおられて、ミラは押し出されるように二、三歩前に足を出してしまう。その勢いで、目の前に迫った大きな胸板に手を付く形になる。掌に伝わる熱い感触、鍛え上げられたその体はまるで鋼の檻のようだ。
何とか逃れようと、再び体を捩じるミラ。しかしそれを遮るように王子の手が伸びて来た。その大きな手と指が、ミラの背と頬に触れそうになる。
怖い!
ミラはこの時―――本当に、恐怖した。
思わず、助けを求めるほどに。
「キュイ! 助けて!!」
パチン!
エドガー王子は、指にはじかれたような衝撃を受けた。
それと同時に、きゅるん! とキュイが回転しながら空中に実体化する。
彼は呆気にとられたように、目を見開いて顔を上げた。視線がそこで―――固定される。
「それは……何だ? そのウサギみたいなのは……」
王子の呟きを耳にしたミラは、一気に我に返った。
動転するあまり、衝動的にキュイを呼び出してしまった……! しかも王子には、キュイがばっちり見えているらしい。家族にも、キュイを完璧に認識できる者はいないと言うのに。初めての経験だった。
「……これは『加護』か? お前は『加護持ち』なのか?」
「……!」
「そうか、あり得ない事ではない……ごく薄いとは言え、お前は王家の血を継いでいるのだからな」
「え……?」
ミラは王子の囁きに、首を傾げる。
加護を持つかどうかに王家の血筋が関係するなどと、少なくともミラは聞いたことが無かった。もちろん学院の教科書にも、書いていない。教師から習ったことも無かった。
その証拠にごくごく少ない事例であるが、平民にも加護持ちは生まれるのだと習った事がある。ならば、血統は関係ない筈ではないか……?
「そうか、それで……マルメロ伯爵は、俺の申し出を受け入れたのだな。いやに決断が早いとは、思ったのだが」
王子は合点が行く、と言うように大きく頷いた。
国家魔術師達が加護の力を研究材料と考えている。このため、エドガー王子に嫁せばミラの身の安全は守られるであろう、と言うマルメロ伯爵の考えを読み取ったようだった。
やはりそれほど国家魔術師の研究材料にされる、と言うのは危ない事なのだろうか。いまだにミラにはそれがピンと来なかった。だいたい美少女そのもののイシュタル以外の国家魔術師を、この目で見た事がないのだ。
いや、確かに危ないかもしれない。と、思い直す。
全くこちらの気持ちを斟酌しない、ただ人が困っているのを楽しんでいるような、イシュタルの浮世離れした態度を思い出して再び腹立たしい気分が、ぶり返した。
そしてついでに、朝の出来事を思い出す。
突然ミラのベッドに現れた美少女―――ではなく、美少年!
あれは一体何だったのだろう?
目の前の王子に聞いてみるべきか?
……いや、いやいや。自分のベッドに男がいた、なんて話をしたらどんな風に話が広がるか分からない。
例え内緒にして、と頼んだって。それを守ってくれるのは、二ヶ月が限度だ。魔法が切れれば彼は、好きなようにするだろう。
出会ってから、これまで。エドガー王子と言う人は、自分のしたいようにしか行動しない人間だと、ミラは思い知らされて来た。彼は今、魔法の効力でミラの嫌がる事は出来ない。だから言葉で拒絶すれば、手を離せ、触れるな、などと強く訴えれば、おそらく嫌々ながらも開放し距離を取ってくれるだろう。ただセイラや使用人の目があるから、ミラはそんな大っぴらに指示をするような真似を控えているだけだ。
なのに、そんな制約がある中で、彼は謎の行動力を示しミラをこんな状況に追い込んだのだ。これが制約なし、の魔法であったなら……順序も考慮せず、空き部屋に押し込まれていてもおかしくない。
そんな想像をしてしまい、彼女は再びゾッと背筋を震わせる。
それともいっそ……イシュタルの件を口にすれば、ひょっとして。この婚約を、彼は諦めてくれないだろうか?
身持ちの悪い娘はいらぬ! とか、宣言するのでは?
ミラはちょっとだけ、言ってしまいたい衝動に駆られた。しかし直ぐにその衝動を否定する。いやいやいや! それではマルメロ家に迷惑が掛かってしまう、と。
身持ちの悪い妹を持った、なんて姉を周りに貶めさせる隙を作ってはいけない。
彼女はここで、イシュタルの事は口に出さないと決めた。そして大事な事だけを、はっきりと意思を提示することにする。
「婚約は……しません」
すると、エドガー王子は潤んだ瞳でうっとりとミラを見下ろしながら、こう問い返した。
「お前の意思で……今この場で、王族からの縁談を覆せると思うのか?」
「……父に、お願いします。今の話を聞けば、お父様もセイラお姉さまも賛成してくださる筈です」
ふっと、気の毒そうにエドガー王子は眉尻を下げる。
「そうすれば、セイラ嬢と兄上の婚約話が再浮上するな」
「それは……」
『気の毒そうに』と感じたのは、見立て違いだった。どちらかと言うと、これはミラを揶揄うような表情だ!
ミラが嫌がる事は、出来ないのでは無かったのか? 話が違う! とイシュタルを心の中で詰ったが、おそらく嫌がる行為を直接行使出来ない、程度の制約なのだと漸く気が付いた。
理論的に攻められれば、単なる学院生でしかない貴族の小娘など、既に軍に所属し大軍を率いる事を仕事にしているエドガー王子の敵ではない。
ミラは苦々しい思いで、呻くことしかできない。
「お前が姉を大事だと思うなら、それは止めておいた方が賢明だ。何故なら兄上には、深い仲の愛人がいる」
「え?」
ミラにとっては、寝耳に水な話だ。
アルフォンス皇太子に愛人がいるなど、聞いた事が無かった。当然、マルメロ伯爵もセイラも知らないだろう。二人からも、全くそういう話を聞いたことが無かったから。そう言った噂も、流れていない筈だ。王室マニアのアグネスからも、聞いていない。そう言った話題が出るのは、素行の悪いエドガー王子と決まっている。それとも、ミラが知らないだけなのか?
「それも、婚姻を機に手切れ金を払う訳にもいかない相手だ。お前の姉を娶るのは、兄上にとって、あくまで王家としての体裁を整えるパフォーマンスだ。だから相手は最有力候補だった隣国の王女ではなく、揉め事があっても黙らせることが出来る臣下の娘を選んだのだ」




