25.噛み合わない
「今回の婚約で、私の目的はほぼ果たされたからな」
「目的……?」
ハッとミラは息を詰めた。出会った後の急すぎる婚約話には、やはり理由があったのだ。
彼女を見つめるエドガーの瞳は、恋に浮かれる男そのものだ。高貴な身分、見る者の目を奪う美しい相貌。その熱を帯びる焦げ茶色の瞳に見つめられれば、大抵の令嬢は頬を染め、胸をときめかせる事だろう。
だが今のミラには、そんな甘やかな感情に浸る余裕などない。
「兄上の婚約を、ぶち壊せた」
ニヤリと口元を歪めるエドガー王子は、まさに『黒王子』の呼び名そのもの。どす黒いオーラを発している。
「私は、あの偽善者ぶる男が嫌いだ。だから婚約をぶち壊すために、お前の姉、セイラを誘惑しようとしたのだ」
「なっ……」
ミラは、絶句した。
セイラとして初めてエドガー王子に対峙したとき、彼は臆面もなくミラに迫った。とんでもない行動だと思った。傲慢な振る舞いに怒りを戸惑い、怒りを覚えた。
けれども―――後のセイラの話では、誠実そうにミラを慕っていると熱心に訴えてくれたと聞いたのだ。急すぎる展開に、違和感を覚えなかった訳じゃない。だがセイラがほだされ、マルメロ伯爵も譲歩した相手なら、それほど悪い人間ではないのかもしれない。
……などと、心の隅でいつの間にか希望を抱いてしまった。
初めに感じた悪い印象を払拭して欲しい、上書きして欲しい。と、ひそかに期待した。それはいずれ婚約者となり、婚姻を結び家族となるかもしれない相手だからだ。
夫となる相手を心底嫌いになりたくはない。そんな婚姻、不幸以外の何物でもないだろう。だから、言い訳してほしかった。ミラにも分かるように、納得のいく説明が欲しかった。
だがその微かな望みは、やはりと言うか当然のごとく潰えてしまったのだ。
「意図していたのとは違う形だが、結果的にスムーズにセイラと兄上の婚約を無かった事にできた。その上幸運な事に……」
エドガーはミラの手をとり、うっとりとした表情で口付ける。
熱い唇の熱に、ミラの頭はかっと沸騰するどころか、急速に冷えていく。
「私は愛する人に、巡り合えた。こんな気持ちは、生まれて初めてだ。これがたとえ二ヶ月、仮初の恋だろうとかまわない」
そして見る者の目を強引に絡めとってしまうような、魅力的な微笑みを口元に称えた。むせ返るほどの色気が漂い、距離を取ってミラの背後に控える侍女達が思わず胸を撃ち抜かれたように抑える。
「古の賢人もこう言っている。『恋とは心が侵される熱病であり、いずれ治癒するものだ』と。そもそも生まれた恋情が跡形もなく消え去るのは、人の世の理。婚姻関係に恋愛感情を求める方が、どうかしている。だからこそ、ひとときでも婚約者に特別な愛情を抱く事が出来るのは、誠に幸運な事だ。……そう、思わないか?」
残酷な台詞を、まるで歌うようにうっとりと語るエドガー王子に唖然とする。
何と冷たいことを、何と熱い瞳で語るのか……!
しかし皮肉にも、この時ミラは自分の『本当の気持ち』に気が付いてしまった。
なんだかんだ分かったようなことを言っていたが、やはりミラは―――夫に愛されたい。
今のエドガー王子が垂れ流すような、重苦しい愛まで欲しいとは思わない。ミラの望みは、もう少しささやかなものだと思う。
けれども、そう。最初から、愛されない前提の婚姻なんて嫌だ。家族愛でも、多少ぎこちなくても良い。できれば、生涯の伴侶とは良好な関係を気づきたい……!
『放っておかれるのも想定内、側室や愛妾を持たれる事も仕方がない。私は半分平民なんだから、惜しみない愛情を注がれる、なんて贅沢な事を考えてはいけない』
なんて達観したように構えていた。だがミラの本心は―――
マルメロ伯爵がセイラの母を愛するように、自分をただ一人の妻として尊重してほしい。そこまでは無理にしても、せめてミラの母がマルメロ伯爵と歩んできたように、同じ方向を見て肩を並べるような……良好な環境を、穏やかな家庭を築きたい。
自分って、こんなに欲張りだったんだ……!
ここにきて、漸く自分の本当の気持ちに気づいたミラであった。
だから、ミラは思う。
やはり、この王子と自分は相容れない。
婚約をちょっと考えてみても良いかも―――なんて甘い事を考えたのは間違いだった……!
そもそも兄が気にくわないから、その女性を誘惑して婚約を壊そうと考えるなんて―――国を纏める立場の王族失格! と言うか、性格が悪すぎるでしょう……!!




