24.庭園にて
ミラをエスコートしながら、エドガー王子は感心したように周囲を見渡した。
「手入れの行き届いた庭だな」
「はい。セイラお姉さまの、自慢の庭です」
マルメロ伯爵家の庭園にはセイラの母、レイラの好きだった花が植えられている。
彼女がここに嫁いで来たのは、伯爵が三十歳、レイラが十六歳の時だった。政略婚のため、若くして嫁いで来た彼女の淋しさを少しでも軽くしようと、伯爵が彼女の実家の領地に咲く花を取り寄せて植えさせたのだと言う。レイラの侍女であったミラの母であるイーナは、後妻となった後もその庭を心を込めて維持して来た。それを、今ではセイラが引き継いでいる。
「あの、エドガー王子は覚えていらっしゃいますか? 私と初めて会った時のことを……」
あくまできちんと適切な距離感を保ってエスコートしてくれる理性的な様子に、ミラは一縷の望みを抱いていた。
やはり、魔法は解けつつあるのではないか……? ならば交渉次第では、婚約について考え直してくれるかもしれない。ただ、セイラと皇太子アルフォンスの婚約がどうなるか、などの問題は依然残るけれども。
「ああ、勿論。忘れたくても忘れようがない。運命の相手に出会えた瞬間だからな」
途端にこちらを見下ろす瞳に、熱が籠る。彼の腕に軽く掛けただけのミラの小さな手の甲に、重ねるように大きな掌が乗せられた。その体温の熱さにつられるように、ミラの頬はカッと熱くなり、対照的に頭の中は一気に冷えた。
あ、ダメだこりゃ。
と、ミラは思う。
彼に掛かっている魔法は、全く解けていない。
ただ王子は、その社交スキルでもって外面をちゃんと使い分けられる人なだけなのだ。
ミラはその事に、漸く気が付いた……!
やはり、彼は腐っても王子。
いや、腐ってはいないけど。
ミラは一縷の望みを捨て、キチンと彼に向き合うしかないと覚悟を決めた。大きな掌に包まれていた自分の手を、スルリと抜き取り握りしめた。魔法の所為だと分かっていても、この熱量を受け取りながら平静でいられる自信はミラにはない。身内以外の男性と接する機会がほとんど無かったからだ。
「あの、本当に? 何故私の事を気に入って下さるようになったか、その理由を覚えていますか? 国家魔術師が掛けた、魔法の所為なのですよ……!」
言った……!
とうとう、言ってやった……!!
王子がその事実を認識していないなら、ミラの発言自体を不快に感じるかもしれない。だけど今、これだけはどうしても言わなければならなかった。
「殿下が私に対して抱いて下さるその感情は……二ヶ月後には、綺麗にすっかり消えてしまいます。その時、この婚約の事を殿下はきっと後悔することになります。婚約後に殿下に本当の想い人が出来たら、困りますよね? いえ、ひょっとすると想い人がいたのに、その気持ちを忘れている可能性だってあると思います……! そしたら、誰にとっても不幸な結果にしかなりません。どうか、婚約の件は考え直していただけないでしょうか?」
ずっとミラは、考えていた。
イシュタルに恋愛感情を植え付けられた事を、エドガー王子は覚えていないのでは? と。それならば、現在付き合っている相手に対する感情も忘れてしまっている可能性もある。
つまり、彼がセイラに質の悪い(というか極悪の)悪戯を仕掛けようとした事実もまた、覚えていないかもしれない。
先ずは、そこを確認せねばならなかった。
ここまで言い切ってから、ミラはギュッと瞑った瞼を開けて、王子を見上げる。
驚いているかもしれない。怒っているかもしれない。
彼の恋心を否定するような言葉を吐いたミラを、彼は許すだろうか……?
でも信じて欲しい。理解してもらわないと、困るのだ。
そして何より、この婚約で王子自身も不利益を被る事になる。
魔法で強制的に好きになった相手と結婚するなんて、正気の沙汰とは思えない。絶対に後悔することになるだろう……!
だが、ミラの予想は外れていた。
エドガー王子の視線は、なぜか飛び切りの甘さを維持したままだ。
その焦げ茶色の瞳に、ポカンと間抜けに口を開けたミラが映っている。
ミラはその視線に縫い留められたように、動けない。
握り込んだ小さな拳を、再び大きな掌が包み込む。
「あの、だから婚約は無かった事に……」
「ミラ……勿論、私はそれも覚えている」
「……えっ」
思ってもいない返答だった。
「ええ?! 覚えておられるんですか?!」
驚愕に目を真ん丸くするミラが、焦げ茶色の瞳に映っている。彼は混乱したミラの様子を眺めて、フッと悪戯っぽく笑った。そんな些細な笑顔さえ色っぽくて、ミラはどぎまぎしてしまう。大きな掌は、変わらずミラの両手を包み込んでいる。温かくて、クラクラした。
「あの、私が言っているのは……殿下がセイラお姉さまを、その……お姉さまに迫ってですね。それが上手く行かなかったので、あの国家魔術師に魔法を掛けさせて殿下に夢中にさせようとしたって言う酷い……その、無茶な……いえ、そういう強力な魔法の事で」
「ああ、そうだったな」
エドガー王子は、全くこともなげに頷く。
ミラは言葉を選びつつも、通じなさに頭がおかしくなりそうだった。
自分が魔法に掛かっていて、恋愛感情をコントロールされている状態であることに全く動じないばかりか、セイラに酷い魔法を掛けて陥れようとしたことを何でもないように肯定したからだ。
自分だったら激しく動揺するか、恥じ入るかする状況だろう。
王子が平静を保っているのは、そういう風に装っているのか。それとも、自分の行いを悪いとも思っていないのか……どちらかと言う事になってしまう。
戸惑いつつも、ミラは重ねて訴えた。
「あの、だったら……この婚約は意味がないって、承知されていますよね? 考え直していただけませんか?」
「それには及ばない」
しかし王子はけんもほろろに、ミラの訴えを退けたのだ。
「何故です? 今の殿下が私に抱いている感情は、二か月後にはすっかり消えてしまうのですよ?!」
「それの―――何が問題だ?」
奇妙だった。瞳は熱く潤んでいるのに、返答は冷静なのだ。
王子と自分の常識が、全く噛み合わない事に、ミラは徐々に気が付き始めている。




