23.黒王子と対面
「ミラ、君から会いたいと申し出てくれた事は、望外の喜びだ」
マルメロ伯爵家の応接室に現れたエドガー王子は、そう言って腕を広げた。
少しくせのあるヘイゼルの髪を撫でつけ、こげ茶の瞳を潤ませる美男子は大層色っぽい。首まであるシャツに金ボタンの並ぶ深い藍色の丈の長い上着にボタンと同色のベルトを上から締めている。簡素に見えるのに、上着にもベルトにもよく見ると艶やかな質感の生地に凝った刺繍が同系色で施されていた。上着と共布の藍色のズボンに長靴を身に着けている。すらりとした長い脚だ。改めて、そのスタイルの良さを見せつけられた。
お茶を運ぶ為に控えている侍女が頬を染めている。滅多にいないような、冗談みたいな美形だ。若い娘なら同じ空気を吸っているだけで眩暈がする、とアグネスが言うのも道理だった。
しかしこんなに完璧な隙の無い着こなした美形が、手を広げたままちょっと黙ってミラを待つような素振りを見せている。
残念ながらエドガー王子の頭の中は依然、お花畑のようだ。
ミラは敢えて、その意向を無視して距離を保ち淑女の礼を取った。
「ご足労頂き、誠に感謝致します」
当初こちらから王宮へ出向くと伝えたのだが、王子から『自分がそちらに行こう』と申し出て来たのだ。
前のめりが過ぎるだろう、とミラはこっそり溜息を吐く。
出会ってからまだ四日しか経っていない。彼に掛けられた強力な魔法は、いまだ彼の意思と情動を支配しているようだ。
部屋の中には侍女も使用人も控えており、彼女達の一挙手一投足を監視している。加えて付き添いとしてセイラも控えているのだ。そんな状況で誰が恋人でもない、婚約者未満の男の腕に飛び込むと言うのか……? 盛大にツッコミたくなる衝動をミラはグッと堪えた。セイラの目の前で、王族に対して無礼を働く訳にはいかない。
「どうぞ、こちらにお掛けください」
急用が入ったマルメロ伯爵の代わりに、面会には姉のセイラが立ち会っている。彼女は、ミラを目の前にして感極まったように瞳を潤ませているエドガー王子に美しい所作で、優しくソファを勧めた。
今日のセイラは、通常より少し地味な装いだ。
ミラはただそんな姉を見て、控えめな装いのお姉さまもシックで素敵だわ! と内心ニマニマしている。
なので、今日の主役である妹を少しでも引き立たせようと考える姉のひそかな配慮には気が付かない。目の前の美形王子より、どんな装いでもその魅力を隠し切れない姉の方に目が行ってしまうのだ。
全く手に負えない、重度のシスコンである。
ミラの素っ気ない対応に、諦めてソファに腰を下ろすエドガー王子。彼に今日付き添っているのは、イシュタルではなく精悍な騎士だ。一応、外にも護衛の騎士が二人ほど控えているらしい。馬車では無く、彼は護衛の者達とともに馬に乗って来たそうだ。
なるほど、それで長靴を履いているのか、と合点がいく。
彼の口ぶりからすると、普段は大抵直接自分で馬にまたがって移動する事が多いようだ。仮にも王族だと言うのになんとも身軽な事だ、とミラは驚いた。
これは一昨日、王子が女学院に花束を持って現れた時にアグネスから聞いた話なのだが、彼の剣の腕はかなりのモノらしい。そして、馬でマルメロ伯爵領まで乗り付けた所を見るとおそらく乗馬も得意なのだろう。
実力から言えば護衛などいらないくらいだが、王族が一人でフラフラするのは外聞が悪いし、また計画的に大人数で囲まれてしまった場合など万が一に備えなければならないので常に数人で行動しているらしい。余談だが何故かその周囲を囲む騎士達も美丈夫が多く、このため黒王子の一団が町を歩くと、彼らを一目見ようとする女性達で人垣ができるそうだ。
ちなみにミラに会いに女学院を訪れた時は馬車だったが、これはミラと同乗するつもりだったからかもしれない。
しかし少し考えれば、女学院に通う少女が一人で男の誘いに乗って馬車に乗るなんて婚約者でもない限りあり得ないと分からないのだろうか。それともこの黒王子に誘われれば、大抵の女性はフラフラと馬車に乗ってしまうのだろうか? とミラは内心首を傾げる。随分自信家なのだなぁ、と思った。その権力故か、それとも容姿に対する自信からか。
確かにキチンと装い、とりあえずではあるが距離を取って礼儀正しい振る舞いをしている目の前の男性はミラの目にも魅力的に映る。初対面の侍女が、ぽぉっとするのも頷ける。
これまでの三日間色々あり過ぎて用心しているから、好意を持つと言う状態には至らないが。
ミラがおとなしく座っている振りをして、このような事を考えている間。セイラは付き添いとして、当たり障りのない時節の挨拶など前置き話をエドガー王子と交わしている。
エドガー王子は、以前王宮でセイラ(の擬態をしていたミラ)に迫った時とは全く違う、紳士的な態度でミラの姉に接していた。
やはりこうして傍から眺めていると、礼儀正しい品の良い美形の王子にしか見えない。女性関係の派手な『黒王子』と呼ばれているのが、不思議に思えるくらいだ。すっかりその、野性的なまでの色気はなりを潜めており、いかにも高貴な貴公子然としている。
詐欺だと思った。
いや、しかし。今の彼は随分、落ち着いているように見える。
最初の脳内お花畑アクションには引いてしまったが、もしかすると魔法の効果は時の経過とともに徐々に薄れていくものなのかもしれない。と、ミラは一縷の望みを持つ。そして気合を入れた。彼に確かめるなら、説得するならやはり今しかない。
話がひと段落した所を見計らって、ミラはセイラに視線を向ける。それに気づいたセイラがニッコリと優しく微笑みで応えた。
「なぁに、ミラ?」
「あの……お姉さま。殿下と二人でお話ししたいのですが……よろしいですか?」
「そうね……」
セイラは少し考えるように、その華奢な顎に形の良い白く細い指を添え、それから頷いた。
「ではミラ、殿下に庭園を案内して差し上げたら? ただしまだ婚約前ですから、あくまでも目の届く範囲でね?」




