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21.キュイ

「キュイ!」

「きゅう!」


寝支度を終え、部屋で一人になって直ぐにミラはキュイを呼び出した。するとベッドに腰かけたミラの視線の少し上あたりに、キュイがクルリと回転しながら姿を現す。

ミラが泣くのを堪えるような苦し気な表情で両手を伸ばすと、ふわふわと漂うようにミラの元に飛んで来てポスンとその腕の中に納まった。彼女はしっとりとした、それでいてフワフワでつるつるな手触りの毛並みに顔をうずめる。


「ああ……癒される~~!」


グリグリと頬を押し付けると、キュイが「きゅう?」と首をかしげる。ミラはキュイを腕の中に抱きしめたまま、ベッドにダイブした……!

お互いの鼻先を近づけて、ミラはキュイをじっと見た。


「あのね、私何故か……黒王子と婚約することになりそうなの!」

「きゅう?」


キュイはきょとんと首を傾げ、丸い瞳でミラの緑色の瞳を覗き込む。


「不安だよー……だってね、強引にセイラお姉さまを落とそうとした人だよ。今はキュイが魔法を跳ね返してくれたお陰で私に夢中らしいんだけど、魔法が解けたら態度も変わっちゃうよね。でも、セイラお姉さまは縁談が壊れて嬉しそうだし……無理に断る選択肢も無くなっちゃった」

「きゅきゅう~……」


心配そうなキュイの声に、ミラは慌てて付け足した。


「ありがとう。でもね、どっちかと言うと、戸惑ってるって言う方が正しいかも。結婚相手にどんな人が良いって考えた事もないし。ずっとお姉さまと一緒にいられたら良いけど、それは無理だし」

「きゅう?」

「それより何より、黒王子がまたセイラお姉さまに言い寄らないか心配なのよね。でもなんとなく、なんとなくなんだけど……彼はお姉さまに好意があって言い寄ったって感じじゃないような気がしたんだよね」


そうなのだ。あの時、彼と初めてセイラの擬態で対面した時。

エドガー王子の瞳は、冷めた色をしていた気がする。ミラに夢中な、恋に落ちた瞳(仮)はもっとずっと情熱的だった。

でもだからこそ、違った意味で心配なのだ。

ならばどうして? 王子はセイラに言い寄ったのだろう。

戯れ? ひまつぶし?……それともいつも、そんな冷めた瞳で女性に甘い言葉を囁いているのだろうか。ただの気まぐれとかゲームみたいなモノだったとしたら。例えば……自分の魅力がどんな女性にも通用するか試したかった、とか?

だとしたら、相当性質(タチ)が悪い。女の敵だ。性格悪すぎじゃない? とミラは思う。


それとも何か、他に特別な理由があるのだろうか。セイラを陥れて彼が得するような何かが。

よりによって、ほとんど決まり欠けていた兄の婚約者候補を誘惑する意図は何か。

マルメロ伯爵もその点に首をかしげていた。女性関係は多少派手かもしれないが、男性の視点から見ればエドガー王子はそれほど悪い印象を与えない存在らしい。だから敢えて、セイラに言い寄る意味が分からないのだった。普段はそこまで鬼畜ではない、と言うことなのだろうか。エドガー王子の人となりをよく知らない、ミラにはこれと言った回答が導きだせないままだ。


「普段なら、私なんて近寄るのも話し掛けるのも憚られるような相手だけど、彼が私に夢中(仮)な今なら、婚約者候補って言う名目で率直に話せるでしょう? この際だから、ちゃんと彼の思惑を聞き出して、お姉さまに迷惑が掛からないように対策をしたいと思うの」


ベッドの上で横向きで向き合うとキュイのつぶらな黒い瞳に、珍しくキリッとしたミラ真剣な表情が映っている。

彼女はキュイの体をギュッと抱き込み、くるんと背中を柔らかなベッドに付け仰向けになった。それからキュイの前足の下に手を差し込み、赤ちゃんを『高い高い』するように持ち上げる。キュイはミラの手に体を預けて、プランと足と手を垂らしされるがままだ。


「今はまだ、黒王子は私に嫌われるような事は出来ないと思うけど……万が一、急に魔法が解けたりしたら大変なの。キュイ、お願いね。その時はまた私を守って欲しい」

「きゅいきゅい!」


まるで『大船に乗ったつもりでいてくれよ!』とでも言われているみたいだった。ミラはホッと息を吐いて、笑顔になる。


「加護って大抵、オトナになったら消えちゃうって言うけど……」


ミラは眉を下げて、キュイのつぶらな瞳を見つめた。


「キュイにはずっとそばにいて欲しいな。だって私、キュイが大好きなんだもの」

「……」


キュイは珍しく返答の声を上げない。加護が消える、消えないはそもそもキュイには決められない事なのかもしれない。少なくとも、学校では加護が意思を持って人間を守るなんて事例は、習わなかった。いつの間にか、ある日大人になってふと気づいた時に加護が外れている、と言う事が多いらしい。『加護』の存在は稀少であやふやで、まだまだ謎が多いものなのだ。

それだけ検証できる事例が少ないと言える。だからこれまで長い間、加護の力に国家魔術師が注目することも無かったのだ。それを研究しようなんて考える人間も、いなかった。

マルメロ伯爵はミラが婚約者としてエドガー王子の庇護下に入れば、研究に協力させるような無理は通せない筈だと言った。だから多少の不可解な点はあっても、それから多少女性関係が派手であっても……ミラの縁談の相手として、彼を都合の良い相手だと判断している節がある。


考え込むミラを見て、キュイがいかにもすまなそうにショボンと耳を垂らした。その様子を目にして、キュイに我儘を言って困らせたような気分になってしまったミラは、笑って前言を打ち消すように誤魔化した。


「あ、お姉さまとどちらが一番っていうと、比べられないんだけど……てへへ」

「きゅい」


微かにキュイがミラに同調して笑ったような雰囲気を感じた。ミラはホッとして、体の上に持ち上げていたキュイの体を再びギュッと抱き込んだ。


「でも、今日は何となく淋しいから、このまま消えないで一緒に寝てくれる? 絶対潰さないように、気を付けるから」

「きゅいきゅい!!」


そうして、その日は二人……ではなく一人と一匹(?)で、柔らかい寝心地の良い上掛けにくるまって眠りについたのだった。







翌日の朝、ミラはベッドの中でパチリと目を覚ました。

頭の中にあった靄がすっきりとしている。よく眠れた証拠だろう。きっとキュイの添い寝のお陰だ。―――そう思い、隣で添い寝してくれる筈の小さなフワフワの塊を探す。


掛けていたメインの羽毛の上掛けが、キュイに奪われてしまっていた。ミラが掛けているのは薄い方のみ。それで早くに目が覚めたのかもしれない。

しかし、その上掛けの盛り上がりが……イメージより、大きいのに気が付いた。


「あれ? キュイ……まさか巨大化した?」


キュイが巨大化した所など、これまで見た経験はないがそれしか考えられなかった。

ミラはキュイらしき存在に奪われてしまっている、羽毛の上掛けをそっと剥がして……驚愕に、目を見開いた。


上掛けの中に眠っていたのは、キュイでは無かった。

そこにいたのは、長いまつ毛、白い艶々とした滑らかな肌の―――キラキラと眩いほどの麗しい美少年。


「え……イシュタル?」


ミラの天敵、にっくき国家魔術師のイシュタルが、そこでスヤスヤと健やかに寝息を立てていたのだった―――!

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