20.ミラの気持ち
「ミラ? もしかして……エドガー殿下との縁談には乗り気じゃないの?」
心配そうなセイラの声に、ミラはハッとなった。
「え? ええと……」
乗り気じゃない、と言うか、正確には『乗り気じゃなかった』。
ミラが大事なのは何より姉のセイラで。なのに、自分の縁談のせいで姉のセイラの幸せを壊してしまったのだと考えていたからだ。
そしてその縁談の原因と言うのが、姉のためにと敢えて単独で王宮へ向かったのが原因で。自分のやったことは結局無駄でしかなくて、何もかも裏目に出てしまったのだと考えると、いたたまれなくなったのだ。
ところが、そもそもセイラが皇太子との縁談に乗り気じゃない、と言う事を知ってしまうと―――途端に分からなくなる。
縁談の相手に対する希望なんて、ミラにはない。言われるままに嫁ぐだけだ、と思っていたからだ。
本当の本当は……ずっと、セイラと一緒に暮らしたい。だけどそれは叶わない願いだ。姉の嫁ぎ先について行く妹なんて、迷惑以外の何物でもないだろう。
暴力を振るったり、賭け事や女性に入れあげて身を持ち崩したりするような夫は勿論嫌だが、マルメロ伯爵がそういう相手にミラを嫁がせるとは思っていなかった。彼女の父は厳しい事も言うが、ミラの事を娘として守ってくれている。それにマルメロ伯爵は、何より大事にしている愛娘、セイラが悲しむような事はしないのだ。
だから、多分。マルメロ伯爵が承知したのなら、エドガー王子は良い縁談相手なのだろう。
ただ、出会いが出会いだけに……王子の良さが、ミラには分かりにくい。それに未遂ではあるが彼はセイラに言い寄ろうとし、加えてそれが叶わないとなると魔法を掛けて彼女の名誉を貶めようとした。それは絶対に許せるモノではない。マルメロ伯爵だって、セイラに対するエドガー王子の企みを知った時点では、瞳に剣呑なモノを浮かべていた。
ただ、こうも言っていた。何か誤解があるのではないか、と。
マルメロ伯爵はその誤解を生んだ原因についてはまだ確信を持っておらず、改めて探るつもりらしかった。それに間の抜けた事に、セイラに掛けようとした魔法は結局エドガー王子本人に掛かってしまった。自業自得とはまさにこのこと。これ以上の罰は無いだろう、とも言っていた。ミラもこれには大きく頷いた。悪い事は出来ない、これを因果応報と言うのだろう、と。
頭の端っこで『私に惚れる事が罰……?』と、少々理不尽な気分になったが、まぁそうだろうとも思った。
黒王子を射止めたいと考えている貴族令嬢は、ごまんといる。妖艶な美女だって、高貴な淑女だって手に入れる事が出来る人なのだ。何も血筋の劣るお買い得令嬢をわざわざ娶らなくても良い。……と言うか我に返った途端、返品されるような気がした。マルメロ伯爵は「そんな真似は絶対に許さない」と言い切ってくれたが。
「そうだとしたら、話は別よ。聞いていた話と違うもの。私は、断固反対しますからね。ミラを望まない嫁ぎ先に向かわせるなんて、絶対に嫌だわ」
セイラは見る間に気色ばんだ。
彼女の察しの良さに、ミラはヒヤリとする。ミラだって同じ気持ちなのだ。セイラに気の進まない結婚なんて、絶対にさせたくない……!
それにミラがセイラの身代わりになろうとした秘密の行動を、セイラにだけは知られたく無かった。
セイラは、彼女のためにミラが自分を犠牲にするような真似をきっと許さないだろう。そうさせてしまった自分を責める筈だ。彼女を悲しませるのは、ミラは絶対に嫌だった。当然マルメロ伯爵にも、ミラの軽率な行動については黙っていて欲しいとお願いしてある。
「違うの! その……私、本当に……急な事でビックリして。婚約することが良いとか悪いとか、分からないの。ただ、セイラお姉さまの幸せの邪魔してしまったって、そればかりが気になって」
「ミラ……何て優しい子なの!」
セイラは瞳を潤ませて、ギュッとミラの両手を握った。
そして先日の、ミラの知らないある顛末を語り始めたのだった。
「実は昨日ね、アルフォンス様に呼び出されて、エドガー殿下と対面したの」
何と女学院の入口で花束を押し付けて去っていったあの人騒がせな王子は、そのまま王宮へ取って返し、その足でマルメロ伯爵とアルフォンス皇太子に直談判したのだと言う。マルメロ伯爵がアルフォンス皇太子とセイラの縁談があるからと渋ると、弟の情熱にほだされた皇太子が水面下で進んでいた婚約者の選定からセイラを外しても良い、とおっしゃったのだそうだ。
王宮に呼び出されたセイラは、父とアルフォンス皇太子の意向を知った。
皇太子自身は自分の婚約者はセイラに決めたいと考えていたし、世間ではほぼ決まりのような噂が飛び交っていたが、実は王宮の中ではいまだ候補者選定の真っ最中だったのだ。有力貴族達の推薦する他の令嬢に他国の姫君と、貴族達の思惑、国王と皇后の意向、様々な意見が飛び交っているのだとか。
もしセイラが本格的に婚約者候補から外れるなら、早い方が良い。
セイラ自身の能力と血筋は皆の認める所であるが、マルメロ伯爵の祖母が元王女である事から親族同志の婚姻に異を唱える者もいるのだとか。勿論自身の権力拡大を企む輩からの意見だろう。しかしだからこそ、何よりバランスを重んじるマルメロ伯爵は、セイラが皇太子妃になる事にはもともと乗り気ではなかったのだった。
「お父様からミラと殿下の縁談の話を聞いたばかりの私は、あまりに急な展開に不可解に思ったわ。ミラからエドガー殿下のお話を聞いた事が無かったし。……だけどね、殿下は、たいそう真摯にミラに対するご自分の思いを話されて―――私、少し感動したのよ。彼はミラの魅力を、よく分かっているって」
『ミラの魅力』? 一体いつ、好かれるような事をしただろうか。全く覚えがない。エドガー王子とは知り合って数日しか経っていない。彼はミラの事なんてほとんど知らない筈だ。知らないのに……運命の恋(仮)に落ちてしまっている状態なのに。
「最初は、一目惚れだったとおっしゃったわ。うふふ、ミラの愛らしさに目を奪われたのね」
ミラはほんのりと頬を染めた。
この姉は、妹を過大評価し過ぎるきらいがある。だから褒められるたび、嬉しいやら恥ずかしいやらで、いつもこそばゆいのだが。
しかし言うに事欠いて『一目惚れ』とは。確かに魔法に掛かった途端、エドガー王子にはミラが魅力的に見えたのだから、そういう表現でも間違いではない……かもしれない。
けれどイシュタルは、あの後説明しなかったのだろうか。主の暴走をちっとも止める素振りを見せない国家魔術師の行動が不可解であった。魔法が解けた後、きっとあの魔術師は処罰を受けるに違いない、とミラは考えた。それにしてはのんびりし過ぎているような気もするが。
セイラはフフフと誇らしげに笑うと、真剣な表情でミラを見つめた。
「だけどね、エドガー殿下は『それだけじゃない』っておっしゃったの。とりわけ、殿下の熱心なアプローチにも遠慮する、謙虚な所を好ましいとおっしゃって下さった。殿下が情熱のままにミラに花束を持って食事に誘おうとしたのですってね? ミラは敢えて、そんな彼をたしなめてくれたのだと聞いたわ。エドガー殿下は、ますますそんな慎み深い所に惹かれた……そう、おっしゃって」
今さらながらに、自分の行動の危うさにミラはヒヤリとする。
丁寧に、を心掛けたつもりが、王族の誘いを断るなんて我ながら良くできたものだ。きっとイシュタルから、魔法の仕様を聞いていたからだろう。ミラが本心から断れば、エドガー王子は従うしかない。それにその魔法の所為で、ミラに悪感情を持てなくなっているのだ。
「黒王子の誘いを断る女性なんていない! あり得ないよ!!」と、馬車に押し込まれたアグネスがは主張していた。王族だから、と言うだけじゃなくてあの容姿と物慣れた女性扱いで彼に誘われたい女性が列をなしているらしい……それは何となくミラにも分かる。特に彼に注目していなかったミラでさえ、近くで色気を振りまかれるとクラッと来てしまうくらいだ。おそらく……エドガー王子は女性にアプローチを固辞されるなんて経験、ほとんど無かったのだ。それも裏目に出てしまうとは。
いや、あくまで魔法の所為だろう。ミラの行動どれをとっても、彼には魅力的に見えてしまうのだ。
「お姉さま」
「なぁに?」
とろけそうに優しく目を細めるセイラ。この美しく、愛情深い姉が悲しむ顔を見たくなくて、ミラは勝手に王宮へ行ったのだった。
ミラは、この時覚悟を決めた。
「私、エドガー殿下の事、ちゃんと考えるわ」
と言うか考えるも何も、本来ミラに決定権は無い。
王家とマルメロ伯爵が決めた事なら、ミラに口をはさむ権利などないのだ。それが貴族の常識だった。
「そう!」
けれども、セイラはミラの決意を聞いてホッとしたように微笑んだ。
そして一転して、真剣なまなざしを妹に向ける。
「でも本当に気が進まないと思ったら、私に打ち明けてね。ミラの為なら私がきっとお父様を説得するし、アルフォンス様にも協力を仰ぐわ」
力強い姉の言葉に、ミラはコクリと頷いた。
どうせミラは、いずれ誰かと結婚しなければならないのだ。貴族の子女に生まれたからには覚悟を決めなきゃならない。その相手がエドガー王子じゃ駄目って事はない。
ただその前にどうしても、確認したい事がある。
何故エドガー王子はセイラを誘惑しようとしたのか。
今後魔法が解けた後でも、そのような不埒な真似を、セイラに対してしないかどうか。
社交界の注目の的、未亡人から夢見る貴族子女まで虜にしているという黒王子の事だ。魔法が解けた後、もしかすると婚約は維持しつつ浮気される事はあるかもしれない。……それも本当は嫌だが、絶対にして欲しくないのはセイラに手を出す事だ。
ミラは、セイラの幸せを誰より願っている。彼女の最愛の姉は、あんな風に王子がそれこそつまみ食いみたいに手を出して良い相手ではない……!
それに、王子は自分が魔法に掛かっていると認識しているのだろうか。
もし自覚していないなら、自覚させればミラとの婚約を考え直すと言ってくれるかもしれない。
その場合は、セイラとアルフォンス皇太子の問題がまた浮上してくるが……それはまた、その時だ。やはりセイラは、ミラよりずっと肝が据わっている。彼女がアルフォンス皇太子との復縁を願えばそれは叶うだろうし、あくまで固辞したいなら、それはそのようにマルメロ伯爵が動いてくれる筈だ。
「私……エドガー殿下と、ちゃんと話がしたい」
ギュッと握ったミラの拳を、セイラの柔らかな掌が包み込んだ。




