その3
清蔵は、鞘作りの作業に区切りをつけて長屋から軒下へ出てきた。そこで目にしたのは、裏通りの路地で話す鞘職人たちの姿である。
「こう言うのもなんだが、あの文吉って毎日のように博打をしていたらしいな」
「女房もそのことで悩んでいたし。あんなことになる前に女房が止めていれば……」
彼らは、無念の死を遂げた文吉への後悔の念に駆られていた。その会話は、清蔵の耳に嫌でも入ってくる。
「深編笠の男に命を奪われた文吉が、まさか……」
博打場の場所までは彼らが言及しなかったが、清蔵は裏の仕事で旗本屋敷に探りを入れたときのことを思い起こしながらつぶやいている。
「もしかしたら、深編笠の男も博打場の差し金では……」
しかし、深編笠の侍が博打場の差し金と断ずるにはまだ早計すぎる。文吉以外で博打を行っていた男が、殺された者の中にいるかどうかはっきりしないからである。
夕焼け空が広がる酉の刻、清蔵は表通りにある蕎麦屋『善治そば』に足を入れた。多くの町人衆がかけ蕎麦を食する中、木兵衛が席に座ろうとしているのを見つけた。
「清蔵、どうしてここに……」
「たまたま入ったら、木兵衛がいたから……」
裏の仕事で行動をともにする2人であるが、表の立場で出会うのは珍しい。
「ご注文は?」
「いつものかけ蕎麦を2人前で」
しばらくすると、木兵衛たちの席に鰹の利いた醤油だしが入ったかけ蕎麦が運ばれてきた。蕎麦をすする清蔵は、木兵衛に小声で話しかけた。
「なあ、ちょっと気になることがあるけど」
「どうしたんだ?」
木兵衛は、清蔵の口ぶりでただならぬ予感を感じた。
「深編笠の男と旗本屋敷での博打、もしかしたら繋がりがあるかもしれないぞ」
「まさか、辻斬りに斬られた男が博打でも……」
「そのまさかさ。あの文吉って奴は、仕事そっちのけで毎日のように博打場通いを繰り返していたらしくてなあ。女房が止めていれば、こんなことにならなかっただろうに……」
文吉の博打通いは、一匹狼を通している清蔵の耳に嫌でも入ってくる。今回の悲劇は、そんな文吉に忠告をしようと考えていた矢先の出来事であった。
「だけど、深編笠を被った侍がどこから現れるのか、まだ見当もつかないし」
「人を斬ったら、深編笠の奴はすぐさま逃げ帰るからな。せめて、あの侍が逃げ込む場所さえつかめば分かるが」
2人は、他の町人たちに気づかれないように小さな声で潜めながら話を続けている。そんな時、木兵衛が一計を案じた。
「清蔵が表通りを通る間、わしが忍として屋根に身を潜めてその後を追う」
「おれが表の立場で、木兵衛が裏の立場でということか」
「まあ、そういうことだ」
普段は表の立場で、殺しの仕事は裏の立場で行うのが2人の基本的な認識である。どちらか一方が表、もう一方が裏というのは極めて珍しい。
「ぐれぐれも、忍の掟を破ることのないように」
「ああ、分かってる」
自らの正体がばれたら、仲間によって命を絶たれる……。裏の仕事を行う者にとって、厳しい忍の掟は宿命といえるものである。
そんな時、蕎麦屋の店内にあわてて入ってきたのは町人らしき男である。その男は、息を切らせるように口を開いた。
「た、大変だ! 広小路の表通りで人が斬られたぞ」
開口一番に響き渡るその声に、木兵衛と清蔵はお代を払ってから急ぎ足でその現場へ向かった。大きな商家が立ち並ぶその通りには、野次馬の如く多数の町人衆が集まってきた。
「油問屋の勘吉が……。誰がこんな酷いことを……」
無残に斬られた勘吉の屍に、町人たちは騒然となっている。
「また、新たな犠牲者か……」
木兵衛と清蔵は、広小路の表通りにある血の匂いが漂う死体を目を凝らすように見ている。そんな2人の耳に入ったのは、屍となった油問屋の主人に対するあの言葉である。
「勘吉は仕事熱心なんだけど、そのくせ博打通いというのがなあ」
「ほら、あの旗本屋敷だろ。目付の梅松正五郎の屋敷でさ」
町人衆からのかすかな声に、清蔵がすぐに反応した。
「文吉と同じように、博打通いの町人が深編笠の男に斬り殺されるとは……」
「おそらく、深編笠も……」
同心が集まって勘吉の遺体を調べているのを横目に、清蔵は再び口を開いた。
「旗本屋敷で開かれる博打場と関係ないとは言い切れないな」
2人は、深編笠の男が博打場と何らかの関わりを持っているのではと疑念を持つようになった。




