その2
清蔵は、自ら手掛けた鞘を納品しようと武家屋敷へ向かうところである。
「あの深編笠の男、どうやって正体をつかむべきか……」
今回の偵察対象となる侍らしき男の素顔は、深編笠に覆われて謎に包まれたままである。
「まずは、深編笠の男がどこに現れるのか探りを入れないと」
神田川に掛かる新橋を渡ると、清蔵は新原から七曲の細い通りへ曲がってから甚内橋へ足を進めている。
甚内橋を通ってすぐのところに、清蔵の取引相手となる武家屋敷があった。
「ここが梅松正五郎の屋敷か……」
清蔵は、門番にその旨を伝えてから屋敷の玄関へ向かった。
玄関で待っている男は、旗本・梅松正五郎の御用人である。清蔵は、低姿勢で頭を下げると鞘が入っている風呂敷を開いた。
「お忙しいところ失礼つかまつる。南鞘町の清蔵と申します。そちらが購入したいとおっしゃていた鞘を持って参りました」
「こちらこそ、いつもご苦労様です。これだけ精度の高い拵と白鞘を作ってくださるとは」
御用人の関村広保は、清蔵が作り上げた鞘を感心そうに見つめている。広保は、清蔵が梅松家を訪れる時に必ず顔を合わせる相手である。一匹狼でぶっきらぼうな清蔵も、ここでは丁寧な言葉遣いが求められるので緊張することが多い。
そんな清蔵に、広保は柔和な顔立ちで話しかけた。
「ほんのささやかな気持ちですが、これくらいでどうだろうか」
広保が差し出したのは、金5両の小判である。清蔵は、その小判をありがたく受け取ることにした。居職でこれだけの収入がまとまって手にするのは、年に5回程度である。
それでも、南鞘町にいる鞘職人の中ではお金を多くもらっているほうである。これも、鞘作りから漆塗りまで自ら手掛ける清蔵の強みと言えよう。
納品を終えた清蔵だが、屋敷を後にする前にあることを広保から聞き出そうと口を開いた。
「多分ないだろうとは思いますけど、ある旗本屋敷で博打場が連日のように開いているという噂がありますので」
清蔵が口にした発言に対して、広保は少し沈黙した後にゆっくりと言葉を返した。
「この件についてですが、この屋敷でそのような博打まがいなことを一切行っていません」
「そうですね、お忙しいところどうもすいませんでした。それでは、この辺で失礼いたします」
清蔵は広保に頭を下げてから玄関から出ると、最後に聞いたことに対する広保の反論が気になって仕方がない。
「広保の言っていること、どうも本心ではないように見えるが……」
御用人は、主君の用向きを相手方と折衝する役目を担っている。そこでの発言は、主君の意向に沿ったものになるのが普通である。
「博打を行っていないならすぐ反論すればいいのに……」
清蔵は、広保がなぜ即答しなかったのか疑問を隠せない様子である。
屋敷の表門から出た清蔵は、門番に挨拶しようと頭を下げた。その時、門番が足元に転がったあるものを右手でつまむように取っているのを清蔵は見逃さなかった。
「あれは、サイコロなのか……」
一介の門番が、意味なくサイコロを持つとは考えにくい。おそらく、博打に彼が関わっている可能性は十分に考えられる。
だが、清蔵がここへきたのはあくまで鞘職人という表の立場である。本業を終えた清蔵は、武家屋敷が並ぶ通りを後にした。
南鞘町にある自分の長屋へ戻ろうと表通りを日本橋に向かって歩いていると、前方から深編笠の男が走り駆けるのを目にした。
「ま、まさか……」
深編笠の動きを察知した清蔵は、急いで日本橋のほうへ走り出した。そこで見たのは、無残に斬られた男の姿である。
周りには、斬られた男を心配そうに見つめる町人衆が多く集まっていた。
「大丈夫か、しっかりしろ!」
「編笠を被った男に……いきなり斬られて……」
男は意識がもうろうになりながらも、斬られた時の状況を清蔵に伝えようと口を開いた。
「その男は……日本橋のほうへ走るように……」
深編笠の男が逃げた方向を言いかけた時、斬られた男はその場で息絶えると二度と目を開くことはなかった。新たな犠牲者の残酷な殺され方に、清蔵も言葉を失うほどである。
藍色の空が広がる逢魔時、装束に包まれた2人の忍は、ある目的地へ向かって屋根伝いに風の如く走り抜けている。
「門番が足元に落ちたサイコロを取ろうとしていたか……。普通に考えて、博打以外でサイコロを手にするのは考えにくいなあ」
「まあ、あの武家屋敷で博打が行われているかどうかは分からないけどな」
忍たちがたどり着いたのは、梅松正五郎が当主の旗本屋敷である。これから行うのは、屋敷内で博打が行われているかどうかである。
「行くぞ!」
影が先に屋根裏に足を入れると、陽も静かに足を踏み入れてその後を追った。音を立てることなく梁の上を進んでいくと、屋根裏にかすかな声が2人の耳に入ってきた。
「この声、話し声とかではないようだな」
「どういう内容なのか、聞き逃さないようにしないと」
2人の忍は、屋根裏に耳を当てて真下の部屋の様子を探ることにした。すると、忍たちの耳に入ってきたのは特徴のある男の掛け声である。
「さあさあ! 丁か半か! 丁か半か!」
上半身裸の男が、威勢のいい声でどちらに賭けるかを客らしき連中に催促している。それに応じるように、客の男たちは次々と木札を使って丁と半のいずれかに賭けていった。
この武家屋敷で現に行われているのは、まぎれもなく丁半博打といわれるものである。広い屋敷の一室に設けられた博打場には、何本も立てられたろうそくの火が板敷きの部屋をかすかに照らされている。
そして、常連客から見て盆切れの向かい側にいるのがサイコロを振るツボ振りであり、その周りに並んでいるのが博打を仕切る中盆という男たちの連中である。
これらの男たちに共通するのは、そろいもそろって上半身裸といういで立ちである。表向きは笑みを浮かべていても、彼らは向かい側の客連中を鋭い目つきで見ている。
そして、ツボにサイコロを入れて振るツボ振りを行っているのは、屋敷の表門で門番を務める男である。
「ツボがそろいました」
中盆からの声に、門番の男は右手をツボに置いた。ツボ振りが左手の手のひらをツボの横に臥せると、中盆が再び口を開いた。
「勝負!」
ツボ振りがツボを開くと、そこに現れたサイコロの目は2と6を指していた。
「二六の丁!」
中盆の威勢のいい掛け声による判定に、常連客はため息が広がった。客の男たちは、いずれも半のほうに賭けていたからである。
客が全員負けたので、賭けていた木札は全て中盆側のものになる。すべての木札を回収した中盆の連中はにやけながら怪しげな笑みを浮かべている。
「これほどうまみがあるとはなあ」
「屋敷で大掛かりな博打ができるのも、あのお方のお墨付きをもらっているおかげってものさ」
屋根裏で耳にした2人の忍は、武家屋敷内で博打を行っていることを実証することとなった。
「やはりか……。旗本屋敷で大掛かりな博打場を開くとは」
「あのお方って、まさか主君の梅松正五郎なのか?」
忍たちは、その場で次なる偵察対象を誰にするかを固めていた。




