エピローグ - 2
――トーキョーに着いたのは、同日の午後九時。七時間の時差ボケは、疲労の蓄積していた肉体に追い打ちをかけた。
オーガスタスと別れてまもなく、私は、政府だの公安だの、さらにはアングラの組織だのに囲まれ、調査や取り調べを幾多と受け、新オーサカ行きの新幹線に乗ったのは二週間後のことだった。
私の窶れ具合に見かねたお国の偉い人が、グリーン車を取ってくれたの。もちろん、保護観察下にあったけど。それでも、四年ぶりのマトモな睡眠ってのは、たったの二時間でも至福だった。
《――やっぱり、会いたい。話がしたい》
二〇四四年、十月七日、午後八時。家の戸締りをして、夜のオーサカに出た。
夢想に包まれて、私はこの地に帰ってきた。けれど、目前に広がるウメダの景色は、とてもじゃないけど現実とは思えなかった。まるで四年前と、なにも変わっちゃいない。
広告塔のネオン。行き交うヘッドライト。手の届く雑沓。都市を見下ろす、古びたギョロ目の換気口。
――一番の被害者である――私の整理がつかぬまま、時間は私を置き去りにした。まるで、あの出来事がすべて真っ赤なウソだったかのように、出逢った人がみんな空想に過ぎなかったかのように、その街には日常があった。余韻に浸るわけじゃない。ただ、まるで映画とは思えない「破滅」という真実を知らぬまま、なにも変わらぬ今日が過ぎていってることに、驚きと違和感を隠せなかった。
疲れ切ったサラリーマン。遊びに暮れる若者。金の無心に耽るホームレス。どこからか聞こえる路上ミュージシャンの歌。
よく知らないけど、グレート・フィルターとかいう現象は、確実に起きたことだった。そして、私が囚われいた四年の間にも、世界は着実に終わりへの道を辿っていると、オーガスタスたち組織の人間は、皆、異口同音にしてそう唱えた。
でも、どうだろう。目前にある、時の移ろう夜のオーサカは、なにも変わってない。
私は西に延びる幹線道路を見渡せる、長い高架橋の上に立った。人通りの絶えないなか、独りで、手摺りに腕を寄っかけて。残暑の空気にあたりながら、弱った体で呼吸をする。帰ってきてすぐに切りそろえたボブの髪が、夜風にすこし煽られた。
ここの空気は、ずっと汚い。そんなネガティヴが、懐旧の情を擽って、どうにも心地がよかった。
結局、私はなんのために、ここまで生きたのかな。
ゴールの直前で最悪の出目をだして、なにもかもが振り出しに戻った気分。
紆余曲折を経験して――いや、経験させられて、結局、私は心の疲れ切った、その日暮らしを送る留年生に戻った。端から見れば、私はただの女。
ユーリも、形違えどハル先輩も。私の黝ずみを洗ってくれる存在だった。誰がどう言おうと、確かに、生きていた。その実体がなくなっただけで、こんなにもまた、苦しくなるなんて。まるで私ばっかりが、このちっぽけな体で背伸びをして、届きもしない二人に助けを求めてるみたい。……こんな思いは、地下にいるときはなかったのに。救われないと解っていて救いを求めるほど、仕様のないことはないね。
スマホを点ける。オーガスタスから渡された、新しい機種だ。
20:29――。
そろそろ行かないと。今夜は久々に、人と会うから。
私は商店街を通って、途中のタバコ屋さんでピースのシガーを二箱。留守の間にずいぶん物価高になったようで、二箱買うのに一六〇〇円も取られちゃった。
――三十、三十二、三十六……。
チィンッ――。
へぇ……、こぉれは大層な高層マンションですこと。
私が住んでたトーヨドのアパートとは雲壌月鼈。
さすがに感心して、辺りをよくよく見回しながら、室内の回廊を進んでいく。所々で現れる小洒落た壺にはわけの分からない棒っきれみたいな草が植えられて、道の真ん中には高貴な黒のカーペットが。床に至っては磨かれた大理石ときた。しめやかな照明が頬を照らし、窓の先からはオーサカの夜景を一望できる。
「はっ……」
我知らず、言葉を失った。失笑の一つだけが、この場所の感想だった。
インターホンを軽く押して、しばらく待つ。
ガチャ――。
――最後の目的地。
「四年も音信不通で、ほんっとに心配した」
出されたお茶からは、鼻につく匂いがする。やっぱり、飲む気にはなれなかった。
「連絡くれたの……あの時以来でしょ?」
吊るされた暖色のランプが、ダイニングテーブルに着く二人に微光を落とす。黒檀を基調としたテーブルには、白いカトラリーが敷かれてあった。
「どうして、急に……?」
私の向かいに座る女は、ニタリ、と微笑んだ。悪意のない、悪魔の笑顔。私はできるだけ下を見つめたまま、沈黙を貫いた。
「あ、話す前になんか食べたいよね? なにか作ろっか」
「――お母さん」
「ん?」
「トイレ、借りてもいい?」
席を立ってキッチンに向かう女は、振り向きざまに私を見て、また笑う。
「もちろん」
そういいエプロンをつけるその姿に、暴力の影は微塵もなかった。もはや、その記憶さえもが幻想であったかのようで。私がおかしくなったのかな、なんて、数瞬思考が鈍るけど、それでも、胸中に負った傷が痛みを忘れることはなかった。
洗面所――。
縁のコップにはちゃっかり、二本の歯ブラシ。
鏡に自分を映して、いまのコンディションを確認。ガサついた黒のボブカット、痩せこけた顔つき、怨讐を孕んだ目。うぅん、ブスいったら――。
――かわいい目をしてるね。
…………。
ありがと、ユーリ。
私はジーンズに手を突っ込んで、自分の股座を弄った。お尻の下のほうを触って、金属の感触を感じると、それを目に見えるよう引っ張り上げる。
「トーラス・ジャッジ」
どうやって隠し持ってたのかは――ふふっ、秘密。
――やっちゃえ。
…………。
見てて先輩。アイツに「究極の美」ってのを、教えてやる。
シリンダーを開ける。弾は六発。すべての穴にきっちりと、実包が収まっている。それを押し戻して、もう一度、鏡の自分と顔をあわせた。
『――ニホンはいま、深刻な経済危機に陥っていますが……』
『安全保障問題は……』
『第二次米露冷戦から二年、緊張は高まる一方で――』
扉一枚むこうから、テレビの音が聞こえてきた。女が、生活感を出すためにテレビを点けたんだ。
私はケースから取りだしたシガーを口端に挟んで、ライターに火を灯し、一息に洗面所の扉を開けた。
「イサカ、ごは――ちょっと、ここタバコ、ダメよ?」
「ねぇ、お母さん」
開口。ほわぁ、と、煙が宙を舞う。
「ロシアンルーレットっての、やろうよ――」
チャカッ――。
全弾入りの、特別ルールで。
――バルコニーで風にあたる。
地上何メートルかな。
柵から乗り出した手。右手に摘まんでるのは、真っ赤になったカトラリー。元から赤かったかな? 人差し指と親指を離すと、遠い夜空に消えてった。
夜ご飯、ごちそうさま。
あなたの命を奪うことが、私の心にできた黝ずみを埋めてくれる、唯一のメインディッシュだった。
先輩。私、今度は上手くやれたよ。
しっかり、決着をつけた。
呟いてみても、返事はない。
幻想であってくれと思ったり、思わなかったり。破滅は美学、なんて言うけれど。あぁ、さみしいなぁ……。すべてが壊れゆくなかで、心愛だけが芽生えてる。
リヴォルヴァーを床に放って、二本目のシガーを銜える。
空を舞う風が、すこしだけ冷たくなった。遠くに冬の気配。
……あのバー、まだやってるかな。あそこで、飲みたいな。
まぁ、たまには浸るってのも、悪くないんじゃないかなって思うし。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。




