エピローグ - 1
二〇四四年、九月二十三日。
「グレート・フィルター」から四年後――。
…………。
………………。
……………………。
…………………………。
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カンッ――。
「はぁっ――‼」
………………。
目が、覚める。
ぼんやりと、緑がかった仄暗い天井が、視界一面に映る。むんとした湿気と黴臭い臭いが、起き抜けの私に嫌がらせをした。
虚空に鳴り響く金属音。朝の六時。パブロフの犬。朝ごはんの合図。
私はムクリと体を起こした。
四年、私はこの刑務所のみたいな硬ったいベッドで眠りつづけてる。おかげで腰痛もちになって、毎日おばあさんみたいに「よっこいせ」とか言って起き上がる。六畳くらいの部屋――というか独房――にはライトがないし、やることもないから、幸い睡眠には困らない。でも肩こりがひどくって、肩甲骨をぐいぐいと回す度に、母国の温泉が懐かしく思えた。
食事も質素。カピカピの麦飯かパンに、得体の知れない栄養の塊。牛乳だけは一丁前。それが銀のトレーに載ってくるだけで食欲が失せる。重厚な扉についた小窓から出てきてさ。そんな野良犬みたいに扱われても、碌に食えたもんじゃない……って強気になりたいとこだけど、食べなきゃ人は死にますから。吐き気を催しながら、毎日二食。
だけど、今日は金属音がしてから幾分経っても、食事が出てこない。あのぉ……。
――ガァタンッ。
「うわっ……」
重たい扉が軋みを立てて開くと、廊下の光が私の目を直撃した。まっぶっしっ。
「イサカ」
それから、仁王立ちする男の影が現れて、私のことをすっぽりと覆った。
――汚くて、薄気味わるい廊下。昔の精神病院っぽい雰囲気が漂って怖い。等間隔に並んだLED。寒色で、リミナル。頭の内側から擽られてるような、奇妙な感覚。地下にいるせいで自然光はいっさいなし。ほんっと、閉じ込められる身にもなってほしいよ……。
私は目の前を歩く大柄の男の人についていった。できるだけ離れないように、彼の一歩を私の三歩が追った。
独房を出て、廊下を右に二十メートルほど進む。そうして行き着いたのが、見慣れた個室――尋問室だった。といっても、痛いこととか苦しいことを受けてきたわけじゃない。単純に、あの時のことを、四年に渡ってしつこく問いただされてただけ。
なんてったって、私は「フィルター」とかいう存在を殺した張本人ですから。
信じられる? 私、人を殺したんだよ――。
元は私が死ぬはずだったのに……っていうジョークはあまりに皮肉が効いてるから、心の内でとどめておく。
男は手荒に扉を開けて、私を尋問室のなかへと招き入れる。独白もこのくらいにして、私は素直になかへと入った。
「今日は朝ごはんもダメなんですか?」
要所の傷んだテーブルと、座り心地最悪なパイプ椅子。
テーブルには、小さな黒い円筒が置かれてある。三五〇ミリリットルのペットボトルくらいかな。ペットボトルを長らく見てないから分かんないや。とにかく、それは私がしゃべるのとほぼ同時に、流暢な英語が流れた。同時通訳のできる優秀な翻訳機ってとこかな。
「カツ丼でも出してくれりゃいいのに」
もちろん、私がブツブツ言う文句も、相手にお見通し。
《冗談を言ってる暇はない》
逆も然り。彼の低く大人びた声が、機械的で無機質な女声になって返ってくる。
《ニホン政府から即刻の要請が出た。君は今日づけで本国送還だ》
「へぇ」
驚きはしたけど、特にこれといった感情は湧かなかった。ただただ、フラットにその事実を受け入れる。
それから、男はポリエチレンに包まれた服をテーブルに並べはじめた。無地の白いTシャツとグレーのジャケット、そして、ごくありふれた黒いジーンズ。
《これに着替えろ》
彼が尋問室の外へ出ると、私はその袋を破いて、固いTシャツに腕を通し、窮屈なジーンズを穿いた。最後にジャケットを羽織って、皺を糺す。なんというか、アパレルの宣伝みたいな恰好だけど、囚人服みたいなつなぎで出るよりかはマシだと思った。
「着替えたよ――」
来た道を戻り、今度は廊下を左へ進む。四年も幽閉されてた独房をあっさりと横切って、搬入用のエレベーターに乗り込んだ。
彼がボタンを押すと、ガタガタ軋むエレベーターがのっそりと動き出す。景色もないのに、上昇していく感覚は不思議とつかめた。
「ねぇ、オーガスタスさん」
私は拙い英語で、彼の背中に向かって話しかけた。すると、すこしの間を置いてから、
「なんだ」
と淡泊な返答。私はこの四年間、ずっと言わずに我慢していた質問を、何気なく訊ねてみた。
「ユリウスは、どうなったの?」
小さな電光掲示板に映し出された数字が、どんどん小さくなっていく。彼はまた、すこしの沈黙を守ってから、
「彼は、死んだ」
と言った。
地上に向かって、昇ってく。
「あの、銀髪の女の人は?」
十八、十七、十六――。
「お前には関係のないことだ」
無愛想。
それから、次にエレベーターが止まるまで、会話はひとつもなかった。
――専用のチャーター機。
そんなものに乗る日が来るなんて、まったく思いもしなかったよ。
快適なのはいい。混雑も、リクライニングも気にしなくていい。ここに赤いワインとステーキが出てくれば、もはや気分はブルジョワジー。
ただァ……残念なことに、監視の目がある。向かいの席でずっと、オーガスタスが私を剣幕に見つめている。浅黒い四十代前半のオジサン。がっちりとした体格、割れた顎がゴツゴツして、目は奥まってるけど、実は結構くりっとしてる。坊主、髭も綺麗に剃られてて、清潔感と無骨さのミスマッチ。口数はすくない――もとより、私が英語をそんなにしゃべれないから、会話自体がそれほど成りたたない。それがまた、むず痒い気まずさを生んだ。
そんな彼はスマホを取りだすと、なにやらそれに話しかける。
《あと二時間でニホンだ。だが、忘れるな。君は今後、恒久的にA.D.C.C.D.《我々》の保護観察下にある》
ふーん。
私は彼のスマホを指さして、それを受けとる。
「それは、私がなにしても、アンタたちの権限で守られるってこと?」
半分は冗談。半分は本気。彼は訝し気に顔を顰めた。
《いいか、君はいまや重要参考人ってヤツだ。くれぐれも、調子に乗ってヘマすることがないように》
彼は終始一貫して無愛想だった。それが性分なのか、職業病なのかは、終ぞわからなかった。
私は小さな窓から、どんよりと黒い雲が延々とつづく夜景をぼーっと眺めて、残りの時間を潰した。




