9-8 POV : ギャレット & ハル
仆れたA.D.C.C.D.の長官と、わずかに血に染まり、唖然と立ち尽くす私。
その構図を見て、彼女が、いったい誰が「裏切り者」なのかを判別するのは、至極容易なことである…………いいや違う。違う、ちがうんだ待て!
刹那――。
私は変わりゆくイデスの表情を見て、彼女との記憶が蘇った。
――艶めかしい褐色肌をもつ、小柄な、ただの…………美人。
『こんちは』
私はあっけらかんとしていた。幼気な風格に反して、彼女の身体を這い上がるように彫られた、大きなムカデのタトゥー。言葉の一つも出てきやしない。
『おーぃ』
『あぁ! えっと、こんばんは』
『へんなの――』
――準備が整うと、私はイデスと目を合わせた。よし。
『ドキドキするね』
――はぁ?
彼女の棒読みにも近い、あざとい声。
『うるさい、集中しろ――』
『――あとちょっと。ここで我慢したら、アンタを一生好きでいられる』
んん……、んぁ?
『なんだって……?』
さっきの銃声で耳がやられたか?
『ほら、吊り橋効果ってヤツ――!』
走馬灯――。悲嘆する彼女の影に重なるように、彼女との思い出が眼を過る。彼女と出逢ったあの時のように、世界がスローモーションに見えた。彼女が私の拳銃で、私を狙うことさえも。
『――掻きまわしてる張本人は誰か分かってんの?』
『私には分かったが……お前は知らなくていい』
そういうとイデスはこちらを向き、見せつけるようにムッとふくれっ面をつくった――
あぁ、そうか。あの時、伝えていれば。
カシウスが裏切り者だと。
愛している、と、言っていれば……。
獅子は慈悲を与えず。
時空が歪んで遅く感じるというのに、彼女はもう、銃口をこちらに向けている。けれど、私には抵抗の意思が、どうしても芽生えなかった。ハンマーが起き上がる頃にはもう、仕様のない諦念が私を優しく包み込んでいた。
これが、私の然るべき死――?
「あんった――……‼」
こんな死に方、うつくし……――
――みんな、この世が終わることを知らないのね
――あなたのさよならが、すべてを終わらせたの
※※※
チッ、チッ――。
チッ、チッ――。
1:53 PM――。
熱力学第二法則。聞き慣れた言葉でいうと、エントロピー増大の法則。
「宇宙は、秩序から無秩序へと変容していく」
この絶対的な法則は、最終的には万物が終わり――つまり「無」に帰すことを意味している。難しいことを置いておいても、「物事には終わりがある」ってなことは、よく分かるでしょ?
しかし、それでも、人は見てみぬフリをする。
性懲りもなく存続に縋ろうとしつづける。人間がこの世で生き残りたいというエゴを振り撒いて、血眼になって生き延びる術を探っている。
それは「生」の持つ本来の輝きを存分に顕現しているのかもしれないけれど、一方ではただの傲慢。引き際を知らない、愚行と言えるかもしれない。
終わりは避けられない。ままごとが終わったら、おもちゃは片づけないといけない。長いか、短いか。それは事象のそれぞれによって千差万別。星が生まれ、細胞が発達し、生物が棲みつくのと同様に、生物は死に、細胞は枯れ、星は燃え尽きる。そのサイクルが四十六億年も続いたのなら、大往生といっていい。
怖い? 逃げたい?
どこまで、逃げよっか。
地球を出て、月か、火星とか?
残念だけど、この雄大な宇宙でさえもがいずれは虚空に還る。なんならある日突然、パッと、セーブデータが消えるみたいに終わっちゃうかもしんないよ?
それでも終わりを避けたいというのなら、それは終わり――つまり「死」を覚悟できない、ただの軟弱者を意味する。
それに、どうせ終わりがくると解っているのなら、より綺麗な終わり方をしたいと思うのが、当然だと思うけど――
「それでも、止めたい?」
アンヘル、それとも、アセシノ?
どちらとみても相応な出でたちの青年。私を執拗に追いつづけた、傲慢で諦めの悪い人間。私はしつこい男、嫌いだなぁ。
「それでも、止めるよ。まだ、いまが終末ではないと思うからね、ハル」
ふーん、そ。
「ユリウス。イサカは、どうしたの」
その質問に、拳銃をがっしりと構えた彼はなんの躊躇もなく、
「殺した」
と。淡々とした一言に私は失笑した。鼻で嗤った。へぇ、けっこう容赦ないんだね。
「あの子には悪いけど、背に腹は代えられないから」
「大義を背負っても、いいことないと思うけど」
「最低でも、私が老いて死ぬまでの時間は確保できる」
傲慢。
「失敗したときのその絶望を、彼女には味わってほしくなかった」
身勝手。
これだから、知性というのは厄介なんだよ。
「そっかー。あの子、懐いてて可愛かったのに。スイッチは?」
「ここにある」
彼は私によく見えるよう、左手を掲げた。そこには、イサカに託したはずの起爆スイッチがあったが、小刻みに震えていた。それは、彼の肉体が緊張と興奮に委ねられていることをよく示していた。
「これを押せば、どうなったんだい?」
「お偉いさんの乗った車列が、どーんって」
七階――。
コラボレーター――とか言われてるヤツ――に任せて、敵はすべて薙ぎ払った。それでも残った者は、仕方ないけど殺した。目の前にいる、ユリウスを除いて。
オーケストラを鑑賞できそうなほど広大なホールには、ドーナツみたいに円を描いたテーブルがある。ミッドセンチュリー、直径六メートルほどの大きな円だ。席は三、四十くらい。小さなマイクスタンドからペットボトルまでが、均一の距離を保って配置されている。外界の環境音は遮断され、部屋はいっそう静かだった。もし今日がなんともない、ごく普通の調印式であったなら、いまごろは国の代表がぞろぞろと席に着いていたんだろうね。
でも、私はそれを阻止しないといけない。
「死ねない」という悪夢の連鎖を、絶ち切らないといけないから。
死ぬ、ってのが怖いことだと、何世代もの生命に埋め込まれたDNAが語り継いできた。けれど、それと同じくらい、死ねないことも、怖いんだ。
藻掻くことも、苦しむこともなくなって、ただ、ヴォイドの中で彷徨いつづける。滄浪の廃人になっても息をつづけることは、一息に死ぬことよりも恐ろしい。だから、
「私は然るべき死を、然るべき時に持ってきただけなの。分かる?」
私が調印を阻止して、あたかも政治的――頭のキレる人は、こーゆーの好きでしょ?――な謀殺を実行すれば、あとは流れるように終わりへと向かう。
「これ以上は、ただ死ねない苦しみを抱えて生きつづけることになる」
社会の束縛。太陽の膨張。抑えられない探求と戦争。神でさえも目を逸らすような醜い終わり方を、してほしくないだけ。
「悲しみを理解したのなら、その理解にふさわしい、美しい死に方を、ね?」
私は笑った。嘲りとともに、同調を誘う微笑を零した。
「どうしてあなたは、そこまで達観しているんだい?」
ふふっ、面白いことを言う。
「どうしだろね」
「それじゃァ、まるで自分が神であると言わんばかりだ」
「生憎、無神論者でね」
私は彼の質問をはぐらかす傍ら、スマホを点けた。まったく、せっかくの技術を無駄に使ってさ。
1:57 PM――。
タイマーは残り三分を示した。




