8-3 POV : イサカ
私はハル先輩の背中を、ひたすらに追いつづけた。オーサカ駅を過ぎてくぐり、迷宮の地下道をあちこちと彷徨う。私はこれからどこへ向かうのかさっぱり分かってないけれど、先輩の足に迷いはなかった。
二〇四〇年、三月十五日、木曜日――。
昼時の、なんの変哲もない一日。
メトロ、アパレル、雑貨、レストラン、なんでも揃うアンダーグラウンドを先輩は堂々と闊歩し、私はたどたどしい足取りで必死に追う。トテトテと、連日酷使した両足はもう疲れ切っていた。
目的も、理由も分からない。だっていまの私は、彼女にリードを掴まれた、ただのドールだから。疑念もあったけど、抵抗の意思はなかった。
それなりの人混み。カップルから、サラリーマンから、家族連れまで。この世のなにもかもを知らない人たちが、それぞれの今日を生きている。きっと、朝ごはんを食べて、昼ごはんを食べて、働くか遊ぶかして、夜ごはんを食べて、眠りにつく。無意識に培われたルーティン、軟弱なホメオスタシス。
…………可哀想に。
そう思う義理はないはずだけど、心のどこか奥底で、哀れむ気持ちがあることは確かだった。同時に、すこしだけざまぁ、とも思ったりして。
どうせ、みんな死ぬのに――。
「そうそう、それだよ」
先輩がそろりと振り向いて、含みのある鋭い笑みを零した。どうやら私の感情までもが、先輩の手綱に繋がってるみたい。
「ほら、ニヒリズム? ってやつ」
身長百七十センチ。私よりも十センチくらい高い。ピアスがギラギラと垣間見えて、こればっかりは、どこまでいっても憧れだった。
先輩が後ろに腕を伸ばし、ひょいひょいと手招きする。私は意図を汲みとって、その手と繋ながった。掴まれた手に、強い束縛を感じた。
蜿蜒と地中を這う地下道――三バンガイを南へとつき進むと、気づけば地上、次第に小さな横断歩道に出る。排ガス臭くて暗い高架下、冬に求める「暖かさ」とは違う、CO²の生温かさを風とともに感じる。そのすぐ目の前に到達すると、先輩がすぐに異変を嗅ぎつけた。
「ふぅん……」
先輩が立ち止まって、手を繋ぐ私もそれにつられる。どうやら、通りの右手が騒々しい。
都市を激震しるサイレン。不穏の風が頬を過る。
――ダタァァンッッ!
ほらね。
「始まったなー」
私も先輩も、それが地上に響いた銃声だと分かっていながら、それに驚くことなく、騒乱の始まりを予感する。
「キャアアアァアアァァアッッッツツ――‼」
銃声のあと、すぐに甲高い悲鳴が無数に広まった。交差点にいた人々は虫けらのように散らばり、混沌は一点から波紋を描くように伝染していく。
「急ぐよ」
先輩は通りを峻険に睨みつけ、私の手首をガッチリと掴んで、信号を駆け足で渡り切る。そして人気の少ない建物の路地裏へと逃げこんだ。
「先輩……」
「んー」
「どこに、向かってるんですか」
「秘密。あとでちゃーんと説明するから」
そうやってはぐらかす……。私は先輩の後ろ姿を、無心で見つめた。憧れは、ずっと変わらない。たとえ、その存在が歪んでいたとしても。私を「私」として扱ってくれるのは先輩だけ。だから、いったい彼女が何者で、これからなにをするのか分からなくても、ついていくことを止めない。そうして悪名を轟かせて、私は死ぬ。それでいいんだ。それが私という存在に書きこまれた人生。最初っから決められていたって思うと、このまま流れるように残りを生きていいと思えた。どうせ存在も、不名誉も、生き様も。全部ぜんぶが、銀河に散らばる星々のほんの欠片にもなれない、ちっぽけな出来事だ。
あぁ、好き。
好き……?
大好き……?
先輩の手から伝わる熱を感じるだけで、すべてを手にしたような気がして。
「私も、イサカを大事に思ってるよ」
バスターミナル。私たちは人の荒波に逆らって、悲鳴とサイレンの中を進んでいく。
なにも得られなくても、偉大なことを成し遂げられなくても、私はいま、たしかにハル先輩といる。この一瞬の実存的な意義が、私の生血に活力を与えていた。
バスターミナルを右に進むと、開けた大きな丁字路に出る。向かいには巨大な家電量販店。人通りが盛んで、その分、いまは大いに荒れていた。
「キャアァァァアァ!」
「逃げろォっ‼」
着飾った都会人が、堰を切ったように慌てて逃げていく。その様が、なんとも無様で、無様で。皆、いざとなったら弱さを曝け出して、我先にと逃避する。結局、最後に勝つのは力だもんね?
あちゃあ……思ってもないことを――。どうしてだろう?
おかしくなっちゃったのかな……。あぁ、きっと、おかしくなっちゃったんだ。
頭のなかの構造を、きっと先輩に乗っ取られたんだ。
「へぇ、私のせいにすんの?」
先輩は隣でいたずらに微笑んだ。
……綺麗。
私が出逢って、駄弁って、愛した、いつも通りの先輩。どこか掴みどころのなくて、落ち着いていて、ベースが得意だって噂される、高嶺の花の先輩。プリンみたいな髪、奥の深い黒色の瞳。私がちっぽけに見えるほど、オトナの雰囲気をまとうひと。
二人立ち止まり、逃げ惑う群衆を眺める。ははっ、ざまぁみろ。
二人見つめ合い、手をもう一度、強く握りあう。あぁ……。
恋情が溢れて、胸がぎゅう、と苦しくなっ――
「死ねハル」
――ッパアァンッ。




