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グレイト・フィルター  作者: 春麗 狄 ت
第一章 ー ヤバいヤツ ー
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1-3 POV : イサカ

 なーんやかんやで、もぅだんだんと呂律と頭が回らなくなってきて。自分の体は茹蛸になるくらい火照って、眠気と頭痛もひどくなってきた。

 焦点の合わないぐわんんぐわんの目で、高くかけられた時計に目をやる。あー、よく見えない。

 そうして、ぎゅっと目を窄めた。

「あぁ……」

「もう、一時半だよ」

 左耳に囁き。ゾッワ――。

「なに!?」

 左半身の毛がぜんぶ逆立ちして、フラついたまま振りむく。自重を保つことができなくて、そのまま視界を慌ただしくカウンターチェアからずっこけ落ちた。

 ドタッ――、ガッチャン――‼

「いぃっで――‼」

 背中を地面に打ちつけてしまったものだから、振動が背骨に響いた。痛(い)ったぁ…………。

 隣の席から聞こえる、クスクスと笑いをこらえる声。

「ふふっ、間抜けだねぇ」

「ちょっと、大丈夫ですか?」

 バイトの青年、私がこけたってのに、自分の身に起きたみたいに間抜けた声で心配する。

「大丈夫だいじょうぶ。この子、いっつもこんな感じだからさ」

 ……。

 …………。

 …………は?

「お連れ様ですか?」

 その問いに、知らない女が慣れたような口ぶりで答えた。

「そうそう。私がなんとかするからさ、気にしないで」

 いや待って、お連れ様とかいないけど。……あれ、いや、いたっけ。あぁ、分からん。

「お水一杯もらえます?」

「かしこまりました」

 転げ落ちた私を他所に、女は淡々とウェイターを使わす。その間、ジンジンと痺れる感覚が、少しずつ私の乱酔を冷ましていった。

「うぅ……あ……」

「起き上がれそう?」

 バグったレンズみたいに霞む視界の先に、カウンターでくつろぐ女の姿。余裕のある黒いチノパン。長い足を組んで、その片方をフラフラと遊ばせている。なにかとはっきりしないけど、頬肘をつきながら、微笑ましく私を見下しているということは分かった。

「お水もらってるからね」

「あの、見てないで手伝ってもらえます……?」

 その微笑みがちょっとばかりに癪に障るから、意地悪な言葉を返すと、

「君、横柄だね」

 なんてホザく。大体、アンタのせいだし、そもそもアンタだれって話……。

 言葉にならない文句をブツブツ猝嗟しながら、辛うじて上体を起こす。すると、それに合わせて女がチェアから降りて、屈んでから手を伸ばしてくれた。

「ほら」

 あ、ありがと……っとその手を借りようと腕を伸ばすと、すれ違うように彼女が手を引いた。

「ちょおっ――!?」

 まだ自重の定まらない私はまたもやバランスを崩して、今度は顔面から倒れ込む。ズテンッ――!

「すごい、マンガみたい」

 女は優しく笑って、それがまた癪に障る。なにコイツ……?

「アンタ……なに?」

 あぁー、絶対、ぜったい鼻折れた。

「人生ってのは、紆余曲折あってこそだからね」

「アンタぶん殴っていい!?」

 私が勢いよく立ち上がって拳を突きつけると、女は驚いてぐっと身を引いた。両手をちまっと上げて、まるで「なにもしてませんけど?」と言わんばかりに涼しい顔をして目を逸らす。コイッツ……。

「おぉお客様。他のお客様のご迷惑となる行為はお止めください」

 挙句の果てには店長みたいな中年のおっさんが出てきて、これじゃまるで私が悪いみたいじゃん!

「まぁまぁ落ち着いて。とりあえず、お水飲も?」

 グラスに満たされた水を差しだして、彼女は私を見つめる。私ももうシラフになってきて、そのぶん羞恥と苛立ちが増してきた。

「ごめんごめん、揶揄いすぎた。ほら」

 また手ぇ引っ込めんじゃないの? なぁんて思ったから、警戒心をピリピリにして、ピシャっとグラスを奪い取った。それから水を一息に飲み干して、カウンターにカンッ! と叩きつける。

「あ、り、が、と、う!」

 皮肉たっぷりに感謝してやる。次いらないことしたらマジでぶっ飛ばすから。

「ほんとごめんって。ほら、座ってよ」

 私の怒りもあって、女はたしかに、誠意を込めて謝った。ただ、そこには余裕が含まれていたけど。

 まぁまぁと宥められて、しぶしぶ私も席に着く。


 ――それからしばらく、店内が穏やかな空気になるまで五分くらい。

 静寂の間を置いて、女が話を切り出した。

「結構、お酒を飲んでたみたいだけど」

 女は、視線を泳がす私の横顔をずっと見ている。

「そうだよ。もう浴びてた」

「へぇ。まだ若そうなのに、随分と自分に乱暴なんだね」

 妙に耳心地の良い旋律(こえ)。低くて、大人びてて、なんだかちょっといやらしかった。

 私は肚の内で怒りを抱えながら、女の話に素っ気なく答える。

「別にいいの」

 遅すぎたチェイサー。温かい緑茶を啜りながら、顔を湯気に曇らせる。

「ねぇ、お姉さん」

「……なに」

 女が私を呼んで、私は彼女を横目に捉える。

 メープルシロップみたいな甘い色の明かり。BGMはシナトラの美声。女はその雰囲気にうまく溶け込んで、危うくその魅力に惹き込まれそうになった。

 翡翠色の切れ長の目が、私を掴んで離さない。


 ――君、死にたいね?



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