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グレイト・フィルター  作者: 春麗 狄 ت
第七章 ー セイヴ、ミィ! / Coming 4 U ー
38/58

7-5 POV : イサカ


 雨が弱まる頃。

 果たしていったい、どこまで走って来たのか。

 歩みを緩めてから、私はようやく息を切らしていることに気がついた。はぁ、はぁっ……。

 陽が落ちて、暗くなっていくオフィス街。街燈に照らされる霧雨はずっと静かだった。赤信号、立ち止まる。

 もう、なにがなんだか。ウーウーとサイレンを鳴らすパトカーが数台、家のほうへと疾走する。きっと始末をつけにいくんだ。現場にいた私は、どうなるのかな。バレて捕まるのかな。あぁ、ほんっとにもう、私の人生めちゃくちゃだよ。母親(アイツ)とか、父親(アイツ)とか、義母(アイツ)とか、ユーリ(アイツ)のせいで!

 ただでさえこんな窮屈な社会で息詰まってたってのに、もう生きる術をなくしちゃったみたい。まぁ、社不が一人死んだところで、誰も気にも留めないだろうけど。

 誰にも忘れられて、まるで最初からいなかったみたいに、塵になって消えるんだ。

 私が生きた証なんて、なに一つない。

 ――それが、怖かった。死ぬのが怖い。でも、それ以上に「孤独」になって消えていくのが、もっと怖いんだ。

 ハリウッド抜擢も、武道館満員も。そんなバカげた夢だって、ぜんぶ忘れられたくなかったから。……いやだなぁ。誰も私を覚えてないなんて。そんな寂しいこと、あるかな。あぁー、せめて……先輩くらいは……。


 ――ピロン。


 ポケットで鳴った、一件のメッセージ。

 無気力なまま、手を突っこむ。お母さん、いままでお世話になり――………………。

 信号が青になった。


 ――駅へ駆け込み、夜の電車に揺られながら、都会へと繰り出す。ガタンガタン、ゴトン。靴も履かずに裸足で電車に乗るなんて、なんだかいけないことしてるみたい。周囲の視線が痛いけど、いまの私は鉄壁だから。どう思われようが知ったこっちゃない。興奮と失望の錯乱。いつもタバコを挟む右手が、小刻みに震えてる。風邪を引いたときみたいに思考が鈍ってるけど、どうにか生きてることだけは実感してる。

 私の最後の希望。

 ささやかな希望。

 ガラス片の希望。

『ご乗車ありがとうございました。オーサカ、オーサカです』

 ホームドアが開いて、わんさか人が放たれる。私もその波に乗って、身軽に電車を飛び出した。

 人間濾過装置、改札。集束し、解き放たれる。私もそれに混じり、駅を出て、正面のベンチを目指す。あぁー、ちょっと座ろ。

 ほどなくして、足がジワジワと痛みを伴ってくる。

 ――ピロン。

《いまどの辺?》

 改札の前です、っと。

 …………。

《りょかい。そっち向かう》

 …………。

 早く、会いたい。

 …………。

《もーすぐ着くっての》

 早く…………。早く、ねぇ、はやく。

「――はいはいおまたせ」

 私はぶわっと顔を上げた。あぁ、よかった……、来てくれた。

 カーキ色のカーゴパンツ、厚手の白いパーカー。美貌を隠すように深く被ったキャップ。気だるげなオーラも、人を寄せつけないピアスの数も、どれもこれもが魅力で、私にとっての安心材料(ブランケット)。

「え、裸足じゃん」

 目を丸くして驚くハル先輩。私はそれに返事することなく、すかさず先輩の胸へと飛び込んだ。頭がどうこうはたらく前に、体がさきに先輩を求めていた。人の温もりを――大好きな先輩の体温を、この死にかけた肌が熱望してたの。私の腕は先輩をぐるりと囲み、背中でがっちりドッキング。ちょっと痛いかもだけど、我慢して?

 心臓の音。生きている音。

 トクトクトク――。

 先輩の奥底で、わずかに生きてる鼓動を感じる。あぁ、まだ、生きてる。

「なになに」

 抱きついた瞬間、先輩は体を硬直させたけど、それでいて私を突っ放すことはなかった。苦笑を一つ、それからそっと、私の頭に手を置く。

「どしたの」

 えっと――。

「たすけて」

 雨粒と雨雫。

「ん――?」

 先輩の服に染みを描く。ああぁ、ううぅっ……。

「けて……」

 ダメだ……。これまでの強がりが、もう利かないや。

 目頭がぐっと熱くなって、下瞼からポロポロと。持ち堪えられない。足も崩れそうになって、ふわっと、力が抜ける。おねがい、助けて。私を、たすけて。

「いいよ」

 雑沓。行き交う人。光(ネオン)の包容。喧噪、鼓動、エコー。

 広大な都会(世界)の中で。いまの私には、抱き締めたハル先輩だけがすべて。この存在(ひと)だけが、私を現実(世界)に引き留める唯一の鎖。

「おいで。シャワー貸したげるから」

「……はい」

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