7-2 POV : イサカ
午後三時半――。
ブァァッっと飛沫を上げながら往来する車たち。曇天はさらにどんよりと黒くなって、アスファルトを打つ雨の量もいささか増していった。昼下がりとは思えない暗さで、カフェのなかの明かりがガラス窓によく反射している。
「……久しぶり」
私は窓を見ていた。雨の日の窓って、なんか情緒的でいいよね。
「どう、元気に、してた?」
ガラスに枝垂れる雫の花――みたいな。うーん、あんま文学センスはなさそう。やめだな。
「ごめんね。長いこと顔も合わせられなくて。何度か会おうとは思ってたんだけど」
………………。
「ねぇ? ……イサカ」
「っせぇよ」
頬肘をついたまま。目線の先にはネオンの光。ガラスに映る私の顔ったら、どうにも峻険を極めてる。目が綺麗だってユーリに褒めてもらったのに、その瞳も腫れぼったくなったみたいに睨みを利かせてる。
無意識に、生理的に、私は目の前にいるアマを受けつけられなかった。そういうプログラミングが施されてるかのように、首をまっすぐと向けられない。
「ほんと、ごめんね。辛い思い、させちゃったよね」
なんの誠意も、慰めも感じられない。ただのテンプレート、言葉のレプリカ。だから私はずっと、口を塞いで聞く耳をもたない。ふてくされじゃない。これで当然。
それでも、このスケ――母は、頑なに会話をしたがらない私を無視して、呑気にベラベラとしゃべりつづける。昔ならイライラしてヒステリー起こしてたろうに、ちょっとはメンタルが鍛えられたな。
「その、ちゃんと、食べてる?」
へぇ。いまになって母親ヅラですか。すごいね、ほんと。
「用ないなら帰る」
小さなカップに収まったホットコーヒー。コイツが注文したってだけで、嗚咽がでそう。コーヒーに罪はないけど、プライドのせいか、一口もつける気にならない。帰ろ。
「待って! ちゃんと、話があるの」
変に弱った声をして、母は立ちあがる私を引き留めた。このまま帰ってもよかったけど、せっかく会ったんだし……どうせなら、恨みつらみぜんぶ言ってやろうか。
「社交辞令なんていらないから、さっさと要件いえよ」
ダメね。お口の行儀がなってない。それとも、カンサイの色に染まってきた証拠かな? お母様ったら、私がこんな育ちになってるとは思いもしなかったのか、ちょっぴり萎縮したご様子。はっ、アホらし。
――私はドスっと、股を広げて尊大に席へとつきなおした。なんの話かは知ったこっちゃないけど、とにかく暴言吐いてスッキリしたら帰る。
「その、ね……」
「早く言えよ。私だって暇じゃないの」
心なしか、自分の声が聞いたこともないくらいの低さになった。まるで借金の取り立てをするヤーさんみたいな。私が高圧的な態度に出ると、母は一息、呼吸を整えてから、ゆっくりと開口する。
「イサカを、いまのお義母さんから、引き取ろうと思って」
…………。
ザァァァァァ――。
私は母をみた。驚きと衝撃を含んだ眼差しで、変わり果てた母の姿を睨んだ。以前よりも濃くなった化粧。潤いに浸る茶色の双眸。妙に艶めく白い肌。着込んだセーターは生地のよさが目立つ。鈍感な私でもわかる。間違いなく、男ができたんだ。
「なんで引き取るの」
どうせコイツんとこに戻るつもりはないけど、一応。
「そのね……私、新しいお父さんができて、いいトコに勤めてる人でね? すごく優しい人なの。それでぜひ、イサカもお家にお迎えしたいって」
「へへ」なんて、幸せそうに笑いながら。思わずどうしたの? って訊きたくなるくらい、母の口調は軽やかだった。え、私は悪い夢でもみてんの? そんなに楽しい会話じゃないはずだけど。
「それに、その……ね? これまで、お義母さんがそういう仕事の人だって知らなくって……」
…………は?
凍てつくような悪寒が走る。追うようにして、全身が火照っていくのを感じた。怒りの滲む気味のわるい汗が、じわじわと背中を流れる。
「え、それマジで言ってる?」
「え、ええ……」
ひ弱な顔して小動物みたいにちんまりしてりゃ許されるとでも思ってんのか、コイツは。無茶苦茶にもほどがある。
「冗談よしてよ。そんなこと初めっから分かっててアイツんとこにやったんでしょ? しかも太客まみれの依存症ってことまで知っててさ!」
インディペンデント・エスコート。高級路線のウリ。毎日ヤり狂ってるあのクソアマ。
「まさか。本当に知らなくって、つい最近――」
いい訳なんて聞きたかない。ここまで白々しい嘘を、しかも堂々と子どもに言えるなんて、もはや感心しちゃうね。
「アンタは覚えてないだろうけど、私はハッキリ覚えてんの。アンタがあのアバズレを紹介した時、『一人分の生活能力しかない』って言ったの!」
頭に血がのぼって、沸騰しそうになるくらい、頭のなかから爪先までが嚇怒に満ち溢れる。自分の親をこんなに惨めで価値のないクズだって思えるのがおかしくておかしくて。怒りも度を越すと笑いに変わるもんなんだね。
「それで? 男とカネができたら、今度は母親ヅラしてのこのこ戻ってくんだ? アッタマおかしいんじゃないの!?」
なんだなんだ、とヤジの声。いまの私にはどうだっていい。よっぽど、ソーサーに載るティースプーンで首を刺してやろうかと思うくらい!
「それは悪かったって思ってる! でも、カウンセリングにも通ってるし、いまなら、イサカをちゃんと幸せにできると思って――」
「そんなこと聞きたかねぇっての! ボケ‼」
訾る言葉のマシンガン。脳の思考を介さない罵詈雑言が湿気たカフェの中を滔々とながれる。雨音とヤジの声も次第におおきくなっていった。
「まだあのクソアマのほうが、カネよこして、暴力振るわないだけマシだよ!」
「でもっ……」
「そうだね! たしかに、穢い金だけホイホイ置かれて独りで生活するのも、そりゃ楽じゃないけどね!」
「ちょっ――」
「今回だってなんかウラがあんでしょ!? バカみたい。どうせお前だって死ぬってのに、目先の儲けにばっか気ぃとられてさ!」
「そんな……」
「殴ってみろよ! ほら、昔みたいにさぁ‼」
母は狼狽えた。ぎゅっと萎縮して、昔みたいに突っかかってこない。必死に唇を噛んで、眉間に皺をよせ、私の怒りに耐えている。
でもね、いまがそうだからって、自分の犯した罪が赦されるわけないでしょ、んん?
「死ね」
心の底から、そう願った。本当に誰よりも死んでほしかった。――いま、気づいた。この思いが、コイツに送るこの言葉こそが、私に棲みつく黝ずんだ穴を埋めてくれる唯一の解えだった。母親がいなくなればいいんだ。ずっとヘラヘラして、「良い人」って化けの皮かぶってるお前が一番、嫌いだ。迷惑だ。
――怨讐。
いつか私の手で、コイツを殺してやる。
窓が割れるくらいの大声なんて出すことがなかったもんだから、呼吸が浅くなって頭が痛い。うぅっ。
「お願い、ちゃんと話を――!」
あぁー、クラクラする。
衝動的に席を立って、ふらふらと。椅子の背に手をついて、覚束ない足取りで店の玄関へと牛歩する。野次馬の冷たい視線と耳障りな小言を脇に、入口のドアを押しあけた。コーヒーは一滴も飲まなかった。




