5-6 POV : イサカ
――ブラウン管の向こう側、カッコつけた騎兵隊が――
哀愁のあるブルーハーツ。ギターの音色が店内を優しく包みこみ、ヴォーカルの声が子守唄のように心地よかった。
「私のお義母さん、セックス依存症でさ」
話題はそんな、しょうもない、バカげた話。聞いて呆れるような、つまらないもの。
「そうなんだ。義理のお母さん、なんだよね」
「そう」
それでも、彼女――ユリウスは、親身に耳を傾けてくれた。
店に入って二十分。ついぞ誰にも話したことのない、いわゆる身の上話というものを、私は人生で初めて、彼女に話している。どういうわけか、最初は私がユリウスに対して、いつ家を出てくのかとか、出身地はどこなのかとか、これまでの来歴とかを訊いていたのに、ユリウスは振る話のすべてをはぐらかした。どちらかというと韜晦している風で、そうしてまた、巧みな誘導をされて、気づけば私ばかりがしゃべってる。
なんだかバカみたいなのに、それでも、やめようとは思えなかった。だって、いままで誰も、こんな腫れ物に触るような話を聞いてくれたことがなかったから。話を聞いてくれる人がいるだけで、口が調子に乗ってしゃべり続けた。
「オヤジは小さい時にほかの女を四人誑しこんで、お母さんは、表向きはいい人ぶってたけど、ヒステリックで暴力振るう人だったから……そんなこんなで引き取られたの」
見慣れたカクテルグラスをくるくると小刻みに回して、スライスしたオレンジをツンと指で押す。グラスの縁に宿る温かな光は、私の視線をぼぅ、と奪った。
その光と重なるように映る、虐待の日々。嫌なこと、苦しいことばっかりが脳の皺にこびりついて、黴になり、記憶のなかに摺り込まれている。痛み、悶え。私のなにが悪いのかも理解できないまま、私は抗えない暴力に耐えつづけた。あぁ、胸糞わるい。
本当は、親の話はしたくないし、できれば思い出したくもない。理由は言うまでもないけど、二人のマヌケ面が朧気に脳裏で踊るからって感じ。普通の顔が変顔みたいで、お面のように気味の悪い、ニスで固めたような笑顔を浮かべて、私の頭のなかで追いかけっこするの。気持ち悪いでしょ?
「義理のお母さんとは、どうやって?」
「お母さんの紹介」
そういって、オレンジ色のクロンダイクを一息に喉へ落としこむ。
私が義母に引き取られたのは小学六年のときで、義母は母の高校時代の同期だった。あの時のことはいまでも判然と覚えている。あのババァ、幼い私に向かって、なんて言ったと思う?
「アイツ、なっさけない声で『一人分の生活能力しかなくてェ』ってさ」
これには、さすがのユリウスも面食らった顔をした。
「お母さん、が?」
「そうだよ。しかもあのアマ、お義母さんが高級ソープのウリだって知ってて引き取らせたの。バカでしょ? マジで」
太客を抱えこむ義母は金をたんまりと稼いでいたから、お母さんは泣き寝入りといわんばかりに里親を頼み込んだのだ。その理由に「私が可愛そうで……」とかいう同情はない。自分の子どもを殺してニュースに載るのが怖かったんだ。あの取ってつけたような薄笑い、私を邪魔者におもう下卑た本心が隠しきれてなかったもん。
「お義母さんは子どもを欲しがってたから、ほんとのお母さんと比べるとたしかに優しかったよ。でもさ……」
と言ってすぐに、私は吐き気を催した。おぇっ……。
我知らず眉間に峻崕をつくって、つっかえた異物感をなんとか呑みこむ。あぁー気持ちわる……。
「私が中学のときだよ。家に帰ったらさ、お義母さん、玄関で知らない男とヤってんの…………週四で」
「え……?」
はぁ、バッカバカしい。
「もういい忘れて」
いよいよアホらしくなってきた。もういい。この話おわり。それより酒、酒。カクテルもう三杯。
「ごめん、深入りしすぎたね」
別に。私がすき勝手しゃべってただけだし……。
「奢ってくれんなら許す」
「はは、こればっかりは……」
ユリウスはバツの悪そうに頬を緩めた。
きっとこうしている間にも、オヤジは女を誑かして、母は悠々自適に一人暮らし。お義母さんは誰彼なしにセックスばっかやってんだろう。私が心の内で苦悩を抱えている間にも、それを貶して蜜にしてるヤツがいるんだ。私の前では大人を気取ってさ。
そうやって、他人行儀だけがどんどん上手くなって、肚の内じゃ恨み妬みの応酬。自分の風格と尊厳を守るのに必死で、そのエゴは見え透いてる。だから、私は人を信用できない。人を信用しない。
「それは、悲しいよ」
BGMがサビを過ぎて、ギターソロに入った。まろやかなギターの音が耳に心地よくて、その旋律にのったユリウスの声も、一段と優しかった。
「イサカ」
「……なにさ」
「私たち、まだ会って、たったの二日だよね」
えそうじゃん。私たち、まだ会って二日じゃん。
「これから、なにしよっか」
は……? と言いたいとこだけど、それは心のなかに閉じ込めておくことにした。どこか、彼女なりの優しさを感じ取ったから。
「うーん。別になんでもいいよ」
「私と一緒には、いてくれる?」
「毎日奢ってくれんならね」
「ひどいなぁ」
頬肘をついたユリウスが、くすっと苦笑してみせる。いつもはけっこうシャープな目つきなのに、いまは目尻をなだらかにして、長い睫毛をぱちくりさせて。端正な顔に浮かべる微笑みは夕暮れに似合いそうだった。そして、そんな柔らかな優しさを作れる彼女を、少しだけ羨ましく思った。
「……ちゃんと、生きてみたいよ」
酔いに肖り。面と向かって言う勇気なんてないから、正面にある、酒瓶がズラリと並んだ棚に視線を移して、そう呟いた。赤や緑や黄色やら。夜景のネオンみたいな、酒瓶たち。
「これまでの苦痛を忘れられるくらい、幸せに生きてみたい。誰かと買い物して、遊びに行って、家に帰ったら二人分の生活が散らかってる……そんなの」
ダメだ。それほど酔ってないはずなのに、顔がじわっと熱くなる。
「私が、その手助けをしたいな」
…………へぇ。
「出会って二日の、二〇〇円をケチるアンタが?」
「それとこれとは話がべつー」
ようやく、彼女を瞥見する。
このバカヤローはどこまでも眼差しが純粋だ。もはや気分が爽快になるくらい、嘘が見えない。よほど本性を隠すのが得意なのか、それとも本当にバカなのか、はたまた本当に宇宙人……なのか。
「ユリウスってさ、免許とか持ってんの?」
「免許もバイクも持ってるよ。ほら、カワサキの」
へぇ、意外。
「じゃあ、どっか連れてって」
今度でいいから、とつけ足して。ウェイターが持ってきた、白いおちょこと徳利に、震える手をかけた。
「あっちぃっ!」
「まーたやらかして」
そういいながら彼女はさっと、手元にあったおしぼりを差し出してくれて、それに指を押しつけて冷やす。ジーンと波打つ痛みが、いまここにいる現実をよく味わわせてくれた。ほんっとに、もぅ……。
「アンタなら、いい母親になれるかもね」
ちょっとだけ赤くなった人差し指。長くて綺麗なのが自慢。ヒリヒリ。
「は、母親……?」
困惑。ユリウスはいままでに見せたことのない、困った表情を浮かべた。眉をへにょ、と歪めて、小首を傾げて。あー、さすがに言うべきじゃなかったかな。
「ごめん。お姉ちゃん、くらいか」
「え、いやその……」
あ、そもそも距離感ちがった……?
「私、男だよ?」
……。
…………。
………………。
……あ、彼女じゃなくて、彼……?
あぇ、あぁ…………ふーん。
へぇ……。
……………………。
「えはあああぁぁぁぁぁぁぁっっっっつ!?」




