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グレイト・フィルター  作者: 春麗 狄 ت
第五章 ー 最後の天使 / Rendezvous ー
24/58

5-6 POV : イサカ


 ――ブラウン管の向こう側、カッコつけた騎兵隊が――


 哀愁のあるブルーハーツ。ギターの音色が店内を優しく包みこみ、ヴォーカルの声が子守唄のように心地よかった。

「私のお義母さん、セックス依存症でさ」

 話題はそんな、しょうもない、バカげた話。聞いて呆れるような、つまらないもの。

「そうなんだ。義理のお母さん、なんだよね」

「そう」

 それでも、彼女――ユリウスは、親身に耳を傾けてくれた。

 店に入って二十分。ついぞ誰にも話したことのない、いわゆる身の上話というものを、私は人生で初めて、彼女に話している。どういうわけか、最初は私がユリウスに対して、いつ家を出てくのかとか、出身地はどこなのかとか、これまでの来歴とかを訊いていたのに、ユリウスは振る話のすべてをはぐらかした。どちらかというと韜晦(かく)している風で、そうしてまた、巧みな誘導をされて、気づけば私ばかりがしゃべってる。

 なんだかバカみたいなのに、それでも、やめようとは思えなかった。だって、いままで誰も、こんな腫れ物に触るような話を聞いてくれたことがなかったから。話を聞いてくれる人がいるだけで、口が調子に乗ってしゃべり続けた。

「オヤジは小さい時にほかの女を四人誑しこんで、お母さんは、表向きはいい人ぶってたけど、ヒステリックで暴力振るう人だったから……そんなこんなで引き取られたの」

 見慣れたカクテルグラスをくるくると小刻みに回して、スライスしたオレンジをツンと指で押す。グラスの縁に宿る温かな光は、私の視線をぼぅ、と奪った。

 その光と重なるように映る、虐待の日々。嫌なこと、苦しいことばっかりが脳の皺にこびりついて、黴(かび)になり、記憶のなかに摺り込まれている。痛み、悶え。私のなにが悪いのかも理解できないまま、私は抗えない暴力(ちから)に耐えつづけた。あぁ、胸糞わるい。

 本当は、親の話はしたくないし、できれば思い出したくもない。理由は言うまでもないけど、二人(おや)のマヌケ面が朧気に脳裏で踊るからって感じ。普通の顔が変顔みたいで、お面のように気味の悪い、ニスで固めたような笑顔を浮かべて、私の頭のなかで追いかけっこするの。気持ち悪いでしょ?

「義理のお母さんとは、どうやって?」

「お母さんの紹介」

 そういって、オレンジ色のクロンダイクを一息に喉へ落としこむ。

 私が義母に引き取られたのは小学六年のときで、義母は母の高校時代の同期だった。あの時のことはいまでも判然と覚えている。あのババァ、幼い私に向かって、なんて言ったと思う?

「アイツ、なっさけない声で『一人分の生活能力しかなくてェ』ってさ」

 これには、さすがのユリウスも面食らった顔をした。

「お母さん、が?」

「そうだよ。しかもあのアマ、お義母さんが高級ソープのウリだって知ってて引き取らせたの。バカでしょ? マジで」

 太客(パトロン)を抱えこむ義母は金をたんまりと稼いでいたから、お母さんは泣き寝入りといわんばかりに里親を頼み込んだのだ。その理由に「私が可愛そうで……」とかいう同情はない。自分の子どもを殺してニュースに載るのが怖かったんだ。あの取ってつけたような薄笑い、私を邪魔者におもう下卑た本心が隠しきれてなかったもん。

「お義母さんは子どもを欲しがってたから、ほんとのお母さんと比べるとたしかに優しかったよ。でもさ……」

 と言ってすぐに、私は吐き気を催した。おぇっ……。

 我知らず眉間に峻崕をつくって、つっかえた異物感をなんとか呑みこむ。あぁー気持ちわる……。

「私が中学のときだよ。家に帰ったらさ、お義母さん、玄関で知らない男とヤってんの…………週四で」

「え……?」

 はぁ、バッカバカしい。

「もういい忘れて」

 いよいよアホらしくなってきた。もういい。この話おわり。それより酒、酒。カクテルもう三杯。

「ごめん、深入りしすぎたね」

 別に。私がすき勝手しゃべってただけだし……。

「奢ってくれんなら許す」

「はは、こればっかりは……」

 ユリウスはバツの悪そうに頬を緩めた。

 きっとこうしている間にも、オヤジは女を誑かして、母は悠々自適に一人暮らし。お義母さんは誰彼なしにセックスばっかやってんだろう。私が心の内で苦悩を抱えている間にも、それを貶して蜜にしてるヤツがいるんだ。私の前では大人を気取ってさ。

 そうやって、他人行儀だけがどんどん上手くなって、肚の内じゃ恨み妬みの応酬。自分の風格(ナリ)と尊厳を守るのに必死で、そのエゴは見え透いてる。だから、私は人を信用できない。人を信用しない。

「それは、悲しいよ」

 BGMがサビを過ぎて、ギターソロに入った。まろやかなギターの音が耳に心地よくて、その旋律にのったユリウスの声も、一段と優しかった。

「イサカ」

「……なにさ」

「私たち、まだ会って、たったの二日だよね」

 えそうじゃん。私たち、まだ会って二日じゃん。

「これから、なにしよっか」

 は……? と言いたいとこだけど、それは心のなかに閉じ込めておくことにした。どこか、彼女なりの優しさを感じ取ったから。

「うーん。別になんでもいいよ」

「私と一緒には、いてくれる?」

「毎日奢ってくれんならね」

「ひどいなぁ」

 頬肘をついたユリウスが、くすっと苦笑してみせる。いつもはけっこうシャープな目つきなのに、いまは目尻をなだらかにして、長い睫毛をぱちくりさせて。端正な顔に浮かべる微笑みは夕暮れに似合いそうだった。そして、そんな柔らかな優しさを作れる彼女を、少しだけ羨ましく思った。

「……ちゃんと、生きてみたいよ」

 酔いに肖り。面と向かって言う勇気なんてないから、正面にある、酒瓶がズラリと並んだ棚に視線を移して、そう呟いた。赤や緑や黄色やら。夜景のネオンみたいな、酒瓶たち。

「これまでの苦痛を忘れられるくらい、幸せに生きてみたい。誰かと買い物して、遊びに行って、家に帰ったら二人分の生活が散らかってる……そんなの」

 ダメだ。それほど酔ってないはずなのに、顔がじわっと熱くなる。

「私が、その手助けをしたいな」

 …………へぇ。

「出会って二日の、二〇〇円をケチるアンタが?」

「それとこれとは話がべつー」

 ようやく、彼女を瞥見する。

 このバカヤローはどこまでも眼差しが純粋だ。もはや気分が爽快になるくらい、嘘が見えない。よほど本性を隠すのが得意なのか、それとも本当にバカなのか、はたまた本当に宇宙人……なのか。

「ユリウスってさ、免許とか持ってんの?」

「免許もバイクも持ってるよ。ほら、カワサキの」

 へぇ、意外。

「じゃあ、どっか連れてって」

 今度でいいから、とつけ足して。ウェイターが持ってきた、白いおちょこと徳利に、震える手をかけた。

「あっちぃっ!」

「まーたやらかして」

 そういいながら彼女はさっと、手元にあったおしぼりを差し出してくれて、それに指を押しつけて冷やす。ジーンと波打つ痛みが、いまここにいる現実をよく味わわせてくれた。ほんっとに、もぅ……。

「アンタなら、いい母親になれるかもね」

 ちょっとだけ赤くなった人差し指。長くて綺麗なのが自慢。ヒリヒリ。

「は、母親……?」

 困惑。ユリウスはいままでに見せたことのない、困った表情を浮かべた。眉をへにょ、と歪めて、小首を傾げて。あー、さすがに言うべきじゃなかったかな。

「ごめん。お姉ちゃん、くらいか」

「え、いやその……」

 あ、そもそも距離感ちがった……?

「私、男だよ?」

 ……。

 …………。

 ………………。

 ……あ、彼女(・・)じゃなくて、彼(・)……?

 あぇ、あぁ…………ふーん。

 へぇ……。

 ……………………。

「えはあああぁぁぁぁぁぁぁっっっっつ!?」


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