5-1 POV : イサカ
…………。
…………ね。
――、……ます。
「じゃあぼちぼち時間なんで、今日はこの辺にしときます。来週、レポート出してくださいね」
講義が終わってから目が冴えてくるの、ほんとになんなんだろうねって、ひとりごと。
九十分。こくり、こっくりと頭が動いて、二トンの瞼を持ち上げるのに必死の授業だった。教授のおじさんが教壇を降りるが早いか、急に目がパチパチ覚めて、四限が終わる。
だだっ広い講義室に生徒の会話が飛びかって、「このあとどうする?」とか「やばいバイト遅れる!」とか。至極ふつうの、大学生らしい話が聞こえる。
私はというと、とくべつ仲のいい友達がいるわけでもないし、わざわざ自分から話す質じゃないから、とりあえず一人で、だらだらペンケースとタブレットをしまう。
「ねね、イサカちゃん!」
名前を呼ばれて、振り向く。
あぁー、来たよ。大学の中でいっちばんキャンパスライフを謳歌してる……えっと、名前おぼえてないや。ミルクティー色の髪をくるくるカールさせてる、おめかし大好きなおギャルさん。
「このあとひまだったりする?」
このおギャル、なにかとよく話しかけてくるけど、その都度、私は素知らぬ顔で返してる。だって生きてる世界が違うからさ。私とつき合っても面白いことないよ。
「このあとは予定あるなー」
「うぇーマジ? バイトとか?」
「ううん、バイトじゃない」
グイグイくる。後ろには「はよ帰りてぇ」みたな感じの取り巻きを何人か従えてさ。ここ大学だってのに、高校みたいなノリしてんのも、怖い。
「先輩に呼ばれてて」
そういうと、おギャルの思考回路に電撃。すぐに勘づいたみたいで、顔をゲッソリさせた。
「あぁー、そっか。おっけ、分かった。また話そ!」
おギャル退散。ハル先輩、ほんっとにごめん……。
――講義室を出て、屋外の中庭へと向かうと、酷寒が肌身に沁みる。
三月も十日――。
まだまだ冬の厳しさが続く季節。日常は薄めいて、灰色っぽい景色がわずかに悲壮を滲ませる。キャンパスに舂く西日が眩いのに、あんまりに寒くって体の芯が凍ってしまいそうだから……ちょっくら自販機でも寄ってこっと。
中庭にはちらほらと人がいて、その隅っこに小さな喫煙所がある。その一画は背の高いパネルでしっかりと区切られていて、まるで喫煙者を閉じ込める狴牢みたいだから、私としては存分に快くない。ショウワじゃどこでも吸えてたってんだから、驚きだよ。
あれこれ考えたってどうにもならないし、寒さは増してく一方だし。そんなわけで、喫煙所に隣接する自販機までやって来た。ラインナップをズラリと並べた、赤い機械とにらめっこ。コーヒー? コンポタ? レモンティーもいいな。
「あぁれれぇ? イーサカちゃんですかァ?」
パネルからひょこっと顔が出てくる。この声は――。
「先輩」
頬が緩んだ。
ハル先輩、今日もクールです、なんて恥ずかしいから口が裂けても言えない。ダボっとしたカーキのカーゴパンツ、分厚い白のパーカー、美貌を隠すように深く被ったキャップ。気だるげなオーラも、人を寄せつけないピアスの数も、どれもこれも魅力のひとつ。
「イサカも?」
なんていって、先輩は空気を摘まんで、指を口元へあてがった。すぐに分かる。タバコのサイン。
「えっと、帰ろっかなって思ってたけど、先輩がいるんでプクイチします」
「それは頂けるってことでいい感じ?」
先輩のわざとらしい笑顔が、私の胸を射抜く。悪魔の尻尾と角が生えたのが、私には見えた。
トントン、カチッ。
そうやって二本。ケースからお逝きになるの。
すぅ……。
ふぁっ……。
この一本は特別。
先輩と一緒に吸うこの時間が、「大学をいちばん楽しめる時間」だった。
「寒いねー」
「寒いっす」
駄弁。それから少しの静けさ。視界に揺らめく細い煙。
「あっ。そういや、ユリウスってヤツ、どうなったの?」
通報した? なんて冗談を添えて。
「あぁ、まだ家にいますよ」
「えマジ?」
そりゃ驚きですよね。結局、追い出せなかったんですもん。先輩はくりっくりの目をぎょっとさせて、煙を吹かす私の横顔を捉えた。
「なんかどうしても帰るトコないみたいで。別に悪さしてる風もないから、ちょっとの間だけ居候させてもいいかなー、とか思ってて」
「やめたほうがいいんじゃなーい?」
先輩は訝しんだ口調で、短くなったタバコを吸い殻入れに放り投げた。
「もう一本っ」
「えぇ……?」
もちろんあげないつもりなんてないけど、ちょっとだけ焦らしたい。
「おーねがいっ!」
「こんどご飯連れてってくださいね」
「おっけまかせて」
私からすれば、タバコ一本で釣れる先輩のほうが、正直よっぽど怖いよ……。
――結局、ケースの半分が空になって、夕焼けも彼方の都会に沈んでいった。すっかり辺りが暗くなると、肌を刺すような寒さも極まってくる。うぅ、さぶっ。
「……ねぇ、イサカ。ちょっと雑談」
っといって、また一口、ふぅ、と。




