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グレイト・フィルター  作者: 春麗 狄 ت
第五章 ー 最後の天使 / Rendezvous ー
19/58

5-1 POV : イサカ


 …………。

 …………ね。

 ――、……ます。

「じゃあぼちぼち時間なんで、今日はこの辺にしときます。来週、レポート出してくださいね」

 講義が終わってから目が冴えてくるの、ほんとになんなんだろうねって、ひとりごと。

 九十分。こくり、こっくりと頭が動いて、二トンの瞼を持ち上げるのに必死の授業だった。教授のおじさんが教壇を降りるが早いか、急に目がパチパチ覚めて、四限が終わる。

 だだっ広い講義室に生徒の会話が飛びかって、「このあとどうする?」とか「やばいバイト遅れる!」とか。至極ふつうの、大学生らしい話が聞こえる。

 私はというと、とくべつ仲のいい友達がいるわけでもないし、わざわざ自分から話す質じゃないから、とりあえず一人で、だらだらペンケースとタブレットをしまう。

「ねね、イサカちゃん!」

 名前を呼ばれて、振り向く。

 あぁー、来たよ。大学の中でいっちばんキャンパスライフを謳歌してる……えっと、名前おぼえてないや。ミルクティー色の髪をくるくるカールさせてる、おめかし大好きなおギャルさん。

「このあとひまだったりする?」

 このおギャル、なにかとよく話しかけてくるけど、その都度、私は素知らぬ顔で返してる。だって生きてる世界が違うからさ。私とつき合っても面白いことないよ。

「このあとは予定あるなー」

「うぇーマジ? バイトとか?」

「ううん、バイトじゃない」

 グイグイくる。後ろには「はよ帰りてぇ」みたな感じの取り巻きを何人か従えてさ。ここ大学だってのに、高校みたいなノリしてんのも、怖い。

「先輩に呼ばれてて」

 そういうと、おギャルの思考回路に電撃。すぐに勘づいたみたいで、顔をゲッソリさせた。

「あぁー、そっか。おっけ、分かった。また話そ!」

 おギャル退散。ハル先輩、ほんっとにごめん……。


 ――講義室を出て、屋外の中庭へと向かうと、酷寒が肌身に沁みる。

 三月も十日――。

 まだまだ冬の厳しさが続く季節。日常は薄めいて、灰色っぽい景色がわずかに悲壮を滲ませる。キャンパスに舂く西日が眩いのに、あんまりに寒くって体の芯が凍ってしまいそうだから……ちょっくら自販機でも寄ってこっと。

 中庭にはちらほらと人がいて、その隅っこに小さな喫煙所がある。その一画は背の高いパネルでしっかりと区切られていて、まるで喫煙者を閉じ込める狴牢みたいだから、私としては存分に快くない。ショウワじゃどこでも吸えてたってんだから、驚きだよ。

 あれこれ考えたってどうにもならないし、寒さは増してく一方だし。そんなわけで、喫煙所に隣接する自販機までやって来た。ラインナップをズラリと並べた、赤い機械とにらめっこ。コーヒー? コンポタ? レモンティーもいいな。

「あぁれれぇ? イーサカちゃんですかァ?」

 パネルからひょこっと顔が出てくる。この声は――。

「先輩」

 頬が緩んだ。

 ハル先輩、今日もクールです、なんて恥ずかしいから口が裂けても言えない。ダボっとしたカーキのカーゴパンツ、分厚い白のパーカー、美貌を隠すように深く被ったキャップ。気だるげなオーラも、人を寄せつけないピアスの数も、どれもこれも魅力のひとつ。

「イサカも?」

 なんていって、先輩は空気を摘まんで、指を口元へあてがった。すぐに分かる。タバコのサイン。

「えっと、帰ろっかなって思ってたけど、先輩がいるんでプクイチします」

「それは頂けるってことでいい感じ?」

 先輩のわざとらしい笑顔が、私の胸を射抜く。悪魔の尻尾と角が生えたのが、私には見えた。

 トントン、カチッ。

 そうやって二本。ケースからお逝きになるの。


 すぅ……。

 ふぁっ……。

 この一本は特別。

 先輩と一緒に吸うこの時間が、「大学(人生)をいちばん楽しめる時間」だった。

「寒いねー」

「寒いっす」

 駄弁。それから少しの静けさ。視界に揺らめく細い煙。

「あっ。そういや、ユリウスってヤツ、どうなったの?」

 通報した? なんて冗談を添えて。

「あぁ、まだ家にいますよ」

「えマジ?」

 そりゃ驚きですよね。結局、追い出せなかったんですもん。先輩はくりっくりの目をぎょっとさせて、煙を吹かす私の横顔を捉えた。

「なんかどうしても帰るトコないみたいで。別に悪さしてる風もないから、ちょっとの間だけ居候させてもいいかなー、とか思ってて」

「やめたほうがいいんじゃなーい?」

 先輩は訝しんだ口調で、短くなったタバコを吸い殻入れに放り投げた。

「もう一本っ」

「えぇ……?」

 もちろんあげないつもりなんてないけど、ちょっとだけ焦らしたい。

「おーねがいっ!」

「こんどご飯連れてってくださいね」

「おっけまかせて」

 私からすれば、タバコ一本で釣れる先輩のほうが、正直よっぽど怖いよ……。


 ――結局、ケースの半分が空になって、夕焼けも彼方の都会に沈んでいった。すっかり辺りが暗くなると、肌を刺すような寒さも極まってくる。うぅ、さぶっ。

「……ねぇ、イサカ。ちょっと雑談」

 っといって、また一口、ふぅ、と。


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