3-3 POV : イサカ
「ちょまってそんなこと言われても……‼」
慌てて財布を取り出して、中の隅々を漁りつくした。文字通りに隅々を探し、塵も埃も見逃さないくらい。それからタンス預金も掘り返して、家の中のありとあらゆる金目を掘り出した。仕方ないでしょ、すねかじりの生活だから困窮してるの!
「はぁ、はぁ……」
――嵐の一過だった。ユリウスは玄関に立ったまま壁に寄りかかって、ニタついたまま、まるで私の一部始終を見世物のように傍観していた。
「どう、ありそ?」
手に握ったお金、その実体は妙な質量を帯びていた。あとは神に祈って、一枚、また一枚とそれをめくる。
五千円札が一枚と、千円札が、六枚。合わせて、一万、千…………円。
「あちゃー、二〇〇円、足りないね」
いつの間にか、ユリウスも一緒になって手元のお金を見下ろしていた。せめてビール二本、我慢しときゃ……。
ヤバい、お金が、ない……。
「これ、ぜんぶ?」
固唾を呑んだ。ご、く……。
「ぜん、ぶ……です」
認めたくはなかった。認めたく、ないけど……。これは、知らない人――このユリウスが家に棲みつく、都合のいい理由になってしまう……。これは困った。
こんな弱みを握られて居候だなんて、甚だおかしいっての。
私の生活が、狂い始めてる……。
「ねぇ、イサカ」
ヤツがいやらしい声で私を呼んで、恐るおそる、顔を引きつらせながら面を上げる。
「泊めてくれる、よね?」
この、たった二〇〇円の重みが、うん千万の大金よりも遥かに重く感じた。
そうしていざこざやってから、ようやく焼きそばをチンして、それをリビングに持っていったとき。ゆうべ彼女が着ていたカラス色のジャケットが放られてあるのを目にして、彼女が家を出ていく気なんて更々なかったことを悟った。すべて、彼女の手のうちだったんだ。くそ……っ。
「――私のぶんは?」
「ないよ」
ほかほかと湯気立つ焼きそばに、微妙に冷え切らないビールを三本。
簡素な夕飯をならべると、ポリ皿から滴る温かい水滴と、缶の縁から滲む冷たい水滴が卓袱台に表面張力を描いた。そんな卓袱台を二人で挟みこんで、夕飯の時間。
……歪。
残念ながら、ご飯を食べられるのは一人だけです。
「分けてくれないのぉ?」
「二〇〇円のツケも払えない素寒貧ですから、一人ぶんの食事でいっぱいいっぱいでーす」
「ケチだなぁ」
好きに言えばいいさ。そんなことより、ご飯ごはん。
「いただきまァーす」
ふぅ、ふぅ――。
ずずっ……。
んんっ。
ソースと麺の絡みが絶妙で、美味しいね。ビールも開けちゃお。
「一本だけ……」
「あぁ、こらっ!」
「ぎゃあ」
そろり、そろーりと、貴重な缶に手を伸ばすユリウス。手元の一本に夢中になっていたけど、すぐに気がついて、その手をピシャっと遮った。まったく、油断も隙もないんだから。
「アンタは見てるだけ。暖房の効いてる部屋にいられるだけ感謝しなさいや」
ご飯にちょっかいを出す猫を叱るみたいに、横目でユリウスを睨みつけて、私はリモコンを手に、テレビの電源を入れた。
カシュ――。
プルタブを起こして、倒し、逃げ場を知った泡たちがしゅわぁっと飲み口から溢れる。
『――続いてのニュースです。大東亜共栄条約機構は四日、米露の東西諸国中立協定の締結に先立ち、ニホンを筆頭としたアジア諸国も協定に参画するとの方針を表明しました』
「試験運用」の名札と若葉マークのステッカーを貼られたヒューマノイドが、一丁前に紺のスーツを着込んで、つまらない世界情勢についての台本を淡々と読み上げている。スタジオにおさまって仕事をこなす様はまるで人間と変わらないってのに、ずっと心の内でそれを奇妙がっている自分がいた。次第に、その異物感は喉の痞となって、たまに焼きそばがつまりそうになるものだから、そのたびに目を逸らしてビールを呷った。
『――我が国ニホン、ならびに大東亜共栄条約機構は、この度アメリカ、ロシアと協力し、世界平和への貢献および、各国での紛争、内紛への平和的手段を用いた解決への尽力を表明いたします。世界はいま、平和へのおおきな一歩を、共に歩みだしたのです』
ニホンの首相が演説台を前に、尊大な身ぶり手ぶり。熱弁しているVTRには頗る気分がわるくなった。画面の右に添えられたテロップには、「バカゲタ首相」の六文字。
――もぐもぐ。
画面かわって、なんともぎこちない笑顔を振りまく、まぬけ面のロボット。
『東西諸国、そして大東亜共栄条約機構の和平協定が実現すれば、これは世界規模での平和実現を近い将来に見据える大きな進歩となります』
――ごく、ごく、ごきゅっ。
『しかし、米露の軍縮協議が難航するさなか、アメリカ合衆国国務長官であるラムサス・ハースタル氏が同月一日より行方不明となっており、代理を務める保守派のカレン・マクダレン副長官が臨時出席する予定となっています。また、各国の保守派や、EU諸国の一部はこの動きに対して懸念を示しており、依然として不透明な協定の進展には、傾注する必要があります』
「アホらし」
「えっ――?」
卓袱台に伏していたユリウスの背がぴくっと起き上がって、笑顔を保ったまま、間の抜けた声を洩らした。
「あほらしいの?」
「アホらしすぎるでしょ」
間髪いれずの即答。
――キィィィィン。
また室外機の軋む音が聞こえる。それから、エアコンが必死に部屋を暖め続ける、羽の軋む音も。
「なにが、あほらしいの?」
ユリウスの瞳が好奇心に動いた。キラキラというより、ギラッ、といった感じだ。どうやら私の、行き場のないお小言を聞きたいらしい。
「考えてみなよ。お偉いさんはプライドのために平和だ平和だって豪語してるけど、いまのこの世じゃ、生きるのだって、食べ物よりさきに書類と思想が優先される。そんなんじゃ不満だらけだし、平和とは言えない」
「へぇ、なかなか面白いこと言うね」
「実際そうでしょ。そんなんで世界が平和になるわけない。そんな平和は平和じゃないよ。どっかで誰かが泣き続ける。それかきっと、そうなる前になんかの箍が外れるね」
こうも考えてるのか考えてないのか、思考のフィルターを介さず口からポンポンと言葉が出るってことは、もう酔いが回ってきた証拠だ。わたしにゃ分かる。もっとも、思ってないことは口にもできないんだけどさ。
皿の端で身を寄せあうキャベツやらニンジンをかき集めて、いそいそと口へ運んでいく。焼きそばは最後まで美味しくて、皿に残るソースまで舐めてやりたいとこだけど、それはちょっとお行儀わるい。でも、そのくらいには美味しいわけだし、ビールにも合うし。こればかりが、ささやかな幸せだった。
そんな、忙しなくご飯を食べる私を終始眺めていたユリウスが一言。
「それって、諦念?」
「ううん、愁訴」
彼女はしばしの間を置いてから、満足そうに一つ、
「ふぅん」
呟いた。
ひとしきりにシャワーを浴びて、バスタオルで髪を拭きながら、冷蔵庫にしまってあった――明日用だったのに――ビールに手を出す。
『つづいてのジャンルは――!』
元気の過ぎるナレーション。液晶に映る、映画のフィルムを模したコマに、幾数のアーティストが流れる映像。ゴールデンタイム、歌謡祭の番組だった。
『なつかしの八〇年代!』
ババン! との効果音につづいて、かの八〇年代を彩った錚々たるアーティストたちが、次々にテレビを盛り上げる。マイクを前に歌う姿のVTRがすごく古臭い。最近の経済がバブル……? ってのに似てるらしくて、音楽の流行もその時期のものが懐旧を擽るみたいで、古の名曲たちは、この時代になってまた脚光を浴びている。
――自分の存在が何なのかさえ 解らず震えている 15の夜
透き通るようで、なのに力強い声を持つ男の人が、尖った歌詞の哀しい歌をうたって、私は缶を枯らし、ユリウスは我が家のように寝転びくつろぎながら、その歌にぼんやりと耳を傾けた。
変なヤツが居候していること以外、特になにもない、冬の夜。
そんな静かな夜が、たしかに、自分の存在がなんなのかを、忘れ去ろうとさせる。温まった体が眠気を誘い、やるせない窮屈さを感じながら、そっと目を瞑った。




