3-1 POV : イサカ
「うわー、それ絶対ヤバいわ」
ご自慢のネイルに目を落としながら、椅子にまたがる先輩はそう言った。
「手出されなくてよかったね」
「いやほんとっすよ」
頭頂の黒くなった、プリンみたな金髪。それをふわふわ揺らしながら、ご機嫌に爪を眺めている。
「それでぇ、ソイツとはどこで別れたの?」
彼女がふいっと、小首を傾げながら顔を上げて、おもむろに私と目が合った。同じ女の人とは思えないくらいイケメン。うぉ、眩しっ……。
――ハル先輩。
同じ軽音サークルに入ってる、一つ上の先輩。私が二回生だから、ハル先輩は三回生になる。サークルではベースを担当してて、その腕前はなかなかのもの――らしいけど、活躍しているとこは一度も見たことがない。それでも、彼女のクールな面に私は惹かれちゃって。ずーっとあっこがれの人で、大好きなひと。
ハル先輩がピースを吸っているから、同じもものを吸うようにして、それが彼女との最初の接点だった。
『おそろいじゃーん』
なんて言ってもらったの、今でも鮮明に覚えてる。最初は緊張しまくって上手くしゃべれなかったけど、タバコを何本かおすそ分けするうちに仲良くなって、お昼の時間とか、お互いが暇してる時はこうやって集まって、駄弁ったりしている。
「――おーい、だいじょぶ?」
「うえぇ、あぁ、えと……なんでしたっけ」
私が話をすっぽかしたものだから、先輩はちょっとばかりにむすっとして、黒い瞳を尖らせた。かわいい。
「だーかーら、ソイツとはもう会ってないの?」
あぁ、そうそう。アイツの話だった。アイツ、あいつ……ほら、ユリウスとかいうヤツのこと。
「それがァ……」
「え、マジ?」
急に先輩のトーンが落ちた。崖から落っこちるみたいに、ストーンって。
「ヤった?」
直球。すーぐそういう話に持っていく。
「いやいや、さすがにヤってはないです……たぶん」
「なァんかそれこわいなー」
先輩は眉を顰めた。
ただ、それがっすね。もっと怖い話――
「ソイツ……いま家にいるんすよね」
先輩の目つきがガラっと変わって、驚きを隠せない点になっちゃった…………。
昼下がりの三限、静まり返った食堂。近未来を先取りしたような爽快な空間に、大窓の快晴から差す日差しをめいっぱい浴びる、私たち。
「え、いま……イサカん家いんの?」
数瞬の間をおいて、先輩が言葉を零した。ええ、その通り。
「なんか、寝惚けたままだったし、バタバタしながら家出ちゃったんで……なんとなくそのまま、追い出せずって感じでした」
「え絶対ヤバいって。警察とかに言お?」
先輩のトーンがガチってやつ。お調子のふざけ話じゃなかったけど、当の私にとってはそれほど大事にするようなことじゃないと思って、いくぶん楽観的だった。
理由は挙げるまでもなく――どうなろうと知ったこっちゃない、ってわけ。
「今日帰ってみて、なんか悪さしてたら通報しよーかなって思ってます」
「防犯意識ひくくね?」
そおっすかねーなんて適当に誤魔化しながら、先輩の端正な顔を拝んだ。
彼女は「なんかあったらいつでも呼んで」とか言って、椅子にまたがったまま、拳を作ってふにゃふにゃと空を突く。私も「先輩よわそう」なんて冗談めかして、話の線は他愛もない、日常に戻った。
――結局、下らない勇気と、始末の悪い未練の狭間で、私はいまだに息をしている。毎日あがらないテンションの中で、ベランダから朝日に向かって煙を吹かし、早朝からむさ苦しい電車に揺られ、辺鄙な場所にある大学に通う。チンタラテキトーに勉強をやって、成績も中の中。上がりも下がりもしない……いや、ちょっと下がり気味かも? うぅ、とにかくそんな薄味の毎日を、ただただぼーっと、浪費していってる。つぅまんない。そんな一言で片づいてしまう、今日このごろ。
そういうわけであって、あの「ユリウス」なんてヤツが家にあがり込んでいても、私にはどうだっていいことだった。アイツの存在がいい方向にはたらくか、悪い方向にはたらくか。別に痛めつけられなければ、そういうスリルだって悪くないでしょ?
……なーんて雑念に惚けながら、夕暮れ。オーサカを越え、トーヨドに向かう帰りの電車。長い鉄橋に差しかかって、西陽がトラスの影と重なりながら、私の瞼の内側で遊んだ。ゴトンゴトン、ガタン――。




