第五十六話 二人の変わらぬ誓い
ナルとリン、そしてレアルは、空中テラスでの食事を終えて屋敷に帰ってきた
テラスが中庭に降りると、レアルが先に降り立つ
そしてリンに手を差し伸べる
リンはその手に自分の手を置き、静かに降り立った
「名残惜しいが、今夜はこれまでだね」
「あら、感心ですね」
「あなたの誘いをどう断るか、思案していたところでしたのに」
「私としてはもう少しリンとご一緒したいのだがね」
「君たちも、私も、明日は朝が早い」
ナルが首をかしげた
「朝早い? なにかあるの?」
レアルが不思議そうにナルを見る
「なにを言っているのかね」
「能力検査をするのだろう」
「だって、今日やったじゃん」
「今日は練習だ」
「明日は今日の倍の人数をこなす」
「それで君たちのノルマは達成される」
「家に帰れるよ」
「今日の倍の人数を検査するの!?」
リンも少し呆れたように息を吐く
「呆れた人ですね」
「二日で終わらせる気ですか」
「少しだけ手配したことを後悔しているがね」
「これが性分だ、やむを得まい」
ナルは少し考えるようにしてから小さくため息をついた
「わたしのわがままに、本気で付き合ってくれたんだよね」
「頑張るから!」
「わたしが言いだしたことだもんね!」
ナルは拳を握って空に向かって突きあげた
「そうと分かれば、今日は早く寝るよ!」
「そうですね、そうしましょうか」
リンはレアルに向き直る
「今日は楽しかったですよ」
レアルの表情が少しだけ和らいだ
「もっと君を楽しませるつもりだったのだがね」
「また、お誘いしてもいいかな?」
「ええ、いいですよ」
レアルは即座に答える
「光栄だ」
リンは涼しい顔で続けた
「こぶが二つ付いてきますけどね」
レアルはそう言われて、小さく笑った
「ナルとミナを歓迎するよ」
「こんなに君に近づけたのは、彼女たちのおかげだろうからね」
リンは少しだけ目を細める
「本当に、そう思いますか?」
「ああ、思うよ」
リンはその言葉に何も返さなかった
ナルがレアルに手を振った
「いい夢見てね~、レアル~」
「ああ、君もね、ナル」
そうしてレアルを残し、ナルとリンは自分たちの部屋に戻った
寝巻きに着替えて身支度を済ませると、ナルはすぐにベッドへ潜り込んだ
「あー、つかれたぁ……」
そう言ったきり、ナルは泥のように眠ってしまった
今日は本当に疲れていたのだ
ナルが寝てから、間もなくのことだった
隣のベッドに横になっていたリンが、静かに身を起こす
そして小さくため息をついた
「いけませんね……」
リンは眠るナルを一度だけ見る
それから静かにベッドを降り、部屋を出た
廊下は静まり返っていた
リンは足音を殺しながら、先ほど酒が並べられていたバーへ向かう
バーは真っ暗だった
リンは最低限の明かりだけをつけて、並んだ酒を物色する
そして一本のウイスキーを手に取った
コップを取ろうとする
だが、指先がうまく動かなかった
掴みそこなったコップが床に落ちる
割れる音が、静かな部屋に響いた
リンは小さく目を細めて、それを見下ろす
それから何も言わず、別のグラスを手に取った
ウイスキーをグラス注ぐ
そして、その酒を一気に飲み干した
喉が小さく動く
リンは大きなため息のように息を吐いた
飲み干したグラスを、ぼうぜんと眺める
その時、ふいに声が掛けられた
「眠れないのかな?」
リンの肩が小さく震えた
そして声の方を見る
そこにはレアルが立っていた
リンは睨みつけるようにして言った
「そういうあなたは?」
「今日は少し話し過ぎた」
「君のように、強めの酒でも飲んで寝てしまおうと思ってね」
リンは目を細める
それから、自分の持っているグラスに視線を落とした
レアルはそれを確かめるように見たあと、静かにリンの隣まで歩いてくる
「ご一緒してもいいかね?」
「ええ、いいですよ」
レアルは新しいグラスを棚から一つ取る
その横にあった箱を開け、手を差し入れた
引き抜いた手には、氷が二つ握られていた
レアルは、そのうち一つを先にリンの空いたグラスへ入れる
それからリンの横の椅子に座り、ウイスキーのボトルを手に取った
自分のグラスへ酒を注ぐ
そしてリンと同じように、氷を入れずに一気に飲み干した
残していた氷を自分のグラスへ入れる
それからレアルは、まずリンのグラスへゆっくりとウイスキーを注ぎ、次に自分のグラスにも注いだ
しばらくの間、二人は黙ってグラスを傾けた
静かな屋敷に、氷がグラスに触れる小さな音だけが響く
やがて、レアルが口を開く
「聞かせてくれないかね」
「君の話を」
「どうも聞かないと……私は眠れないようだ」
リンの肩が小さく震えた
いつもの綺麗な姿勢とは違う
少し背中が曲がり、俯いている
まるで叱られた子供のように見えた
リンは静かに言った
「わたくしは、リックを殺しました」
レアルはすぐには反応しなかった
ただ前を見たまま、少し間を置く
そして静かに答えた
「知っている」
「なにが起きたのかくらいは、分かっているつもりだ」
リンの左手が、すがるようにレアルの右手を握った
レアルは目だけでそれを見る
そしてすぐに、リンの手が震えていることに気づいた
「震えているね……」
「はい」
「どうしたんだい?」
「目を閉じると、思い出すのです」
「わたくしが殺した、リックの顔を……」
レアルの目が、わずかに反応した
「わたくしは、もっと強くなったと思っていました」
「アルの仇を殺して、気に病むはずがないと」
「そう思っていたんです」
レアルはゆっくりとリンへ視線を向ける
「だが、そうではなかった……と?」
リンは静かに頷いた
しばらく、どちらも口を開かなかった
氷がグラスに触れる小さな音だけが、二人の間に響く
やがて、レアルが静かに言った
「私には、何ら意外ではないがね」
「君の心根を、誰よりも知っているつもりだ」
レアルは、リンの震える手を強く握り返した
「だから私は、生涯を掛けて君を愛すると誓ったのだ」
「その誓いが破られることはない」
「君の手が震えるなら、こうして私が止めよう」
「君が弱くなるなら、私がその分、強くなろう」
「どうか酒ではなく、私を頼ってはくれないか」
リンもレアルの手を強く握り返した
沈黙が落ちた
繋いだ手からお互いのぬくもりが伝わる
しばらくすると、リンの手の震えは止まっていた
リンはゆっくりと、小さく笑った
そして、いつもの綺麗な姿勢に戻る
それから、はっきりと言った
「わたくしを、今夜、慰めてくれますか?」
レアルの持つグラスが、小さく鳴った
迷うような間があった
レアルは、静かに答える
「手の震えが止まったようだ」
「なにか、解決策でも思いついたのかね」
リンは少しだけからかうような口調で返した
「あら、ばれました?」
レアルは静かにリンを見た
「君は私を試している」
「それに、自分自身を罰しようともしている」
リンは表情を変えず、レアルの話を聞いていた
レアルはリンの手を離さないまま続ける
「今夜、君を抱けば、私は俗物と呼ばれるようになる」
「君は俗物に抱かれることで、自らを罰する」
「恐らくは、酒に頼る必要もなくなるだろう」
「そして、私への気持ちも終わりにできる」
「違うかね?」
レアルは、そっとリンの手を離した
リンは静かに立ち上がった
そして言った
「バカな人ですね」
「これが、わたくしを抱ける最後の機会でしたのに」
レアルはその言葉を受け止めるように、しばらくリンを見る
それから、穏やかに答えた
「これが最後でないことを祈るだけさ」
「私は、君を待つことには慣れている」
少しの間があった
それから、リンはいつもの口調で言った
「わたくしの歩む道に、男など不要です」
「あなたを、からかっただけのこと」
「いい暇つぶしになりました」
リンは静かに自分の部屋に向かって歩き出した
レアルも静かに立ち上がる
そして、リンの背中に声を掛けた
「リン、僕は変わっていないよ」
「今も、これからも、君を待っている」
一瞬、リンの歩く足が止まった
小さく振り返って、レアルの顔を見る
若かったあの頃の、彼の姿が重なって見えた
リンの胸が、トクンと疼いた
リンは右手で胸元を押さえる
そして、あの頃レアルに告げた言葉を、もう一度口にした
「わたくしは、たとえ死が二人を分かとうとも」
「アルに身も心も捧げます」
リンはいつものように綺麗に背筋を伸ばし
前を向いて歩き出した
レアルは、リンの姿が見えなくなるまで見送っていた
やがて、その姿が廊下の奥へ消えると
グラスの酒を一気に飲み干す
そして、小さくつぶやく
「羨ましい奴だ」




