第四十九話 至高の飴 2
レアルは両手を床につき、今度はナルの靴の甲に口づけをした
唇を寄せるだけではない
はっきりと、口づけをしたのだ
ナルは一瞬、何をされたのか分からなかった
それから、遅れて声を上げる
「えええ!?」
「なにされてるの、これ」
ミナもすぐに声を荒げた
「ちょっと、おじさん」
「ナルに変態みたいなことしないでよ」
リンが驚いた表情で言った
「靴の甲への口づけは服従の証」
「どういうつもりです、レアル」
ナルが目を白黒させる
「ふ、服従?」
レアルは立ち上がって言った
「君と約束しただろう」
「負けたら、君が求める未来を作るのを手伝うと」
「この命、好きに使ってもらって構わない」
「その証だよ」
ナルは困惑した
「そ、そんなこと言われても……」
リンが額に手を当てる
「たしかに、そんな話をしていましたが」
「そこまで馬鹿正直に約束を果たすことはないでしょう」
「なにを考えているんですか」
「だいたい、ナルは未来について、そこまで深く考えていませんよ」
ナルはしばらく考えた
そして、思い立ったように頭を下げる
これは断らないと大変なことになる
そう判断したのだ
「ごめんなさい」
「なかったことにしてください」
「あの時は、その場の勢いっていうか」
「そこまで考えていなくて……」
すると、レアルは懐から小さな箱を取り出した
そして箱を開ける
「飴が気に入っていると言っていたね」
「この飴は、伝統的に私の領地で生産しているんだ」
「これは試作中の栗で作った飴」
「こちらは桃」
「こちらはブドウ」
飴玉を見て、ナルの顔がぱっと明るくなった
「すごい」
「美味しそう」
「食べてもいいの?」
「もちろん」
「君のために持ってきたのだ」
「やったー」
ナルは栗味の飴玉をひょいっと取って口に入れた
「ほんとだ」
「栗の味がする」
「これ、わたし好き」
さらにレアルは、胸ポケットから別の小さな箱を取り出した
その箱を、ゆっくりとナルに向けて開く
中には、白い飴玉がひとつだけ入っていた
ただ白いだけではない
薄い光を内側に閉じ込めたような、真珠にも似た飴玉だった
「これは特別品」
「我が家の身内だけが口にできる、門外不出の至高の飴玉」
「我が家が誇る飴職人が、手作業で薄い飴を幾重にも重ねて作る」
「まさに飴の芸術品だよ」
ナルの目が輝いた
「おおお」
「すごい美味しそう」
「それも、食べていいの?」
レアルは少しだけ箱のふたを閉め、ナルから遠ざけるように引いた
「もちろん」
「ナルであれば、秘伝の飴を差し出すこともやぶさかではない」
「ただ、少しお願いしたいことがあってね」
ナルの表情が止まった
「お願い?」
「たいしたことじゃない」
「私の領地は国の外れにあるのだが、強力なドラゴンに一部の土地を占領されていてね」
「私だけでは手に負えないのだ」
「君がその排除を手伝ってくれるなら、君は我が家の恩人だ」
「いくらでも至高の飴を差し出そう」
ナルの表情が少し曇る
「う……」
「やだよ」
「それって、生き物を殺すんでしょ?」
「たしかに、殺すよ」
「でも、君は言ったじゃないか」
「ドラゴンの魔力がいらない国を作ると」
「言ったけど」
「それとこれと、なんの関係があるのよ」
「それに、ミナの魔法だってあるし」
「人工太陽だけで、どうやって料理のための火や、生活に必要な魔力を全ての家庭に届けるのだ」
「ミナがいなくなったり、病気になったらどうする」
「それでは不完全だ」
「量は減らせるが、結局ドラゴンの魔力が必要だ」
「違うか?」
「う……」
「そうだけどさ……」
「君は私に言ったではないか」
「弱音ばかりうるさい、諦めてるだけだろうと」
レアルは少しだけ声を落とした
「我が家がかつて奪われた領地には、魔鉱石の鉱脈がある」
「そこに、黒いドラゴンがいる」
「鉱脈を奪い返せば、魔鉱石から魔力を取り出し、活用できるはず」
「リン、あなたなら可能なはずだ」
リンは静かに答えた
「はい」
「できますね」
レアルはナルを見た
「ナル」
「君は私に言ったね」
「悲しいものを全部食べる魔女になると」
「それは、君だけは手を汚さずに、という話だったのか?」
「そ……」
「それは……」
レアルはナルから目を逸らさなかった
「力を持つ者には、その力の分だけ背負うべきものがある」
「君の宣言は嘘だったのか?」
リンが遮るように言った
「レアル、おやめなさい」
「ナルはまだ子供です」
「わたくしの弟子で、修行中の身です」
「それに、ナルが討伐に参加したとしても、黒いドラゴンを倒せるとは限りません」
レアルは小さくうなずいた
「たしかに、ナルはまだ子供だ」
「今すぐに、という話ではない」
「ただ、私が知っている唯一の理想の実現方法はこれだと、ナルに伝えたかった」
「私が諦めてきた理想のね」
レアルは少しだけ苦笑した
「ナルに頭をかち割られて、なにもかもを捨ててでも、成し遂げたくなったのだ」
「急にこのような話をしてすまなかった」
「これはお詫びだ」
「食べてくれ」
レアルは至高の飴の箱を開き、ナルに見せた
リンがため息をついて、頭を抱える
「ふう」
「どこでナルのことを調べてきたんですか……」
ナルの目が、至高の飴玉に吸い寄せられていた
この飴だけは、どうしても食べてみたい
ナルは念のため確認した
「食べたからって、手伝えとか言わないよね?」
レアルは、ひときわはっきりとした口調で答えた
「もちろん」
「言わないよ」
その瞬間、ミナがナルとレアルの間に入った
ミナは、レアルの手元の箱を睨む
「ナル、待って」
「それ食べちゃダメだよ」
「あんた、ナルは手伝わないって言ったんだから、さっさと帰りなよ」
レアルは、少しも慌てずに答えた
「それとは無関係だ」
「これはお詫びの印だよ」
「気に入ったなら、いつでもまた持ってくるよ」
「だめだよ」
「その飴、嫌な予感がするわ」
「それ、めちゃくちゃ美味しいんじゃないの?」
「ただでさえナルは飴が好きすぎるのに、そんなもの食べさせたら絶対また欲しがるよ」
レアルは箱を持ったまま、穏やかに微笑んだ
「大丈夫だよ」
「ただの飴だよ」
「よくある飴だよ」
「お試しに食べてみるくらい、いいじゃないか」
ナルがミナの後ろから顔を出す
「お……」
「お試し?」
ミナはすぐに振り返った
「それって、ナルが読んでたダメ男のセリフ本にあったやつじゃん」
「でも、お試しなんだから、あとから断ってもいいんだよ?」
「最初はお試しとか言ってたくせに、一度付き合ったら全然違うから、その本に書いてあったんじゃないの?」
ナルはミナと目が合った
しばらく悩んだあと、視線だけがまた白い飴玉へ戻る
だめだと分かっている
けれど、どうしても食べてみたかった
ナルはレアルの至高の飴に手を伸ばした
そして、ひょいっと取って口に入れてしまった
「あー!」
「それ食べちゃダメでしょ!」
「出しなさい!」
「やだ!」
「お試しだもん!」
「断ってもいいんだもん!」
「その飴がまた欲しくなったら、このおじさんに頼むしかないじゃん!」
ミナはナルの口元に、手のひらを上に向けて差し出した
「そんなもの、ぺ!しなさい」
ナルはミナの手を少し眺める
そして、ぷいっと横を向いた
「出しなさい」
「それを突き返して帰ってもらうのよ」
「なんで後先考えないのよ」
「目先の欲望に弱すぎるのよ、あんた」
リンが止めに入った
「ミナ、もう諦めなさい」
「ナルが一度口に入れた飴を外に出すわけがないでしょう」
「あなたたちといると、予想もしないことばかりが起きますね」
「いい加減、わたくしも慣れてきました」
リンはレアルを見る
「レアル」
「あなた、負けたのが悔しいからといって、大人げないですよ」
レアルは平然と答えた
「なんのことか分からんね」
その声は、少しも悪びれていなかった
しばらくして、四人は組合の外へ出てきた
そこには、レアルが手配した馬車が待っていた
レアルは馬車の扉を開け、小さな階段を下に置く
三人が馬車に乗り込むと、レアルは扉を閉めた
そして御者台に座り、手綱を握る
リンが呆れたように言った
「どうやら、レアルが御者も務めるようですね」
「いったい、なにを考えているんでしょうか」
ミナはナルに詰め寄った
「ちょっとナル」
「あのおじさん、どうすんのよ」
「つきまとわれるわよ」
「絶対なんか手伝わせる気だよ」
ナルは口をもごもごさせて、至高の飴をなめていた
「ミナ、言いたいことは分かるわ」
「でもね、この飴、信じられないくらい美味しいの」
「薄い飴が何重にも重ねて作られていて、口どけが別次元なのよ」
「これは……受け入れるしかないわ……」
ミナはナルの口元に、また手のひらを上に向けて差し出した
「ぺ! しなさい」
ナルはしばらくその手を眺める
そして、またぷいっと顔をそむけた
ミナは疲れたようにうなだれた
「だめだ……」
「わたし、もう知らないから……」
そんなミナを横目に見てナルが言った
「それに、ミナが心配するような人じゃないと思うよ」
「へ?」
ミナが少しのあいだナルを凝視する
それから確かめるように言った
「あんた、悪食が出てきてるんじゃないの?」
「また、おじさんのこと好きになってない?」
ナルは飴玉を口の中で転がしながら、そっぽを向いて言った
「そんなんじゃないわよ」
馬車はゆっくりと動き出した
王城へ向かう道の先では、新しい王の誕生を祝う声が響いていた




