第六話 檻
解放されたい
閉じ込めるのは
苦しいから
リンとの修行は、もう三か月以上続いていた
ナルは毎日、走らされ
筋トレをさせられ
まずい白いものを飲まされていた
夜になると戻されるのは、牢屋みたいな部屋だった
石の壁に囲まれた、薄暗くて狭い部屋
窓は小さく、高い位置にひとつあるだけで、外の様子もろくに見えない
分厚い扉が閉まるたび、外側から鍵を掛ける音が響く
床には木の板を並べただけの寝床が置かれていた
今日も一日中しぼられ、その上に倒れこむ
体を拭かせてもらえるのは三日に一回だけだ
「なんなのよこれ……絶対おかしいよ……」
背中は痛いし、腕も足ももう動かしたくなかった
それでも、目だけは妙に冴えている
薄い毛布を胸まで引き上げながら、ナルは小さな窓を睨んだ
こんな生活、いつまでも続ける気はない
明日で終わらせる
リンを殴り倒して、この山を下りる
そう決めると、ナルは強く目を閉じた
翌朝、鍋を叩く耳障りな音でナルは目を覚ました
いつもこうだ
まだ暗いうちから、無理やり叩き起こされる
そして起きてすぐに、岩山の道を走らされる
後ろでは、馬に乗ったリンが鼻歌交じりについてくる
「はい、いっちに、いっちに」
わざとらしい掛け声だった
励ましているふりをして、明らかに楽しんでいる
ナルは拳を握りしめたまま、黙って走った
そのあとも筋トレは延々と続き、終わるころには腕も足も震えていた
最後には、あの白くてまずくて喉に詰まるものを飲まされる
ナルはここ数日、リンに見つからないように手ごろな硬い石をいくつか集めていた
今日、それを使うつもりだった
訓練が終わり、ナルがどうにか立っているのを見ると、リンが穏やかな声で言った
「ナルも少しは、たくましくなってきましたね」
ナルはリンを睨み返す
「だったら、帰りたいんだけど」
「いいですよ、帰っても」
リンはさらりと言った
「私を倒せたらね」
ナルは舌打ちした
この三か月のあいだに、ナルは二度逃げようとした
最初は、ただ走って逃げた
けれどリンはすぐに馬で追いつき、ムチでナルを叩いて止めた
そのあとは延々と走らされ、休めばまたムチで叩かれた
二度目は、リンを殴り倒して逃げようと襲いかかった
けれど、その時は一瞬で組み伏せられた
しかも、それで終わりではなかった
リンは執拗にナルを締め上げ、何度も謝らせた
苦しさに泣くナルを見ながら、楽しむように笑って、いつまでも離さなかった
今日失敗したら、また同じ目に遭う
それでも、もうやるしかなかった
リンがナルに背を向け、建物の中へ入ろうとする
その瞬間、ナルはポケットから石を取り出し、全力で投げつけた
石はリンの背中に直撃し、鈍い音を立てた
「っ――」
リンの体が崩れ、膝をつく
ナルは迷わず飛びかかった
握った石を振り上げ、何度も叩きつける
ナルは必死だった
息が乱れ、腕が痛み、それでも止まれなかった
ただ自由になるために、何度も石を振り下ろした
最後に手の中の石を投げつけ、リンが動かないのを確かめると、ナルは弾かれたように駆け出した
「やったああーーーーー!」
やっと自由になれる
下山の道を逃げるように走りながら、ナルはその実感を噛みしめた
けれど、走っているうちに
胸の奥から、別の感情がじわじわと湧き上がってきた
帰って……どうしよう
リンにあんなことしちゃったし
わたし、もうどこにも居場所がないよね
ギルドにも戻れない……
リンは魔法庁の長官でもある
そんな相手を突然後ろから襲ったのだ
ただで済むはずがない
「なんでこんなことになるんだろう……」
ナルは息を切らしながら、小さく呟いた
「わたし、ただ……平和に暮らしていたかっただけなのに……」
けれど、その言葉は自分の胸に空しく返ってきた
ううん……
そうやって逃げてたから、こうなっちゃったのかな
自分の気持ちに正直になって
欲しいものは欲しいって言えてたら……
ミナに遠慮なんかしないで
ソラ君にちゃんとアタックしていれば
それで振られても
嫌われても
そのほうが、まだ良かったのかもしれない
「ばかだなぁ……気づくの遅いよ……」
そのときだった
ナルの行く手に、一人の人影が立っていた
ナルは反射的に身構える
「だれ!?」
影はゆっくりとこちらへ歩いてくる
やがて、その姿がはっきりした
「ソラ君……?」
そこにいたのは、ソラだった
「なんで、こんなところにいるの?」
「ミナは?」
ソラは何も答えない
ただ静かに、ナルのほうへ歩いてくる
「ソラ君?」
「どうしたの?」
「なんで返事しないの?」
それでもソラは黙ったまま、ナルをそっと抱きしめた
「あ……」
ナルは目を見開いたまま、そのぬくもりに身を預ける
そしてソラは、ナルを見つめながら、ゆっくり顔を近づけてきた
ナルにも分かった
ソラが何をしようとしているのか
ナルは静かに目を閉じた
その瞬間、胸のあたりに何かを押しつけられる感触があった
ん……?
そう思った次の瞬間
胸元で、盛大に鼻をかむような音が響いた
「な、なに!?」
ナルが目を開くと、そこには白い天井があった
そして自分の胸に、ミナが顔を押しつけたまま、ずびずびと鼻を鳴らしている
ナルは一瞬で顔を引きつらせた
「あんた、なにしてんの?」
ミナは顔を上げ、くせっ毛の茶髪をかき上げながら言った
「おかえしに決まってんじゃん」
ナルがあたりを見回す
そこは見覚えのある場所だった
組合の医務室だ
横にはリンが座っていた
目が合うと、リンは何事もなかったように微笑む
「おかえりなさい」
「これは? どういうこと?」
「夢の中で修行をしてもらったということです」
「夢? あれが?」
「ここ数日間、あなたは眠っていました」
「眠っていた?」
その瞬間、ナルはリンから渡された飲み物のことを思い出した
それを飲んだあと、急に意識が遠のき、そこで記憶が途切れている
ナルはリンを見た
「……なにか飲ませたわね」
リンは穏やかな口調のまま、静かに続ける
「ナル、あなたは欲を出すことを嫌い、気持ちが優しすぎる」
「それは長所ですが、それだけでは限界がある」
「それを知ってほしかったのです」
そして、わずかに目を細めた
「辛い思いをさせたので、最後に少しだけ……ご褒美を与えたかったのですが」
「ご褒美?」
そこまで聞いて、ナルはようやく状況を理解した
それから、ゆっくりミナのほうへ顔を向ける
ミナは目を閉じ、唇を尖らせてみせた
「あんた! 決着つけてやるわよ!」
ナルがベッドから飛び降りる
同時に、赤い針が現れた
「お互いさまじゃん!」
ミナはすぐに走って逃げ出す
ナルは容赦なく赤い針を撃ち込んだ
医務室のベッドが弾け
石造りの床と天井が砕け散る
「危ないでしょ! 死んだらどうするの!?」
ミナが走りながら叫ぶ
「あんたは生き返れるんだから良いじゃない!」
「良いわけないでしょ!」
壊れていく医務室を前にしても、リンは止めようとしなかった
むしろ、どこか嬉しそうに二人を見守っていた
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