第四十五話 ミナの身近な魔法 2
ミナの顔が引きつる
「ご…ごめん…」
「待って…」
「お願い、リン」
「悪食はやめて」
今のミナは、すでにナルの悪食の光に包まれてしまっている
襲われたら逃げ道もない
リンはにこやかに笑ったまま、こちらを見て何も言わなかった
ミナは急いでナルの様子を確認する
悪びれもせず、ナルはリンに言った
「まだご飯できてないよ」
「リンは座っててよ」
「怪我人なんだから」
「あなたたちに任せていたら、ろくな食事は出てこないでしょう」
「わたくしも手伝います」
「ついでに料理を覚えなさい」
「いつか役に立ちますよ」
ナルが興味なさそうに返した
「わたしは誰かに作ってもらうから」
「料理は覚えなくていいや」
慌てるように、ミナはリンに言った
「わ、わたしは教わりたいな!」
「リンみたいに料理が上手な綺麗な女性になりたいから!」
「リンがわたしの目標なのよ!」
ミナは必死になって、リンのご機嫌を取ろうとしている
絶体絶命の今の状況で、悪食の封印を解かれたら困るのだ
リンはゆっくりとキッチンの中に入ってきた
「あら、嬉しいですね」
「ミナにそんなことを言ってもらえるなんて、思っていませんでした」
それからリンは、ナルの方をうかがうように見た
ナルはそれに気づいて、なに? という感じに首を傾げる
リンはナルに小さく笑い返してから、キッチン台に目を移した
ボールの中には、黄身が崩れた卵
横にはその殻が六個ぶんあった
「この卵を使って何か作りましょう」
「カルボナーラがいいですね」
「わたくしが教えますから、ミナが作ってください」
リンはキッチンを見回しながら指示を出す
「まずはそこにある大きな鍋に水を入れて、塩を入れてから火にかけてください」
「パスタはそこの引き出しの中にあります」
「人参はそこにスライサーがありますから、それを使って細く切ってください」
「う、うん!」
「分かった」
ミナはすぐに言われた通りに鍋を火にかけた
それから、リンがスライサーと呼んだ白い板のような道具を取り出した
中央には鋭い刃がいくつも並んでいる
人参を押し当てて滑らせると、薄く細い糸のように削れていった
ミナが驚いて声を上げる
「すごーい!」
「細く切られたのが出てくる!」
「あなたに包丁が使えるようには見えませんからね」
「そういった道具を使いなさい」
「うん!」
「卵を溶いてください」
「そこにやすりがありますから、それでチーズを削って入れてください」
ミナは言われた通りに作業する
リンは料理台に置かれていたベーコンを手に取った
「では、これも使いましょう」
「ミナは手際がいいですね」
「初心者には見えません」
「少しだけ包丁を使いましょうか」
「ベーコンを切りやすい幅に切ってください」
「大きさは少しくらいばらばらでも大丈夫ですよ」
ミナは少しもたつきながらも、ベーコンを包丁で切る
大きさは少しばらばらだが、ある程度小さく切れた
「では、そちらの鍋にパスタを入れてください」
「このトングでかき混ぜてくださいね」
「くっついてしまいますから」
先ほど火にかけた鍋が沸騰し、湯気を出していた
ミナは棒のようなパスタを手に取り、そこに入れてトングでほぐすようにかき混ぜた
「次はフライパンにそこの油を入れて、ベーコンを炒めてください」
ミナは言われた通り、ベーコンを炒め始めた
「さて、少しそのまま炒めますので、その間にレタスを手でちぎってここに入れてください」
リンが新しいボールを差し出した
中には水が入っていて、氷がいくつか浮いていた
レタスをちぎり終わると、フライパンの上でベーコンが少しカリカリになっていた
「フライパンに、パスタを茹でたお湯を入れてください」
「熱しながらかき混ぜて、油と水が混ざったような状態にしてください」
ミナは手際よく作業した
思いのほか、飲み込みが早い
「では、茹でたパスタをフライパンに移し、かき混ぜてなじませてください」
「少し味見をして、必要なら塩を足してくださいね」
ミナは味見をして、塩を振りかけた
それからまた味見をする
「おいしいかも!」
「わたしって実は料理の天才?」
「まだできていませんよ」
「次は、先ほどの卵のボールにそのパスタを入れて、かき混ぜてください」
ミナは言われた通りにかき混ぜる
「では、弱火にしたフライパンにそのボールの中身を戻して」
「かき混ぜながら、少し粘度をつけてください」
ミナは慌てないように、ゆっくりと混ぜ続けた
「こちらの皿に盛り付けて、胡椒を振りかけてできあがりです」
ミナは皿にパスタを盛り付けながら言った
「やった!」
「できちゃったよ」
「なんか嬉しい!」
それからミナは、リンの顔をうかがうように見た
「リン、怒ってないんだよね」
「また、罰だとか言って悪食の封印解かれちゃうと思ったよ」
リンは表情も変えずに言った
「あら、封印なら先ほどから解いていますよ」
ミナが一瞬止まる
「え?」
それから急いでナルを確認する
ナルは、キッチンの隅にある椅子に座っていた
目が合ったミナに、なに? と小さく首を傾げる
ミナは、リンが嘘を言ったのだと思った
「またまた~」
「びっくりさせないでよ」
「本当ですよ」
「もうナルには必要なくなったのかもしれませんね」
「悪食に負けないほど、魂の芯がしっかりしたのかもしれません」
ミナはパスタを盛り分け終わって、胡椒を振りかけた
「それじゃ、もうわたしを襲ったりはしないの?」
ナルが声を掛けてきた
「なんの話?」
リンが左腕でレタスを網に取って水を切りながら言った
「ミナが、またナルに襲われるんじゃないかと心配していたのです」
ナルは悲しそうに瞳を落とした
「そんなことしないよ」
「私じゃ…嫌な思い出になっちゃうもんね」
「ミナは私のこと、好きじゃないもんね」
そのナルの様子に、ミナが少し慌てる
「わたしもナルが好きだってば」
「そんな風に言われちゃうとさ……」
「嫌ってわけでも…」
「私たち友達っていうか、女同士っていうか」
「ほら、ナルはイナクが好きなんだしさ」
「わたしなんかより、その方がいいじゃん」
気が付けば、ナルが音もなくミナの傍に来ていた
するりとミナの手を握り、体を押しつける
少し熱がある声で言った
「イナクより、ミナの方がいいって、わたしが言ったら?」
ミナは即座にリンへ顔を向け、叫ぶように言った
「やっぱりだめじゃん!」
「封印して!」
「今すぐ封印して!」
リンはどこ吹く風で、左腕だけで器用にサラダを盛り付けている
「今さっき、あなたも好きだ、嫌じゃないって言ったじゃないですか」
「良かったですね」
「祝福しますよ」
「ちょっと!」
「なに言ってるのよ!」
「早く封印戻してよ!」
「あ、そうでした」
「あの像を、どこで手に入れたのか気にしてましたよね」
リンはにこやかに言った
「あれは、夜な夜な自分で彫って作ったんですよ」
「悪かったですね」
「孤独に慣れた中年女で」
「お気のすむまで、笑ってくれていいんですよ」
ミナはリンの目を見た
目が笑っていない
とんでもなく怒っている
するとナルが、少しすねたようにミナに言った
「わたしを無視して、リンとばかりお話して」
「好きって言ったり、嫌じゃないって言ったり」
「ミナっていじわるだよね」
ナルがミナの耳元でささやいた
「そういうことすると、わたしもいじわるしちゃうよ」
次の瞬間、ミナの手足を赤い砂が拘束する
「ちょっと!」
「やっぱりこうなるの!?」
ナルが少し怒ったように言った
「ミナが悪いんだよ」
「期待させるようなことばかり言うから」
「なんの話よ!?」
「正気に戻ってよ!」
リンが横で明るい声で言った
「罪な女ですね~」
「乙女心を弄んだらだめですよ」
「ちゃんと責任取ってあげてくださいね」
リンは二人の近くから離れようとしなかった
こうすれば、ミナが結晶を使ってリンを脅すことができないと分かっていたからだ
この距離で結晶の矢をリンに撃ち込んだりしたら、ナルも巻き込まれる
懇願するように、ミナは言った
「リン、助けて!」
「お願い!」
「ほんとに謝るから!」
「わたくし、中年女なので耳が遠いんですよ」
ミナはそこで気づいた
リンにとって中年女は、おばさん並みの禁句だったらしい
苦し紛れに、ミナは言った
「なんでもリンの言うこと一つだけ聞くから、助けてよ!」
リンがぴくりと反応する
「なんでもですか?」
「うん!」
「なんでも!」
少し考えるような間があってから、リンは言った
「しかたがありませんね」
ナルがすっとミナから離れ、赤い砂も消えた
「ごめん、ミナ」
ミナは安堵のため息をついた
それから、目の前の料理を見る
初めて作った、美味しそうなカルボナーラ
ミナは少し誇らしいような、胸がどきどきするようなものを感じた
「できたよ!」
ナルが覗き込むようにして言った
「うわー!」
「すごく美味しそう!」
「ミナ天才!」
「わたくしも驚きました」
「ミナは料理に向いていそうですね」
ナルがお皿を手に持って、嬉しそうに言った
「早く食べようよ!」
三人分の料理がテーブルに並んだ
ナルとリンが声を重ねて言った
「いただきます」
ミナが少し戸惑いながら、少し顔を赤くして答える
「めしあがれ」
ナルが一口食べて、感激する
「ん!」
「美味しい!」
「ミナすごいよ!」
「美味しいよ!」
リンも一口食べる
「本当に美味しいですよ、ミナ」
少し気恥ずかしそうに、ミナが言った
「えへへ」
「なんだか、ちょっと嬉しいね」
「次はナルにも作ってもらおうよ」
即座にナルが答えた
「あ、わたしは食べる専門なんで」
「そういうの無理なんで」
それから三人は、ミナの作った料理を味わった
ミナが初めて作ったカルボナーラは美味しかった
ナルは大喜びで、かきこむように食べた
リンはゆっくりと、大切そうに味わって食べていた
ミナは、自分が作った料理を二人が美味しそうに食べてくれて、今までにない感情で胸が暖かくなった気がした
そして、その日の食事は特別に美味しく感じた
ミナはリンの言葉を思い出した
料理とは、誰にでも使える、最も身近な魔法
ようやくミナにも、その言葉の意味が分かった気がした
今、この時間を
まるで魔法のように、感じたから




