第三十七話 ナルが向き合う過去
朝になり、リンはミナのベッドの上で目を覚ました
同じ部屋のソファーでは
この部屋の主が眠っている
よく見ると、ミナの体は薄い光の膜に包まれていた
それを見て、リンは小さく笑う
「学んでいるようですね」
リンはベッドから立ち上がり
シーツや毛布を綺麗に整えてから部屋を出た
すると洗面所に人の気配があった
リンが洗面所をのぞき込むと
そこにはナルがいた
鏡と向き合い
ひとりで化粧をしている
いつもの朝より、ずっと静かだった
「ナル、今日は早起きですね」
「化粧をしているのですか? 前は嫌がっていたのに」
ナルは鏡を見たまま答えた
「うん、やっぱり少しくらいはできるようになりたくてさ」
リンはナルの顔を見た
すでに綺麗にファンデーションが塗られている
今は、口紅を塗っているところだった
「上手ですよ、ナルは器用ですね。とても綺麗です」
ナルは口紅を塗り終えると
唇を軽く合わせてなじませた
「リン、今日さ出かけてきてもいい?」
「構いませんが、どちらへ出かけるのですか?」
「メアリの教会に行きたいのよ」
「ギルドに住んでた頃は定期的に無料で能力検査をやってたの」
「もうずいぶん行ってないからさ、きっと待ってる人が大勢いるよ」
「あなた、貸与ができたのですか?」
「うん、扉から教えてもらった」
「わかりました、気を付けて行ってらっしゃい」
「ありがと」
「それからさ」
「私が能力を調べた人の中に魔力がある子がいるのよ」
「ルーって名前で、ラピスギルドのすぐ近くに住んでる青い髪の女の子」
「リン、興味があるでしょ?」
「ええ、教えてくれてありがとうございます」
「すぐに会いに行ってみます」
「おねがいね」
そう言ってナルは足早に廊下を歩き扉を開けてリンの部屋に出る
リンの部屋は昨日の惨状のままだった
それを気にもせずに
ナルはリンの部屋を通り抜けていった
割れたガラスにも
荒れた部屋にも
目を向けなかった
その背中を見送りながら
リンはようやく気づく
ナルは、知っている
昨夜のことを
「わたくしとしたことが……うかつでしたね」
ナルは生まれ育った旧市街に急ぐように向かう
軍の療養所にいる父親、そして幼いナルを引き取ってくれた孤児院のシスターのメアリと会うために
途中ラピスギルドの前を通りかかる
窓の隙間から二人が笑いあっているのが見えた
ナルは懐かしそうに小さく笑って、ギルドを通り過ぎた
教会の近くまで来て、ナルは足を止めた
その前には、長屋が並んで立っている
ボロボロの看板が見えた
そこには、軍療養所と書かれている
ナルは療養所に入り
人を探すようにあたりを見回しながら歩いた
ここにはナルの父親がいた
ナルが父親を見たのは2回だけ
1回目は16才の時だった
父が生きていると知って、ここに面会に来た
その時に開口一番で、父親にこう罵られた
「おまえのせいでこうなった」
ナルはすぐに逃げるようにその場を立ち去った
それ以来は近寄ろうともしなかった
嫌なことは忘れることにした
もう1回は一年以上前
その時はミナとソラと一緒に遠くから見ただけだった
でも今日は違う
たとえまた罵られたとしても
父親と向き合いたい、そうナルは思っていた
ナルはしばらく探し回った
だが、父は見つからない
その途中で、職員らしき二人の声が聞こえた
何やら深刻そうに話をしている
「…もう七年目だから……」
「……正気に戻る時間も、もう……」
「…薬を増やさないと……」
ナルは思わず足を止めた
けれど、何の話かまでは分からない
ふいに別の職員の女が
ナルの前を通りすがった
ナルは慌てて声を掛ける
「あの! ルイはどこにいるの?」
ルイ、父親の名前だった
職員は眉をひそめて答えた
「あなたは?」
「ルイの娘です。会いにきたの」
職員は目を伏せて答えた
「ルイさんは、去年お亡くなりになりました」
「え? 去年?」
「だって私、遠くからだけど見たよ? いたよ?」
職員は困った顔で言った
「そういわれても……」
もう、死んだ……遅かった
二度と会うことはできない
ナルは乱れそうになる心を必死に抑えつけた
自分の肌から
リンに教わった化粧の匂いがする
それが、不思議とナルを踏みとどまらせた
ナルは落ち着いた口調で聞いた
「困らせてごめんね、ルイはどうなって死んだの?」
「そ、それは……」
ナルは深々と頭を下げて頼んだ
「知りたいの、お願い、教えてください」
職員は言いにくそうに視線を落とした
「わたしが直接立ち会ったわけではないけど」
「この施設では、痛みを和らげる薬を使っています」
「長く使えば、どうしても効きづらくなっていくんです」
「そうなると、量も増えていきます」
そこで職員は言葉を切った
「ルイさんは、十年以上ここにいましたから……」
「おそらく、薬の過剰摂取か、衰弱……」
ナルは職員を見つめ、確かめるように聞いた
「それって……苦しいのかな」
「いえ、薬を使っていますから」
「苦しくは……なかったはずです」
「お墓とか……あるの?」
「わかりません、通常は教会の共同墓地に納めます」
「そうなんだ……ありがとう」
ナルは少しふらつくように振り返り歩き出した
今にも大声を出して泣き叫んでしまいたい
メアリのもとに行って、なぜ本当のことを教えてくれなかったんだと問い詰めたい
このどうしようもない気持ちを、誰かにぶつけてしまいたい
ナルは、ゆっくりと息を吸う
まだ、リンに教わった化粧の匂いが残っている
だから自分は大丈夫、そう思った
メアリが真実を隠して、嘘を教えた理由は分かっていた
私が弱かったからだ
到底耐えられないと思ったからだ
その判断は正しかったとナルにも分かった
ふらつくような足取りは、しっかりとしたものに変わる
ナルは気を引き締めるように両ほほを叩いた
「逃げずに、受け止めなきゃいけないよね」
「わたしはリンに鍛えてもらった」
「見苦しい姿なんか見せないわ」
そう言ってナルは教会に向かう
教会は療養所のすぐ近くにあった
そこには懐かしい風景がある
教会の前の広場で、メアリが子供たちに文字を教えていた
ナルは教会の柵の前で足を止めた
敷地の中へは入ろうとしなかった
そこに入れば
また、なにかにすがる自分に戻ってしまう気がした
すぐにメアリがこちらを見た
メアリはゆっくりとナルに近づいてくる
近くまで来て、ようやくメアリはナルだと気づいたようだった
「ひょっとしてナルなの?」
「誰だか分からなかったわ、なぜそんなに変わっているの?」
ナルにはメアリの言うことが分かった
メアリのスキルは魂の色眼
彼女は魂の色を見て人を判別している
ナルの魂の色は別人のように変わっているのだろう
「メアリ、どうしても教えて欲しいことがあるの」
「どうしたの?」
「パパとママのことをちゃんと教えて」
「ママはどうして死んだの? パパはどうして足がないの?」
メアリは固まるようにしてナルを見ていた
「あなた……まさか」
「もう、知ってるよ」
「でもね、きちんと聞きたいの」
「パパとママを知ってる、メアリから」
メアリは少し考えてから答えた
「わかった、話します。中に入りなさい」
そう言ってメアリは手を教会の方へ差し向けた
「ううん。私は入らないよ、入りたくないの」
「ここで教えて」
メアリは戸惑った表情をした後に話し始めた
「ナルが4才の時、二人は初めてあなたの髪を切りました」
「ルイがあなたを膝の上に乗せて」
「ナミルがハサミを持って」
ナミル、母の名前だった
「私が駆けつけた時には……ナミルは絶命していました」
「そしてルイは足を失い、苦しんでいました」
「あなたは土のように崩れたルイの足の上で泣いていた」
「私はナミルを埋葬し、ルイを療養所へ連れて行った」
「そしてあなたを孤児院に引き取りました」
ナルが予想していた通りの現実だった
まっすぐメアリの目を見て答えた
「ありがとう、教えてくれて」
「ママとパパのお墓はあるの?」
「ついてきなさい」
そう言ってメアリは教会から出て歩き出した
少し歩くと小高くなった小さな岬があった
その岬の先にお墓があった
小さいけれど、綺麗に手入れされている墓だった
そこには名前が刻まれていた
ルイ
そしてナミル
ナルは二人の文通の手紙を思い出した
小さな岬……そこでプロポーズしたと書いてあった
きっと、ここがその場所なのだろう
ナルはお墓の前に跪いた
そして墓石を手で優しくなでる
「わたしが子供で、ごめんね」
それだけ言ってナルは立ち上がった
「パパとママのお墓を作ってくれて」
「ずっと、綺麗にしてくれていて」
「本当にありがとう」
少しの間、ナルは両親のお墓を見下ろしていた
そしてメアリに聞いた
「パパは、お酒を飲んでママを殴ったりしてないんだよね」
「本当は、どんな人だったの?」
「強くて、優しくて、ちょっと無口で……あなた達を愛していました」
メアリは口を押さえて頭を下げる
「ごめんなさい……」
「わたし、もう帰るね」
そう言ってナルは歩き出した
メアリが呼び止めた
「待ちなさい」
でもナルは歩みを止めようとはしなかった
急いでメアリは墓に近づき
墓石の右側にある小さな引き出しを開け
中から何かを取り出した
それを持って、駆け寄るようにメアリはナルを追いかける
そして、ナルに押し付けるように差し出した
それは、紙一枚だけの
くしゃくしゃの手紙だった
ナルはその手紙を受け取ると
そっと目を落とした
ミミズが這ったような文字が書かれていた
父が、震える手で書いてくれたのだろう
こう書いてあった
ナルはわるくない
あいしてる
それを読んでナルはすぐに手紙を伏せるようにして目を逸らした
「ありがとう、メアリ」
「またくるね」
それだけ言って、ナルは歩いていった
手紙を胸に抱いたまま
家へ向かって歩いた
一瞬、ナルの目尻が熱くなった
けれど、涙はこぼさなかった
手紙を胸に押し当てる
私は、どうすれば
辛いものを受け止められるか知っている
私はリンの弟子なのだから
ずっと、彼女を見てきたから
私は、強い魔女
負けたりしない
負けるもんか




