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赤さびの魔女  作者: うめやす.
3章_過去からその先へ
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第三十六話 過去の足音 1

リンはゆっくりと自宅の廊下を歩いていた


ナルとミナの就寝を確認する


ナルはもう寝たようだが、ミナはまだ起きているようだった


リンはミナの部屋の前で足を止めた


まだ、灯りが漏れている


扉を軽くノックしてから中をのぞくと


ミナは寝台の上で本を読んでいた


「ミナ、もう遅いですよ」

「続きは明日にして、眠りなさい」


ミナは本から目を離さずに返事をする


「はーい」


リンは小さく息をつき


静かに扉を閉めた


廊下の灯りを落としていく


自分の部屋に戻ると


リンはようやく小さく息をついた


ふと、さきほどのミナの返事を思い出す


「はーい」


その気の抜けた声が耳に残って


リンの口元が、ほんの少しだけ緩んだ


自分でそれに気づき


リンはそっと口元を押さえる


「わたくしとしたことが」


次の瞬間、リンは無表情へ戻っていた


そして自分の部屋の外の広いテラスへ出る


そこには、長い金髪の女がいた


マリー・マリン


リンの友人で、第一軍に所属するA級魔術師


マリーは手すりに片手を置き


夜の街を見下ろしていた


リンはその背中を見ても、表情を変えなかった


「マリー、お待たせしましたね」


マリーは肩越しにリンを見た


その顔には、いつもの軽い笑みが浮かんでいる


「別に待ってないよ、私もいま着いたところだから」


リンはその軽口を受け流し、静かにマリーを見た


「それで、なんの用ですか?」

「夜更かしは美容の大敵なのですが」


「そうだね、でも確認しておきたいことがあってさ」


「なんですか?」


マリーは手すりにもたれたまま


夜の街を見下ろした


「ヴァルドリア王国との交渉が決裂したのは、あなたの耳にも入ってるでしょ?」


リンは答えない


マリーは横目でリンの反応を探った


けれど、リンの表情は動かなかった


マリーは続けた


「リックは、あちらの要求を突き返した」

「たぶん近いうちに戦争になる」


そこでようやくリンは答えた


「ええ、聞いていますよ」

「ドラゴンの保護についての要求のことですね」

「ヴァルドリアはドラゴンから豊かな土地を借り受けて巨大化した国」

「わたくしたちとは水と油ですからね」


マリーは問い詰めるように言った


「あなた、こうなるって分かってたんじゃないの?」

「あちらは、いきなり全てを変えろと言ってきたわけじゃない」

「まずはドラゴンへの魔力依存を減らす、そこからだった」

「それをリックは突き返した」

「喧嘩売ってるのと同じだよ」


リンはマリーの横の手すりに手を置いて、星空を見上げて言った


「リックなら、いずれはそうなるだろうと思っていました」

「すごく短気で、短慮ですからね」


マリーは振り返り、手すりに両肘を乗せた


「私たちは国と民を守るためになんだってやるよ」

「それで、リンはどうするの?」


リンはマリーの思惑を無視するようにサラリと返事する


「どうでしょうね。必要な時に、必要な返答をいたします」


マリーはリンの横顔をじっと見た


「ふーん」


その声には、納得していない響きがあった


少しの間、夜風だけが二人の間を通り抜ける


マリーは手すりから体を離した


「あのさ、リン」

「一つだけ、古い友人として確認しておきたいんだけど」


リンは星を見上げるのをやめてマリーに視線を移した


マリーは問い詰めるように静かに言った


「わたしの特技、知ってるよね? 私には人の性質が分かる」

「ついこの前まで、あなたは魔道を追求するだけの魔女だったはず」

「でも……いまのあなた、ちがうよね?」

「この短い期間に、まるで別人のようになった」


リンは黙っている


「あの隠し子……誰との子供?」

「どうやったの? 私にも教えてよ」


「勘違いされているのは知っていますが、ナルはわたくしの子ではありません」


マリーは、リンの内側を探るように見つめた


「ふーん、本当に違うんだ……」

「だったら、いまのあんたはなんなの?」

「執着に満ちているよね、いったい……何に?」

「今更、あの人への想いでも取り戻したとでも?」


リンは静かに言った


「違います」

「それ以上は、言わない方が身のためですよ」


マリーはその警告に構わず、言葉を続けた


「復讐……なんて話じゃないよね?」

「言っとくけど、あの人が死んだことに、ルッツは関係ないよ」

「この際だから、本音を聞いておきたいんだけど」


マリーは一歩下がり、身構えた


その瞬間

リンの香りが、マリーの鼻先をかすめた


甘く、冷たい香りだった


マリーの体が青く光り始める


マリーのスキル”守護”の光だった


けれど、それはもう遅かった


青い光が広がるより早く決着はついていた


マリーの膝から力が抜ける


そのまま床に膝をつき


うずくまった


リンは倒れ込むマリーを、冷ややかに見下ろした


「うかつですよ、マリー」


マリーは床に手をついたまま


必死に指先を動かそうとする


けれど、体は思うように動かなかった


「な、なに? 体が……動かない……」


リンの足音が近づいてくる


その足音は


マリーの前で止まった


リンは、膝をついたマリーの前に立っていた


「あなたは昔から、余計なおしゃべりが多いですね」

「やめてくださいな」


リンの声だけは、いつものように涼しげだった


「わたくし……本音を言うと……」

「あなたの顔を見るたびに、殺してしまいたくなるのですから」


マリーの肩が、小さく震えた


その穏やかな声の奥で


長いあいだ押し殺してきた憎しみが


火種のように疼いていた


「あなたの大切なルッツも……」

「あの汚い口を開くたびに、我慢するのが大変でした」


言葉を重ねるほどに


その火は少しずつ息を吹き返していく


「わたくしの本音ですか?」

「聞きたいのですか?」

「ならば、最後に教えて差し上げます」


リンの声が、重く沈んだ


「わたくしは、すべての罪を集めて滅びたいのです」

「この国もろとも、愚かなわたくしの道連れとして」


リンの瞳が、夜よりも暗く沈んでいく


その奥では

すべてを焼き尽くしたいという炎が揺れていた


「魔道に打ち込むほど、わたくしの胸は焦げていった」

「いつのまにやら、わたくしは……まるで焼け残った炭のよう」

「忘れることなどできない。代わりなどない」

「もう、わたくしに歩む道などないのです」


リンの瞳から、光が消えた


「いえ……最初から……なかったのです」


マリーは逃げようとした


けれど、体は動かず


魔法を使おうとしても、魔力が形にならなかった


マリーは怯えた表情でリンを見上げた


かすれた声が漏れる


「やめて……リン」


その声を聞いた瞬間


リンの目が、わずかに細くなった


怯えるマリーを見下ろしながら


リンは薄く笑う


その目には、隠しきれない憎しみの炎が宿っていた


喉の奥から

押し殺したような声が落ちる


「あなたがサラに、余計なことを言ったから」


マリーは目を見開いてリンを見る


そして、死の覚悟をして目を閉じた


次の瞬間、また一瞬リンの香りがした


すると、少しずつ体が動くようになっていく


マリーがなんとか体を起こした時には


リンの瞳には、光が戻っていた


「なんてね、嘘ですよ」

「マリーも案外、騙されやすいですね」


笑っているリンの顔は


もう、いつもの整ったものに戻っていた


けれど、マリーはまだ立ち上がれなかった


リンはマリーに背を向け


部屋へ戻ろうとする


マリーは手すりにすがるようにして立ち上がった


息が乱れている


「いまのが、嘘だったって言うの?」

「そんなわけないよね」

「なんで私を殺さないの?」


リンは振り返らないまま答えた


「今となっては嘘なのです」

「わたくしは、あなたと同じ、堕落した魔女なのですから」

「くすぶり続ける火に、無邪気に息を吹きかけるあなたのことを」

「少しからかいたくなっただけ」

「前に言ったでしょう?」

「私たちは素朴な魔女です」

「ただ、平和な日常を守って欲しいだけ」


マリーは聞いた


「リンは愛情のことを、堕落って言うようになっていたわよね」

「まさか……あの子達にでも、情が湧いたってこと?」


リンはそこで、少しだけ柔らかく笑った


「そうですよ」

「いけませんか?」

「だって、大切なわたくしの弟子ですもの」

「わたくしの血や肉、骨すら捧げてもいい。サラのようにね」


マリーの表情が陰った


リンは淡々と語った


「わたくしが育てた彼女たちが、どんな未来を作るのか」

「この国を、運命を、変えてくれるのか」

「それを見届けたい……そんなことを思う日もありますよ」


マリーは顔をしかめて聞いた


「なによそれ……先生でも始めたってこと?」


リンはその言葉を聞いて


ほんの一瞬、目を丸くした


それから、堪えきれないように口元を押さえる


その手の隙間から、笑いがこぼれ落ちた


少しの間、リンは笑い続けた


それから振り返ってマリーを見つめながら言う


「マリー」

「先ほどはあのようなことを言いましたが」

「わたくしはあなたに同情しています、だから嫌いじゃありませんよ」


「なんなのよ、急に」


「先ほど好き勝手に言ってくれましたからね、お返しでしょうか」


リンは、ほんの少しだけ声を落とした


「あなた、ルッツと結婚してから、ずいぶん時間が経ちましたけど」

「子供がいないのでしょう?」


マリーの顔が歪んだ


リンはその表情を見てほくそ笑む


「だから、わたくしはあなたが好きですよ」

「わたくしが逃げた場所にいるのですから」

「これからも、ずっとあなたは苦しむのでしょうね」

「よければ、惚れ薬を分けてあげましょうか」


マリーの耳元にだけ、リンの声が響いた


「あなたも……逃げたら?」


マリーはそれを振り払うように腕を振った


「もういいよ、黙って」


リンは可笑しそうに笑いながら続ける


「決して、誰しもが認めるような幸せを得られない」

「親しみを持っていますよ、親愛なるマリー」

「そうとも知らずに、結ばれてしまった…あなたにね」


マリーは目を見開き、右腕を前に突き出す


一瞬、空気が歪んだ


次の瞬間

リンの部屋の窓ガラスが全て同時に割れた


砕けたガラスが床に落ちる音だけが響く


リンは周囲を水の膜で包み、身を守っていた


その膜の向こうから


乱れひとつない顔でマリーを見た


「危ないですね、そんなに怒らないでください」

「わたくしとあなたは同類です」

「堕落した魔女同士、上手くやりましょうよ」

「本音……なんて、聞かない方がお互いのためなんですよ」

「わたくしも、あえて聞いていないでしょ?」

「ドラゴン好きのお友達に、国を売っていることとかね」


マリーはリンに背を向けた


「たしかにそうだね」

「言っとくけど、ルッツの邪魔だけはしないで」

「あの人の野望は私が叶える、ルッツの隣にいていいのは私だけよ」

「あんたの力なんか、いらないわ」


リンが薄く笑って言った


「素敵ですよ、マリー」


マリーは決意するように言った


「私は逃げないよ」

「惚れ薬を飲ませて、他の女を好きにさせるなんて」

「絶対にしない!」

「あんたみたいには、ならない!」


次の瞬間、マリーが強く床を蹴った


衝撃が広がり


その体が大きく跳び上がる


あっという間に、姿は見えなくなった


リンは黙ってマリーを見送っていた


それからゆっくりと自分の部屋に戻ろうと歩き出す


そして気づいた


リンの寝室にもリビングにも


ガラスが散乱していた


リンは足元のガラスを見下ろした


「あら、窓が全て割れてしまっていますね」

「今日、わたくしはどこで寝ればいいのでしょう」





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