第三十二話 身近な魔法 2
ナルの顔がぱっと明るくなった
「え、やった! なんかリンって凄いの食べてそう」
「お金持ちだもんね」
リンは何も答えず、部屋の奥へ歩き出した
もう一つの扉を開けると、そこには白いテーブルクロスの掛けられた食卓があった
その横には、小さなキッチンもある
リンは二人に席を示した
「座りなさい」
ナルとミナは素直に椅子に座った
リンは手を洗いながら言う
「今日あなた達を朝食に招いたのは、教育のためです」
ミナが首をかしげる
「教育?」
「あなた達は毎日なにを食べていますか?」
「食事は体を作る資本です」
「昨日見た限り、あなた方の食事はあまりにも乱れています」
「整えなければ、それ以上の体は作れません」
ナルはぽかんとした顔になる
「なんの話してるの?」
リンはキッチンに立ったまま、淡々と続けた
「今後は適切なものを食べなさい、わたくしが管理します」
「外食も多いようですね」
「もはや悪食は克服したのですから、そういったものはたまに食べる程度にしなさい」
ナルが少し嫌な予感を覚えたようにミナを見た
リンは振り返らずに言った
「あなた達は生活態度も行儀もなっていません」
包丁の音が、こつん、とまな板に響いた
「昨日、あなた達の部屋を見て決めました」
「外から注意するだけでは、何も変わりません」
「今日からしばらく、ここに住みなさい」
「勝手に他で物を食べることは許しません」
ナルの目が細くなる
「しばらくって、どれくらい?」
ミナも同じ気持ちらしく、小さく頷いた
リンは包丁を置き、にっこり笑った
「わたくしが、もう大丈夫だと判断するまでです」
ナルは即座に立ち上がった
「嫌な予感がするから帰るね」
ミナが目を丸くする
「え、判断早っ」
ナルはミナの返事も待たずに、入ってきた入口へ向かって走り出した
だが、そこで足を止める
先ほどまであったはずの扉が、なくなっていた
壁しかない
ナルが叫ぶ
「ええ!? 扉がなくなってる!」
リンはキッチンで野菜を切りながら言った
「わたくしから逃げようなんて、いけない子ですね」
「そんなことをして、本当に良いんですか?」
ナルは壁をぺたぺた触りながら言い返す
「だって、絶対ロクな目に遭わないじゃん」
するとリンは、棚の上に置いてあった一通の手紙を指で挟んだ
ひらひらと揺らしてみせる
ナルの動きが止まる
「なによそれ」
リンは手紙を見せつけるように微笑んだ
「第三軍には、わたくしの手の者が潜入しています」
「イナクさんの周辺について、調査させました」
ナルの表情が変わる
「え!? そうなの!? なんて書いてあるの?」
さっきまで逃げ道を探していた目が
今度は手紙だけを見ていた
リンは、その変化を見逃さなかった
ミナは静かに目線をリンに動かした
なにか言いたげだったが、黙っている
リンは手紙を自分の胸元に引き寄せる
「さぁ、それは分かりませんね」
「悪い子には教えたくありません」
ナルは明らかに動揺した
「う…」
リンはまた手紙を指で挟んでひらひらと振って見せる
「今のところ、イナクさんは誰とも深い関係にはなっていないようですよ」
「ただし、周囲の女性、特に3人の女隊長はとても積極的なようです」
ナルの目が据わる
「積極的ってなに?」
「それは、良い子になったら教えてあげます」
「リン、ずるい!」
「大人とはずるいものです」
リンは手紙を振りながら続けた
「今後も、イナクさんに何か変化があればすぐに分かります」
「必要であれば、そうならないように工作だっていたしましょう」
ナルはもう逃げようとはしていなかった
リンは楽しそうに微笑む
「どうしますか? ナル」
「わたくしとの生活、楽しみじゃありませんか?」
ナルはゆっくりと歩いて戻ってきた
そして元の席に座って
ハッキリとした口調で言った
「はい、恩師様!」
リンは満足そうにうなずいた
「よろしい、いい子になりましたね」
ミナがナルに耳打ちした
「ナル、ちょろすぎ」
ナルは小声で返す
「だって……しょうがないじゃん」
「それも聞こえています」
二人はまた口を閉じた
リンは手紙を棚の上に戻し
テーブルの水差しを指さした
「起きてから水分は取りましたか?」
「最低でもコップ一杯は飲むんですよ」
「まだなら、そこに水差しがあります。飲みなさい」
二人は言われた通りに、水を飲むことにした
ナルがコップを手に取る
水差しから注いで飲むと、少し驚いた顔をした
「あれ、これレモンの味するね」
ミナも飲んで頷く
「うん、さっぱりする」
リンはキッチンに立ったまま言った
「朝はまず水分です」
「あなた達は、そういうところから覚えなさい」
リンはキッチンで料理を始めた
やがて、何かを焼く音が鳴り出す
じゅう、と小さく油が弾けた
香ばしい匂いが部屋に広がっていく
ナルが鼻をひくひくさせる
「あれ? リンが作るの?」
ミナもキッチンを見る
「みたいだね」
キッチンからリンの声が届く
「料理とは、最も身近な魔法です」
「誰にでも使える。けれど、誰とも同じにはならない魔法」
二人は顔を見合わせた
リンは手を止めずに続ける
「同じ材料でも、作る人が変われば味は変わります」
「誰かを思って作れば、なおさらです」
「体を作り、気持ちを整え、時には人の記憶にまで残る」
そこでリンは、少しだけ声を柔らかくした
「そういう魔法なのです」
ナルがミナに小声で聞く
「リンがなに言ってるのかわかる?」
ミナは首を横に振る
「よく分かんない」
リンは少しだけ笑った
「イナクさんの料理を覚えていますか?」
ナルが顔を上げる
「え? イナクの?」
ミナもすぐに反応した
「また食べたいね、シチューとか!」
ナルの目が懐かしそうに細くなる
「イナクが料理すると、なんだって臭くなくなったよね」
「ほら、よくミナが獲ってきたザリガニとかナマズだって、イナクが料理すると美味しかったじゃん」
ミナも少しだけ笑った
「懐かしいね」
「ほんとにまた食べたい」
いまだけ、二人の声は少し幼く感じた
ナルは言った
「うん、わたしなんて殻まで食べてたよ」
ミナは真顔で返す
「それは、もうやめたほうがいいと思う」
リンは両手に皿を持ちながら、二人の方へ歩いてきた
そして、小さくため息をつく
「わたくしの弟子は、まだまだですね」
そう言って、二人の前に皿を置いた
一つの大きな皿に、スクランブルエッグ
鶏胸肉の炒め物
オートミール
何種類かの野菜
そして温かいスープが乗っていた
ナルの目が輝く
「あれ! 美味しそう!」
ミナも皿を覗き込む
「ほんとだ! なんかおしゃれだし」
リンは小さく笑った
「めしあがれ」
ナルとミナの声が重なった
「いただきます!」
二人は黙々と、リンの作った朝食を食べた
いつもなら、感想を言い合って賑やかに食べる
それが二人の日常だった
でも、自然と何かを言う気にはならなかった
スクランブルエッグは柔らかく
鶏肉は淡白なのに、ちゃんと満足できる味がした
スープを飲むと、体の奥から少しずつ温まっていく
リンが作ってくれた食事は美味しかった
それ以上に
不思議と、落ち着いた
魔法のように温かい
そう、二人は感じていた




